百瀬晋六
自動車雑誌のインタビューに於いて元プリンス自動車の櫻井眞一郎は「百瀬さんも戦後間もなくやる事がなくてアルミ板の廃材を拾ってきて弁当箱を作って“遊んでいた”様だ」と回想している。またスバル退社後には妻の岱子に自ら設計、製作した裁縫箱をプレゼントしている。単なる設計屋に留まらず、モノ作りの技術も兼ね備えていた事が窺える。
身長は180cm台で、大正時代生まれの日本人としてはかなり長身であり、かつ足長であった。このため、全長3メートル未満のスバル・360開発で大人4人が乗れるスペース確保を検討した際には、自身がモックアップ内に出入りすることでダミーの代役になり、十分な居住性確保に役立てたという。
脚注
注釈[脚注の使い方]^ 戸籍上は旧字の「百P」。
^ 同車の基本レイアウトは2012年の自社開発車まで継承された。
^ この時点で百瀬は自動車設計の第一線から外れたが、これにより日産自動車と提携後のレオーネ・レックスなどの富士重工の製品から、360や1000のような独創性や簡潔なスタイリングの魅力が失われたと言われている。
出典[脚注の使い方]
関連項目
富士重工業
スバル・1500
スバル・360
スバル・1000
参考文献
⇒特定非営利活動法人 日本自動車殿堂
『スバル360を創った男』百瀬晋六刊行会 2001年刊
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