皇太子
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なお、日本のメディアでは、欧州王室の女性王位継承者の身位について、「皇太王女」として表記したことがある[注釈 25]が、先述の通り、外務省では性別を問わず「皇太子」と表記している。
特定の儀礼称号を後継者に用いる例

ローマ帝国においては、皇帝は建前上世襲ではなく、「元老院、ローマ市民の代表者」とされていたため、皇太子にあたる地位はなかった。神聖ローマ帝国においても、もとは選挙王制であり、建前上必ずしも世襲ではなかった。ただし、ハプスブルク家が帝位を独占した後には、次期皇帝としての「ローマ人の王(Rex Romanorum)」の称号を自家の後継者に与えることで、帝位の事実上の世襲を維持した。これとは異なる称号であるが、フランス第一帝政ナポレオン1世も後継者ナポレオン2世を「ローマの王」に任命している。フランス帝政の影響で神聖ローマ帝国が解体し、ハプスブルク家領に世襲制のオーストリア帝国が成立すると、皇帝の後継者たる男子の公式の呼称が皇太子(Kronprinz)となった。サラエボ事件で知られるオーストリア=ハンガリー帝国フランツ・フェルディナント大公は、事実上の皇太子であったが、傍系であることや貴賤結婚によりその子孫には皇位継承権が許されなかったなどの事情から、皇太子とはあまり呼ばれず、皇位継承者(Thronfolger)と呼称された。

ロシア帝国では、皇太子に対して「皇帝(ツァーリ)の息子」という意味の語である「ツァレーヴィチ(царевич)」「ツェサレーヴィチ(цесаревич)」という呼称が用いられた。

イギリスでは、法定推定相続人にプリンス・オブ・ウェールズ(Prince of Wales)の称号が与えて立太子をした[注釈 26]。元々はウェールズの君主という意味の称号であるが、1301年エドワード1世がウェールズ人の反乱を抑えるため後継者にこの称号を与えて以降、皇太子の称号となった。

革命勃発による共和制移行以前のフランス王国では世継ぎに「ドーファン(dauphin)」の称号が与えられていた。元々はフランス南東部のドーフィネ(Dauphine)地方の領主の称号であったが、1349年に同地方を皇太子領に定めて以降、皇太子の称号となった。

このほか、以下のように、現存するくつかのヨーロッパの君主の法定推定相続人)には、爵位の形式による特定の儀礼称号が与えられるため、日本の報道などでは、これらの称号を皇太子と意訳している。

イギリス - ウェールズ公(Prince of Wales)

オランダ - オラニエ公(Prins/Prinses van Oranje)

スペイン - アストゥリアス公(Principe/Princesa de Asturias)(推定相続人にも与えられる)

ベルギー - ブラバント公(Duc/Duchesse de Brabant)

近年の女性皇太子たち

1980年のスウェーデンを初めとして近年のヨーロッパ諸国では、後継者問題や女性の地位向上などに伴い、継承順位を男女に係らず長子優先と転換する国が多く現れたため、これに伴い女性の皇太子(皇太女)も増加した。2019年5月現在、

オランダ - カタリナ=アマリア(オラニエ女公)

 スウェーデン - ヴィクトリア

スペイン - レオノール(アストゥリアス女公)

ベルギー - エリザベート(ブラバント女公)

の4名がいる。なお、原語では、女性の皇太子と皇太子の妃は同じ呼称(例:Crown Princess)となるが、女性の皇太子の夫は皇太子と同じ呼称を与えられない。例えば、スウェーデンのヴィクトリア王女の夫ダニエルは、Kronprins(皇太子、皇太子の夫)ではなく、単にPrins(王子、王女の夫)を名乗っている。
サウジアラビアの王太子「サウジアラビアの王太子」を参照

一夫多妻制により、初代国王のアブドゥルアズィーズ・イブン=サウードには王位継承権を持つ男子が35人いたため、第2代国王のサウード・ビン・アブドゥルアズィーズから第7代国王のサルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズまでの国王と、第7代国王の治世で最初の次期王位継承者となったムクリン・ビン・アブドゥルアズィーズまでの代々の王位継承者は初代国王の実子の異母・同母兄弟であり、王位継承順は兄から弟へと継がれてきた。しかし日本の外務省は、次期王位継承者が国王の弟であっても「王太弟」ではなく一律で「皇太子」と呼称していた[93]

また、2015年4月29日、サルマーン国王の勅命により異母弟のムクリンが廃太子となり、甥にあたるムハンマド・ビン・ナーイフが次期王位継承者に任命されたが、日本の外務省は同じく「王太甥」ではなく「皇太子」として呼称しており、国王の続柄と関係なく次期王位継承者を一律に「皇太子」と呼称している。

2017年6月21日、サルマーン国王の勅命により甥のナーイフが王太子から解任され、実子のムハンマド・ビン・サルマーンが王太子に任命された。これにより後に第2代国王となるサウードが1933年に王太子に就任して以来84年ぶりに国王の実子が王太子を務めることになった。

なお、サウジアラビアでは、2014年に王位継承順第2位の者の地位と称号が設けられ、ムクリン、ナーイフ、ムハンマドがその地位を継いで来たが、日本語ではこれを「副皇太子」、英語では「Deputy crown prince」と呼称している。2017年6月21日にムハンマド・ビン・サルマーンが副王太子から王太子に昇格したことで、以降は副王太子が空位となっている。
現在の世界の皇太子・王太子一覧詳細は「法定推定相続人#現在の法定推定相続人」および「推定相続人#現在の各国君主の推定相続人」を参照
脚注[脚注の使い方]
注釈^ a b 例えば、要人の来日についての報道発表において、スウェーデンの「Kronprinsessan」であるヴィクトリア王女について、「ヴィクトリア・スウェーデン王国皇太子殿下」としている[2]
^ a b 「女」は、性別を表す以外の用法として、“親から生まれた女”(すなわち娘)を意味する。「子息と息女」や「王子と王女」の例は、この用法による。
^ 安寧天皇孝霊天皇孝元天皇履中天皇の各即位前記にある[5]
^ 開皇元年(581年)の楊勇立太子の記事中「王太子勇為皇太子(王は太子勇を皇太子と為す)」の記述があり、別の条で「長子」である勇を「太子」とした上で、さらに「皇太子」と異なる意味で使っている[6]
^ 例えば、要人の来日についての報道発表において、ルクセンブルク大公国の公位継承者であるギヨーム大公世子について、「ギヨーム・ルクセンブルク大公国皇太子殿下」としている[12]


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