白井松次郎
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曽祖父・森田伝四郎 - 薩摩藩士。幕末に浪人となり、江戸で植木職人をしていた[8]。帰郷の途中、貧しさから、長男・栄吉を京都三条大橋近くで旅館「加賀屋」を営んでいた大谷藤兵衛の養子に出した[8]

実父・大谷栄吉(1901年没) - 花相撲(本場所以外の相撲興行)の興行師。養子先の旅館が倒産したため職を転々としたのち、当時京都で人気だった力士「花の峰」と知り合い、花相撲で働くうちに、花相撲の水場の株(場内を回りながら 商品を客に販売する権利)を持っていた西村熊吉の娘しもと知り合い、結婚した[2][9][8]。1892年(明治25年)に新京極の東向座の水場の権利を手に入れ、劇場の金主にもなり、1895年には同じく新京極の阪井座の金主となった。

養父(岳父)・白井亀吉 - 寿司屋「三亀」を本業に、京都新京極「夷谷座」の水場の権利も持つ[9][10][11]。代々薬種商[12]

双子の弟・大谷竹次郎

弟・白井信太郎 - 末弟だが1914年に養子にした。新興キネマ社長、松竹副社長などを務めた。[13]

妻・ヤエ - 白井亀吉の二女[14]。『人事興信録』では9版(1931年)まで掲載あり、京都・大久保伝右衛門の長女と記載されている[15]。1897年に結婚[2]

次男に日本映画製作者協会第5代理事長などを務めた松竹プロデューサーの白井昌夫[1][16]

脚注[脚注の使い方]^ a b 白井松次郎『人事興信録. 第13版(昭和16年) 上』 (人事興信所, 1941)
^ a b c d e f 大谷竹次郎 神奈川県立図書館 2018年7月9日閲覧。
^ 国民の基礎知識 四七六頁
^ 判決要録 27巻(昭和12年版) 法曹日誌(四月)十六-一七頁
^ 毎日年鑑 昭和13年 三一五頁
^ 判決要録 27巻(昭和12年版) 法曹日誌(一月)二頁
^ 官報 1939年7月31日 一一〇九頁
^ a b c 『新版大谷竹次郎』田中純一郎、時事通信社、1995年、p7
^ a b 芸能文化の振興のために 白井松次郎、大谷竹次郎鹿児島県
^ 白井松次郎コトバンク
^ 京都市新京極 夷谷座文化デジタルライブラリー、独立行政法人日本芸術文化振興会
^ 白井松次郎『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
^ 白井信太郎『人事興信録. 第13版(昭和16年) 上』 (人事興信所, 1941)
^ 『新版大谷竹次郎』田中純一郎、時事通信社、1995年、p19
^ 白井松次郎『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
^ 協会について日本映画テレビプロデューサー協会

外部リンク

『白井松次郎
』 - コトバンク

『白井 松次郎』 - コトバンク


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