発泡酒で醸造タイプは長期間途絶えたが、混合タイプは既存メーカーから僅かに商品化された。1983年(昭和58年)にアサヒビールが発売した「Be」はビールとジュースを混合した発泡酒で、カクテルの様に色がついていたことや、アルコール度数が2%だったこともあり「ビールタイプのライトカクテル」として発売された。ピンク・グリーン・パープルの3色に染められたネコが白いグランドピアノの前で戯れるCMが当時話題を呼んだ。1986年(昭和61年)にサッポロビールが東海四県限定で「ビヤカクテル バンブー」を発売。しかし、両商品とも短期間で販売終了した[16]。
1984年(昭和59年)にサントリーが発売した「ビーハイ」はその名の通りビールを焼酎で割ったもの[24]で、今日でいう「第三のビール:リキュール(発泡性)(1)」(もしくは「第四のビール」)のルーツ的な商品であったが、成果が出ず製造販売中止となった[24]。 1989年(平成元年)に酒類販売免許が緩和され、大型ディスカウント店でビールを扱うことができるようになった。これによりこれまでの小売店での希望小売価格での購入が減り、大店舗間での低価格競争が起こった。それらの競争は、卸売業者や生産メーカーへの値下げ要望となったのだが、そもそもビールはその小売価格のうち46.5%が税金で占められ、値下げは難しい商品であった(1990年代前半における日本国産ビールの一般的な価格は225円前後[25][26])。また、日本国産ビールの値下げが難しいため、日本国外の安い輸入ビールを取り扱う店が急増し、日本国内の大手ビール会社は危機感を募らせていた。 この状況に対し、日本国内のビール会社は価格と内容で対抗出来る商品の開発が急務であり[27]、麦芽使用量を抑えた酒類の研究・開発が進められていた[28][29]。当時の酒税法では麦芽の比率が67%(3分の2)以上のものをビール、それ未満は「雑酒 - 発泡酒」の区分けで、ビールに比べ税率は低い条件になっていた[26][28][30]。1990年代前半においてシェアが5%台と大苦戦していたサントリーは打開策として発泡酒の税率の低さに注目し、過去20年行われた低麦芽比率における発泡酒醸造の研究を活かし、日本人の嗜好に合う味と価格面でも支持を得るような新商品の開発を具体化させ[25][28]、麦芽比率の低下による香味への影響を原料・酵母・醸造技術で解決して商品化に至った[28]。
1990年代から2000年代中盤