前218年、ハンニバルは第二次ポエニ戦争において、6万人の兵と37頭のゾウとともにピレネーやアルプスの山脈を越えたとされている[5]。
125年にローマ帝国のハドリアヌス帝は朝日を見るためにエトナ火山に登った[10]。 ヨーロッパ近代の精神が、山に登ることそのものに喜びを見出す近代登山に道を開いた[4][注 3]。イタリアの詩人ペトラルカがその先駆けとなった[4]。1336年、ペトラルカはフランス南部のアビニョン近郊のモンバントゥーに登った[5][1][4]。これが、山頂からの眺望を得るために登山をした最初の記録とされる[1][4]。その後ペトラルカは、このときの旅程を友人に手紙に書き留めて送っている。このことから、ペトラルカは「登山の父」と呼ばれ、この日を登山の生まれた日としている。これは、文化史家のヤーコプ・ブルクハルトの『イタリア・ルネサンスの文化』の中で紹介されている。旅の途中での必然的な山越えではなく、山に登ること自体を目的として試みられた近代最初の出来事である。[要出典] ルネサンスの始まりとともに趣味やスポーツとしての登山が行われるようになった。また、測量目的の登山も行われるようになり、フランス王シャルル8世が1492年にエギーユ山
ルネサンス期から18世紀前半
近代登山の始まりモンブランを見つめるM.G.パカールの像J.バルマとH.B.deソシュールの像
18世紀後半、アルプス最高峰のモンブラン登頂が達成されたことが、近代的登山(近代登山、スポーツとしての登山[1][4])の幕開けとなった[11][1][4]。1760年、自然科学者オラス=ベネディクト・ド・ソシュールがシャモニーを訪れ、モンブラン初登頂を成し遂げた者に賞金を出すと宣言し、それに応える形で1786年にミシェル・ガブリエル・パカール(英語版)およびジャック・バルマ(英語版)が登頂に成功した[11][1][4][注 4]。 19世紀に入って、ヨーロッパ・アルプスの登山は盛んになった[11]。特にイギリス人によってアルプス黄金時代がもたらされ、登山技術の面でも急激な進歩があった[11]。マッターホルン(4,477m)は従来、登ることが不可能と見なされていたが、1865年7月14日にエドワード・ウィンパーが登頂に成功した[11][12]。1857年には世界で最初の登山団体となるイギリス山岳会が設立された[11]。
アルプス黄金時代