雑誌「新青年」は、1915年の創刊で、主な執筆者は、魯迅 、胡適、周作人など北京の知識人とりわけ北京大学教授陣で占められ、民主と科学を標榜し、儒教イデオロギーを批判して全面欧化論を唱えていた[7]。文学革命は、この「新青年」により実行されたのである[7]。そして同年から「新青年」の紙面のほぼ全部で白話文が採用されるようになり、白話運動は劇的に進行する[8]。 文学革命は、単に文言を排して白話を採用したというだけのことではない[8]。白話の採用だけなら、それ以前も通俗小説用として近世白話が用いられていたし、大衆啓蒙としての白話報や白話叢書も発行されていた[8]。しかし、文人相互の間では全く正統な文体として認められていなかった[8]。文学革命は、そのような白話に正統的な地位を与えたという意味で画期的である[8]。
文学革命の意義
出典^ 中島(2005年)107ページ
^ a b c d 藤井(2011年)69ページ
^ a b c 藤井(2011年)70ページ
^ a b c d e 齋藤(2012年)178ページ
^ a b c 井ノ口(2012年)171ページ
^ 井ノ口(2012年)172ページ
^ a b 藤井(2011年)71ページ
^ a b c d e 伊藤(2005年)99ページ
参考文献
村田雄二郎、C・ラマール編『漢字圏の近代- 言葉と国家』(2005年)所収、中島隆博「6鬼を打つ-白話、古文そして歴史-」
藤井省三「魯迅-東アジアを生きる文学」(2011年)岩波新書
井ノ口哲也著『入門中国思想史』(2012年)勁草書房
村田雄二郎、C・ラマール編『漢字圏の近代- 言葉と国家』(2005年)所収、伊藤徳也「5近代中国における文学言語」
岡本隆司・吉澤誠一郎編『近代中国研究入門』(2012年)東京大学出版会所収、齋藤希史「第6章文学史」
関連項目
新文化運動
白話小説
白話詩
白話字