2019年(令和元年)5月1日から在位中の現在の日本の皇后については「皇后雅子」をご覧ください。
皇后(こうごう、英: Empress)、王后(おうごう、英: Queen)は、皇帝・天皇・国王の正妃(正妻)、およびその人物に与えられる称号[1][2]。
一夫多妻制のもとでは、天皇・皇帝・国王の複数の妻のうち最上位の者となる。 中国における君主号は、殷・周時代は「王」、秦代以降は「皇帝」であるが、それ以前の古い称号として「后」が存在した。王・皇帝に君主号が変遷して後、后はそれに次ぐ称号とされた。王、皇帝に次ぐ存在は王・皇帝の正妃ないし母親である事から、皇帝の正妃を皇后、皇帝の母親を皇太后と称するようになった。 語意からは、皇帝が「天」の権威に基づく称号であるのに対し、皇后は后土というように「地」に基づく称号である[3]。 正式な敬称は殿下。皇后の住居から中宮、長秋宮、椒房などの別称もある。口頭言語について、娘娘の敬称が使用されている。自称(謙称)は小童、小君。皇帝は皇后に対し、梓童、子童の愛称を用いたという。 正式名について、日本の皇室には、そもそも姓がなく、名字も当然ないが、中国の歴代王朝の君主は姓を持ち、皇后には原則として異姓の者がなった。中国の皇后は従って、皇后が出身した一族の姓で呼ばれ、唐朝第3代の皇帝である高宗の皇后は「武」の姓を持つ一族出身であったので、「武皇后」が正式名であった。また、皇后を諡号で呼ぶことも多い。 古からの礼服は?衣であり、深青色の衣裳である。キンケイを含む鳥の文様が配された。礼冠は十二花樹冠(唐以前)、および鳳冠(宋以降)で、それぞれ皇帝の礼服である冕服と礼冠である十二旒冕冠に対応している。皇帝の詔が「聖旨」と呼ばれているのに対して、皇后の詔は「懿旨」と呼ばれている。死亡を表す敬語は皇帝と同じ、「崩」と称されている。崩御後は「陵」に葬られる。皇帝と合葬するのが通例である。 陰陽五行説では男は陽、女は陰とされ、それぞれの頂点に皇帝、皇后がいるということになった。そのため、皇帝が三公九卿以下の官僚組織を擁するのと同様、後宮制度において皇后も三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻の3倍ずつ増加するヒエラルキーを擁していた。 成人した皇帝には即位前に嫡妻がいるのが普通で、その嫡妻は基本的に皇后として立てられる。ただし側妃の位に留まることもある(許平君、懿安郭皇后など)。幼帝が即位した場合に嫡妻が存在しなくなると、お妃候補は後宮に迎えられ、結婚と立后を同時に行われた。その結婚は「大婚」と呼ばれる(孝哲毅皇后など)。 皇帝が前妻との生別、死別後に宮外から後妻を新しく迎えられた例(慈聖光献曹皇后など)はありますが、既存の側妃から皇后に上り詰めたことが主流である。さらに新しい皇后を迎えることができなかった皇帝も多く、つまり継妻を持つことがない。唐の玄宗を例にとると、玄宗は王皇后を廃した後も、寵妃である武恵妃、あるいはもう一人の寵妃である楊貴妃を皇后に昇格しなかった。 中国の諸王朝では、実権を握った皇帝は自分の気持ちで立后する。格式の高い家の生まれから選抜されて皇后になることも多いが、身分の低い女性が皇帝に寵愛されれば、皇后になる可能性もある。庶民以下の人間にしては、芸妓、奴隷、流民出身の女性が皇后の座に就いたことも数例ある(趙飛燕、潘淑、神閔敬皇后など)。初婚でない例もあり、王皇后(前夫は一般人男性)、章献明粛皇后(前夫は一般人男性)、武則天(元は先帝の側妃)、羊献容(元は他国の皇后)など数名は再婚を経て皇后となった。 漢族王朝の皇后の定員は1名であった。