皇室
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中華料理」が食卓に上ることは殆どないと言う[16]

経済面において、皇室は皇室経済法の規定により国庫から支払われる「皇室費」を収入として生活しており、公的な活動に掛かる費用は「宮廷費」で賄い、私的な費用は、天皇・皇后と皇太子一家の場合は「内廷費」で、その他の宮家は「皇族費」で賄っている。例えば、秋篠宮家には、年間6710万円の皇族費国庫から支払われている(平成時代の場合)。警備上の理由により、皇室の在籍者はアルバイトをすることができない[17]

皇室構成員は、一般国民が登録される戸籍ではなく「皇籍を有する者」であり、「皇統譜(こうとうふ)」にその名が記される。皇統譜の人名は「称号+名+身位」で構成され、氏(苗字)を持たない。例えば、第126代天皇徳仁と皇后雅子の皇女子の敬宮愛子内親王の「敬宮」(としのみや)は、あくまで「称号」であり「苗字」ではなく、内親王は身位である(詳細後述)。

女性皇族(内親王・女王)が結婚等により皇室を離れる場合、皇統譜に皇籍離脱の登録を行い、代わりに戸籍を作成して一般国民になり、名前についても氏(苗字)を与えられ、マスメディアで使用される敬称も尊敬を意味する敬称の「さま」から対等を意味する敬称の「さん」に変わる。つまり、公人から私人となり、様々な法的措置を講じる事が出来るようになるため、報道における制限も厳しくなる。
議論
皇室は「家」であるのか

皇室の構成員は、天皇およびその男系血脈による近親者で構成されており、「皇家」「天皇家」と通称されるなど、一種の「家」とみなされることがある。

歴史学的には皇室とは天皇を祭り主としての頂点とする氏族であり、実際に終戦までは傍系の皇族である世襲親王家である宮家を含めていた [18]

学説では、皇室とは総皇族の一団による家であり、その家長が天皇である、という説がある。これに対して、例えば宮内官僚の酒巻芳男は、皇室は民法に定めたような私的な生活単位としての「家」ではなくて、統治権の総攬者としての天皇と、その近親者によって構成される国家の一組織である、と述べている。すなわち、皇室は「家」であることには変わりないが、民法に定められた「家」とは異なる、公的な立場を持った特殊な「家」である、といえる[19]
皇室は法人か

皇室が法人性を有するかについては、学界でも議論が分かれる。主な学者では、美濃部達吉は法人説、佐々木惣一は非法人説を主張した。ただし、法制面および行政面においては、皇室は法人格を有していない[20]
構成「男性皇族一覧」も参照新天皇即位を祝う一般参賀に姿を見せる皇室の構成員たち。ただし、上皇明仁上皇后美智子は出席していない。
2019年(令和元年)5月4日、宮殿東庭から長和殿を撮影。

2023年(令和5年)1月1日現在の皇室の構成員は、天皇1名、上皇1名、皇族15名(皇后1名、上皇后1名、親王3名、親王妃5名、内親王2名、女王3名)を合わせた17名である。
内廷「内廷皇族」も参照

天皇および皇后、愛子内親王皇居内に常時の住居である御所を構える。上皇明仁および上皇后美智子は赤坂御用地内の「仙洞御所」を住居としている。

宮内庁には、内部部局である「侍従職」が天皇および皇后とその未婚の子女に関する事務を扱う機関として、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」に基づいて「上皇職」が上皇および上皇后に関する事務を扱う機関として、「皇嗣職」が皇嗣とその家族に関する事務を扱う機関として、それぞれ設置されている。
天皇・皇后および皇子女

構成員3名。

身位御名読み御称号敬称性別生年月日現年齢天皇から
見た続柄摂政
就任順位
天皇
(第126代天皇)徳仁なるひとひろのみや
浩宮陛下男性1960年昭和35年)
2月23日64歳本人/
上皇第一皇男子
(二男一女のうち第一子)
皇后
(第126代天皇后)雅子まさこ陛下女性1963年(昭和38年)
12月9日60歳妻(配偶者)
旧姓:小和田(おわだ)第3位
内親王愛子あいことしのみや
敬宮殿下女性2001年平成13年)
12月1日22歳第一皇女子
(一女のうち第一子)第5位
出典[21]
上皇・上皇后

構成員2名。

身位御名読み御称号敬称性別生年月日現年齢天皇から
見た続柄摂政
就任順位
上皇[注 1]
(第125代天皇)明仁あきひとつぐのみや
継宮陛下男性1933年(昭和8年)
12月23日90歳父帝/
昭和天皇第一皇男子
(二男五女のうち第五子)
上皇后[注 1]
(第125代天皇后)美智子みちこ陛下女性1934年(昭和9年)
10月20日89歳母后
旧姓:正田(しょうだ)第4位
出典[22]
宮家詳細は「宮家」を参照

宮家(みやけ)とは、日本において、宮号を賜った皇族の一家のことである。親王およびの家を指すこともある。現在、4つの宮家がある。

宮(みや)とは、元々、天皇および皇族の邸の事を指し、転じて住んでいる皇族のことを指すに至った。さらに、親王の身位とともに「○○宮」との称号(宮号)を世襲することが認められる例が生じ、これが「宮家」と呼ばれるものであり、個別には宮号に応じて「○○宮家」と呼ばれることがある。ただし、現行法上はいずれも法的な根拠を持つものではない。「○○宮」の称号は宮家の当主たる(あるいは生前当主であった)親王・王個人の称号であり、その家族は用いない。

近世では傍系の四親王家(四世襲親王家)、近代から敗戦までは四親王家から派生発展した十一宮家(旧宮家旧皇族)を主に「宮家」、「皇族」と呼び、天皇家族とこれらの宮家を含めた構成が皇室であった[23]。「直宮家」、「世襲親王家」、および「旧皇族」も参照

宮家読み現当主創設創設者現人数備考
秋篠宮あきしの文仁親王1990年(平成02年)06月29日上皇(第125代天皇明仁)第二皇男子文仁親王4人直宮家
常陸宮ひたち正仁親王1964年(昭和39年)09月30日昭和天皇第二皇男子正仁親王2人直宮家
三笠宮みかさ崇仁親王妃百合子1935年(昭和10年)12月02日大正天皇第四皇男子崇仁親王4人直宮家
高円宮たかまど憲仁親王妃久子1984年(昭和59年)12月06日崇仁親王第三男子憲仁親王2人

秋篠宮家「秋篠宮」も参照

秋篠宮家(あきしののみやけ)は、上皇所生の直宮家、筆頭宮家。構成員4名。天皇の弟宮である当主の秋篠宮文仁親王は、皇嗣皇位継承順位1位)。皇室典範による皇位継承権たる皇族男子を2名以上有する宮家である。


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