非鳥類型恐竜の絶滅によって空いたニッチを埋めることで、K-Pg境界以降も鳥類は長期的に生き残ることができた[62]。K-Pg境界後はニッチに空きが多く、捕食者も少なくなっていたため、鳥類の適応放散が活発に起こった。たとえば平胸類は、古第三紀初期に急速に多様化する中で、少なくとも3回から6回にわたって飛行能力を失っており、それまで恐竜が占めていた大型草食動物のニッチの一部に進出していたと考えられている[29][99][100]。
鳥類以外の恐竜絶滅前に地球上に生息していたティラノサウルスの化石
科学者は今のところ、すべての非鳥類型恐竜がK-Pg境界で絶滅したという見解で一致している。恐竜の化石記録からは、白亜紀の最後の数百万年間の間に多様性が減少しているとも、多様性の衰退はなかったとも両方の解釈ができ、恐竜の化石記録の質は研究者が化石記録だけを見て単純に両者について判断するには十分ではない[101]。しかしマーストリヒト期後期の恐竜が穴を掘ったり、泳いだり、水中を潜ったりできるという証拠はなく、これはK-Pg境界で起こった環境変化による負荷から逃れられなかったことを意味している。小さな恐竜が少しの間生き残った可能性はあるが、草食恐竜の食料となる植物は不足し、その結果肉食恐竜の獲物も減るため長くは生きられない[62]。
恐竜の持つ内温性(英語版)についての理解が深まったことで、近縁種のワニと違って恐竜が完全に絶滅した理由への理解も深まった。変温動物であるワニは食料の必要性が限られており、数か月間食事なしでも生きることができるが、同じ体の大きさでも恒温動物である種は代謝が早くはるかに多くの食料を必要とする。したがって、食物連鎖の混乱の中で非鳥類の恐竜は絶滅し[32]、ワニは何種かが生き残った。この関係と関連して、体長の小さい鳥類や哺乳類のほうが生き残ったことも、様々な要因がある中の1つとして、必要とする食料が少なく済んだことと因果関係があるとされている[102]。
恐竜の絶滅は徐々に進行したのか、一気に進んだのかは、化石記録からはどちらともとれるような証拠が得られてきたため議論がされてきた。2010年にヨーロッパのピレネー山脈にある29の化石サイトを調査した結果からは、小惑星の衝突までは100種以上の多様な恐竜が生存していたとわかっている[103]。より最近の研究では、この数字が化石生成のされやすさの違いによるバイアス(英語版)や大陸の化石記録の少なさから曖昧なものであるとされており、地球規模の生物多様性を推定した結果当時生きていてK-Pg境界で絶滅した恐竜の種を628から1078種と推計値を更新している[104]。そしてこの恐竜はK-Pg境界において突然絶滅したとしている。
一方で、カナダアルバータ州レッドディア川沿いの化石に基づく研究では、非鳥類型恐竜が徐々に絶滅していったという見解が示されている。そこにある白亜紀の最後の1000万年分の地層から、恐竜の種の数はその間に45から12になったと示され、ほかの研究者も同様の結果を出している[105]。
さらには、「暁新世にも生きていた恐竜」がいるとの説を提唱する研究者もいる。この説は、北アメリカ西部にまたがる亜紀後期と暁新世の地層であるヘルクリーク累層において、K-Pg境界層から最大1.3m(4万年新しい層に相当)上の地層から恐竜の化石が見つかったことに基づいている[106]。また、アメリカコロラド州のサンファン川(英語版)のオホアラモ累層で見つかったハドロサウルスの大腿骨化石と一緒に見つかった花粉から、この恐竜がK-Pg境界から100万年後に相当する今から6450万年前の新生代にも生きていたとされている。もし本当にこの種がK-Pg境界後しばらく生き残っていたことが分かればこの化石は“Extinction debt(英語版)”と見なされる[107]。しかし実際のところは、この化石は元の場所から侵食され、ずっと後に再び堆積した(化石の再生産として知られる)という見解が多くの科学者間では一致してなされている[108]。 コリストデラ目
コリストデラ類
哺乳類(英語版)[111]、ゴンドワナテリウム類(英語版)[112]などを含め全てK-Pg境界を越えても生き残ったが、大きな損失を被った種もあった。特に、後獣類は北米からは完全に姿を消し、アジア地域のデルタテリディウム目(英語版)(デルタテリディウムなどを含む)はGurbanodeltaの系統を除き絶滅した[113][114]。北アメリカのヘルクリーク累層では、知られている10種の多丘歯目・11種の後獣類のうち半分ほどが、K-Pg境界を越えると見つからなくなった[101]。それでもヨーロッパや北アメリカの後獣下綱は比較的ダメージが少なく、暁新世に入ってすぐに回復したが、アジア地域の後獣下綱はより深刻で、この地域の哺乳類の動物相の主要な構成要因となることは二度となかった[115]。最近の研究では、後獣類がK-Pg境界で最も甚大な影響を被り、次に多丘歯目が続き、真獣類が最も早く回復したとされている[116]。
哺乳類の種はK-Pg境界のおよそ3000万年前から多様化し始めたが、この多様化はK-Pg境界で行き詰まった[117]。恐竜の絶滅によって恐竜が占めていた生態学上のポジションはがら空きになったにもかかわらず、哺乳類はK-Pg境界を越えて全体としては爆発的な多様化を起こさなかった[118]。翼手目(コウモリ)や鯨偶蹄目(現在のクジラやイルカ、偶蹄目など)はK-Pg境界後に多様化したと解釈されていたが[118]、最近の研究だと実際にK-Pg境界直後に多様化したのは有袋類だけであると結論付けられている[117]。
K-Pg境界時点の哺乳類の大きさはラット程度と小さく、そのおかげで環境変化からうまく逃れることができた。