異民族王朝には複数の皇后が存在している例がある。北周の宣帝には同時に5人の皇后がいて、遼の世宗にも同時に2人の皇后がいる(甄皇后、懐節蕭皇后)。 夫帝が崩御した場合、子の世代(実子、庶子、養子、甥)にあたる皇帝が即位すれば、皇太后になった。しかし同世代の皇帝が即位した場合、皇太后になるのではなく、先帝の皇后として尊号を与えられた(孝章皇后、孝静夏皇后など)。 また、正式な皇后として立てられたわけではないが、皇后に贈された例もある。礼法上の地位は一般的に正式な皇后より低い。皇后に追贈できる対象は、皇帝即位前に亡くなった嫡妻、皇帝の生母、皇帝の正妻格に相当する妃(別格の待遇を受けている寵妃、後宮のことを取り仕切っていた妃など)である。 最初の皇后は前漢の劉邦の后・呂雉である。最後の皇后は愛新覚羅溥儀の后・婉容である。皇后で最長の在位は明の万暦帝の后・王喜姐である(42年と42日)。最短の在位は清の康熙帝の后・孝懿仁皇后である(1日)。最長寿の皇后は前漢の元帝の后・王政君である(84歳)。 日本 称号:皇后 皇室典範に定められた敬称は「陛下」(第23条)。現代のテレビや新聞等のマスメディアや報道機関、書籍、政府機関などでは、正式な敬称をつけた「皇后陛下(こうごうへいか)」とともに「皇后さま(こうごうさま)」という表記も見られる。 また、歌会始では「皇后宮御歌(きさいのみやのみうた)」と大和言葉の「皇后宮(きさいのみや)」が使われる。 また、マスメディアによる報道や政府機関等では夫(配偶者)である天皇とともに「天皇皇后両陛下」(てんのうこうごうりょうへいか)、または単に「両陛下」(りょうへいか)という呼称を用いるのが慣例となっている。 立后(りつごう)には皇室会議の議を経ることが必要である(第10条)が、すでに皇嗣の妃(親王妃または王妃)である場合、夫帝(親王または王)の即位に伴って皇后となる。内廷皇族に属する。 摂政・国事行為臨時代行・皇室会議議員の就任権が認められている。 崩御後は陵に葬られる(第27条)。貞明皇后(大正天皇后)以降、皇后または皇太后が崩御した際には、「◯◯皇后」と追号されるのが慣例となっている[注釈 1]。 式典、儀式においては、常に天皇の左側(向かって右)に位置する。古来、向かって右側が上位であったが、近代になって、西洋式に向かって左側が上位に改められたことによる。この並び順は、3月3日の桃の節句(ひなまつり)におけるひな人形の飾り方にも影響を与えている。 皇后の務めの一つとして、近現代において代表的な公務である日本赤十字社名誉総裁職の他に、養蚕が挙げられる。『日本書紀』にも、皇后が養蚕を行ったという記述があり、近代・現代の皇室において昭憲皇太后(明治天皇后)によって復活させた。以後、貞明皇后(大正天皇后)、香淳皇后(昭和天皇后)、美智子(第125代天皇明仁后)、雅子(第126代天皇徳仁后)と、近代から現代に至るまで歴代皇后に引き継がれている[5]。
中国の皇后
概念
名称・呼称
文化
宋の皇后の?衣と鳳冠
現代に復元された明の皇后大礼服(正面向き)
現代に復元された明の皇后大礼服(横向き)
歴史
日本の皇后
現代における概要
皇后
皇后旗
在位中の皇后
第126代皇后
雅子
2019年(令和元年)5月1日より
詳細
敬称陛下
初代光明皇后
成立729年(天平元年)
宮殿皇居
(東京都千代田区)
ウェブサイト宮内庁
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敬称陛下
Her Majesty the Empress[4]/
Her Imperial Majesty(H.I.M.)