しかし、CBS方式にはアメリカの無線工業会など業界団体が反発し、カラーテレビ受信機の生産を中止[1]。CBSは無線機メーカーを買収して受信機生産を行い対抗したが、朝鮮戦争の勃発により防衛動員局が新規のカラー受像機の生産を中止させたためカラーテレビの放送は3か月で終了となった[1]。
1953年7月にNTSCがカラーテレビ標準規格を定め、12月にFCCがアメリカの標準方式をNTSC方式とすることを正式決定[1]。1954年からカラー放送が本格的に開始された[1]。 日本では1953年2月1日にNHK東京で本放送が開始され、8月28日には、民間のテレビ放送会社の日本テレビが開局した。当初は非常に高価なものであったため[注 1]、日本テレビは街頭テレビを大量に設置して、CM収入によるビジネスモデルを成立させた。 その後、1950年代後半から1960年代前半にかけて一般家庭に普及していったが(特に1959年の皇太子明仁親王と正田美智子の結婚の儀は、普及の大きなきっかけとなった)、この間1960年にカラー本放送が始まり、1960年代後半からカラー化の波に押されるようになる。1970年代に入るとほとんどの番組がカラーで放送されるようになり、1971年10月10日にはNHK総合での放送を全面的にカラー化し、翌1972年にはNHKのカラー契約数が普通契約(白黒テレビ用契約)数を上回った。わずかに残った白黒制作での番組も1977年9月30日のNHK教育での放送が最後となり、以降は再放送等を除きカラー放送に完全移行した。NHK受信料の白黒テレビ用契約(普通契約・衛星普通契約)も2007年9月末で廃止となった[注 2]。 現在のテレビ放送では、過去(1970年代前半頃まで[注 3])の映像などモノクロで収録された映像媒体を放映する場合や、演出上の意図といったごく限られたケースを除き、白黒放送は行われていない[注 4]。ただし、白黒テレビ単体での放送視聴は2011年7月24日のアナログ放送停波(岩手県・宮城県・福島県は2012年3月31日、デジアナ変換付環境であれば最長2015年4月30日)まで可能であった。また、RFモジュールを介してデジタルチューナーに接続すればデジタル放送の視聴も可能である。 ラテカセ・ポータブルテレビにおいては、前者が1980年代(昭和期)まで、後者が平成期を含む1990年代まで白黒タイプも製造・販売されていた。また、UHF受信回路を備えない機種(VHF専用)も、1980年代まで生産されていたこともあった。「TVチューナー#UHFコンバータ」も参照
日本
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 価格は20万円 - 25万円と、当時の一般会社員の年収数年分に匹敵していた。
^ 暫定的に旧普通契約者は旧普通契約料金が適用されていたが、この措置は2007年12月末に廃止された。
^ 1960年代後半以降、主要な番組はカラー制作が主流になったものの、当時のマスターテープが使い回しの一般的な2インチVTRであったために現存しておらず、キネコや家庭用ビデオなどで録画されたモノクロ映像しか残っていないケースも多い。
^ モノクロで収録された番組の再放送を行う場合、白黒放送であることを番組冒頭などでテロップ表示する場合がある。
出典^ a b c d e f g h i j k l m ⇒カラーテレビのあゆみとカラーの信号 受信サービス、2017年6月2日閲覧
^ a b c ⇒テレビ今昔物語 ガラス産業連合会、2017年6月2日閲覧
関連項目
カラーテレビ
レトロニム