白頭山
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冬の山頂の天池長白瀑布

頂上には天池と呼ばれるカルデラ湖がある。満洲を潤す松花江、および中国と北朝鮮の国境である鴨緑江豆満江はこの山を源と発している。天池は周囲12kmから14kmで水深の平均は213m、一番深い部分は384mとなっている。10月中旬から6月中旬までは天池はに覆われる。

天池の周りは2,500mを超す16つのが取り囲んでいる。その最高峰は将軍峰であり一年の8ヶ月はに覆われている。

天池から北に出る川があり、出てすぐのところで落差70mの長白瀑布を形成している。
山麓
白頭山の北麓

山麓は、朝鮮側は朝鮮半島摩天嶺山脈などの高原地帯、中国側はなだらかな傾斜が東北平原まで続く。

山麓の植生は多様で、高度によって落葉樹林温帯広葉混交樹林針葉樹林ヒメカンバの林と高山ツンドラがそれぞれ分布する。山脈にはヤチダモチョウセンゴヨウチョウセンカラマツオウシュウトウヒなどの木が多く生えており、山麓にはアムールトラコウライアイサが生息し[8][9]ヨーロッパクサリヘビの隔離された個体群も細々と生息している。

1979年に中国境内の部分が「長白山生物圏保護区」、1989年に北朝鮮境内の部分が「白頭山生物圏保護区」としてユネスコ生物圏保護区にそれぞれ登録された[8][9]

中国側の山麓では、朝鮮人参の中国版とも言える長白山人参(又は中国産朝鮮人参)が栽培され、日本などに輸出されている。この他、中国側では様々な薬草が栽培されている。
地滑り地形

約1300年前の噴火活動の結果として山腹には、幅200mを超える地滑りの痕跡が多数見つかっている[10]。特に、天池の火口壁周辺には地滑りの前兆とみられる亀裂が多数あり、将来白頭山近傍で発生するあらゆる地震動は斜面崩壊を誘発する危険性があり斜面災害の発生が懸念される、と指摘されている[10]
気候

白頭山の気候は基本的にモンスーンの影響を受ける温帯大陸性気候であるが[8]、非常に移り気である。山頂の年平均気温は摂氏マイナス8.3度である。夏の間は18度に届く時もあるが、厳冬期はマイナス48度にまで下がる時がある。1月の平均気温はマイナス24度、7月の平均気温は10度であり、一年のうち8ヶ月は気温はマイナスにまで下がる。山頂の平均風速は秒速11.7m、12月には平均で秒速17.6mの強風となる。平均湿度は74%。
火山活動

近代的な火山研究が始まったのは1900年代以降で活動歴の解明は進んでおらず、研究者により様々な年代の噴火説が出されている。周辺国の歴史記録書に白頭山の火山活動を示唆する記述がある[11]

日本紀略によれば、893年。

三国史記によれば、917年。

李氏朝鮮時代の『朝鮮王朝実録』には、1413年、1597年、1668年に火山活動があったと解釈出来る記述があるが、実際に噴火したのは、1597年と1702年であるとする説もある[11]

1597年10月6日から8日にかけての噴火では、噴火に伴い発生した地震の震動がソウルでも感じられた[12]

946年の活動「946年白頭山噴火」を参照

白頭山は約1万年間の活動休止期間後の946年[13][14]に過去2000年間で世界最大級 (見かけ噴出量100km3, VEI-7[15])と推定される巨大噴火を起こし、その火山灰は偏西風に乗って日本の北海道東北地方にも降り注いだ(白頭山苫小牧テフラ(B-Tm)[16]。『興福寺年代記』に「(天慶九年)十月七日夜白灰散如雪」とあり、ユリウス暦946年11月3日におそらく奈良で降灰があったことが示唆されており、これがB-Tmである可能性が指摘されている[17]。また、奈良から北に約100kmに位置する水月湖のSG06コアでも、SG06-0226火山灰がB-tmに対比されており[18]、水月湖で降灰があったことを裏付ける。

噴出物の地質調査結果[19]によれば活動は6ステージに分けられる。
A:一連の活動に先立った活動と考えられ、二道白河泥流堆積物を形成した活動で、現在の二道白河最上流部で大崩壊が発生。

B:プリニー式噴火による白頭降下軽石層。白頭山の東方向から東南方向に堆積している灰白色粗粒降下軽石層を形成。

C:長白山火砕流堆積物を形成する活動で破局的噴火。珪長質軽石を主成分とし平均堆積厚数メートルで山体の周辺に広く分布する。総体積は、10km3と推定されている。

D:両江火山砂礫層。AとCの活動による噴出物が北麓に堆積し、洪水・氾濫により段丘を形成している。山頂から70kmの距離で10m程度の堆積厚が確認された場所もある。

E:円池降下軽石・火山灰層。山頂から東方向に分布する軽石・火山灰層を形成した活動。砂が風によって移動し各所に砂丘が形成されている。

F:北麓の海抜1100m以上に分布する白山火砕流堆積物を形成した活動。

2000年以降の活動

2002年から2005年頃まで周辺で群発地震が散発的に発生し、地割れや崩落が起き山頂の隆起が観測されていた[20]。更に、2006年には衛星画像の解析から山頂南側で温度上昇が観測され、ロシア非常事態省は、白頭山に噴火の兆候があると発表している[21]。2002年以降、地震の回数が以前よりも約10倍に増加。頂上の隆起・カルデラ湖や周辺林からの火山ガスの噴出が確認されている。

その後の2010年、アイスランドエイヤフィヤトラヨークトルが噴火し、翌2011年3月には東北地方太平洋沖地震が発生した。これを機に、学界で893年の噴火[22]を引いて、影響が広域に渡り、今後噴火する懸念がある火山として提起され注目を浴びた[23]。10世紀以降、すべての噴火の記録は詳細ではないが、おおよそ活動間隔は約100年程度とされており[24]、また10世紀での規模で噴火すれば、その規模はエイヤフィヤトラヨークトルの約1000倍となり、極東地域では甚大な被害が予想され、4、5年以内に噴火する懸念があるとして大韓民国気象庁が対策に乗り出したとされた[25]。さらに2017年に白頭山に近い豊渓里北朝鮮が大規模な核実験を行ったことも不安を助長した[26]
歴史

白頭山は渤海が滅亡する926年までは渤海領であり、その後は渤海を滅ぼした契丹)の領土になった。その後はの領土、モンゴル帝国の領土と変遷していった。

朝鮮人が白頭山を領有するようになったのは李氏朝鮮世宗(在位:1418年 - 1450年)の時代になってからであり、世宗は鴨緑江・豆満江沿いの要塞化を進め、白頭山は朝鮮民族と北方民族との境界となった。
白頭山信仰
朝鮮民族

白頭山は周囲に住む民族から崇拝を受けてきた。文化信仰としてはまず、韓国でも北朝鮮でも、『三国遺事』が引用する「朝鮮古記」による「檀君神話」が国定教科書で教えられていて、最初期の朝鮮国が白頭山で起こり、その後、平壌に遷都したので、白頭山は「朝鮮民族の揺り籠」であると多くの人が信じている。


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