発泡酒
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戦後も食糧不足が続き食糧管理法によりビールの製造も統制が行われたため、原材料で麦芽の使用が認められなかったことから、麦芽を使わない「合成ビール」と呼称されるビール類似の酒類開発が行われ、新規企業の太洋醸造が当時自由販売化していたイモとホップを使用したイモ・ビールの試験醸造を申請して認可され、1950年(昭和25年)から新発売され、日本の市販発泡酒第1号となったが、1年程度で終売した[14][17]1952年(昭和27年)、麦芽の原料になる大麦が統制緩和されたが、一部企業は原材料としての使用は引き続き制限されたまま[17]で、同年の合成ビールに関する特許は大日本麦酒以外にも12件登録されており、名称は「合成麦酒」「即製麦酒様飲料」「ビールの素」「麦酒代用飲料」が用いられていた[18]1950年代における、発泡酒の一般的な呼称は「合成ビール」「模擬ビール」「模造ビール」「原材料名+ビール(一例:イモ・ビール)」など、複数存在した[19]。1950年代前半から後半にかけて「ビーヤ」「ビール」の名を用いたビール風味の酒・飲料が複数存在し、引き続きイモを原料とした酒「イモ・ビール」、合成麦酒製造方法で作った酒「ファミリー・ドリンク・ビール」「クイック・ビール」「即席ビール」、果実酒にホップと炭酸ガスを加えた酒「ミュンヘンビール」「リンゴビール」、焼酎割りを前提とした清涼飲料水「新ビール・ミックス」などがあった[18]1953年(昭和28年)、発泡酒に一定量までの麦芽の使用が認められるようになったこと、ビールの需要増加と焼酎と合成清酒の需要減退、ビールよりも参入コストと税金が少なく抑えられる利点があったことにより、参入障壁の高いビールを避けて発泡酒に参入する企業が現れた[16][19]。1950年代から1960年代に複数社から、この種の酒が製造・販売されていた。しかし、多くの会社は数年で撤退し、協和?酵工業(現・協和発酵キリン)1960年に発泡酒「ラビー」を発売して当初は好調であったが冬になると出荷が激減し[20]、ライナービヤーは1959年11月14日に既存ビール会社からビールと紛らわしいと不正競争防止法で訴えられ、1965年6月4日に最高裁判所の判決で既存ビール会社が勝訴したことから事実上販売を差し止められた[21][22]。また、1957年昭和32年)にビール業界に宝酒造が参入したが苦戦、1967年(昭和42年)にビール事業から撤退[23]1964年にはサントリーが発泡酒事業ではなくビール事業に参入し、日本のビール庫出数量は1000万を突破してビール各社が品質・販売数量を競争する時代に突入した[22]。これらの要因などから「ビールに対抗して発泡酒を売るのは難しい」と考えられ発泡酒事業ブームは終了し、発泡酒は酒税法で定義されているものの長期間参入する企業がない状況が続き、醸造タイプの商品は1990年代中盤まで途絶え、休眠状態のジャンルとなってしまう[16][22]
1980年代

発泡酒で醸造タイプは長期間途絶えたが、混合タイプは既存メーカーから僅かに商品化された。1983年(昭和58年)にアサヒビールが発売した「Be」はビールとジュースを混合した発泡酒で、カクテルの様に色がついていたことや、アルコール度数が2%だったこともあり「ビールタイプのライトカクテル」として発売された。ピンク・グリーン・パープルの3色に染められたネコが白いグランドピアノの前で戯れるCMが当時話題を呼んだ。1986年(昭和61年)にサッポロビール東海四県限定で「ビヤカクテル バンブー」を発売。しかし、両商品とも短期間で販売終了した[16]

1984年(昭和59年)にサントリーが発売した「ビーハイ」はその名の通りビールを焼酎で割ったもの[24]で、今日でいう「第三のビール:リキュール(発泡性)(1)」(もしくは「第四のビール」)のルーツ的な商品であったが、成果が出ず製造販売中止となった[24]
1990年代から2000年代中盤

1989年平成元年)に酒類販売免許が緩和され、大型ディスカウント店でビールを扱うことができるようになった。これによりこれまでの小売店での希望小売価格での購入が減り、大店舗間での低価格競争が起こった。それらの競争は、卸売業者や生産メーカーへの値下げ要望となったのだが、そもそもビールはその小売価格のうち46.5%が税金で占められ、値下げは難しい商品であった(1990年代前半における日本国産ビールの一般的な価格は225円前後[25][26])。また、日本国産ビールの値下げが難しいため、日本国外の安い輸入ビールを取り扱う店が急増し、日本国内の大手ビール会社は危機感を募らせていた。

この状況に対し、日本国内のビール会社は価格と内容で対抗出来る商品の開発が急務であり[27]、麦芽使用量を抑えた酒類の研究・開発が進められていた[28][29]。当時の酒税法では麦芽の比率が67%(3分の2)以上のものをビール、それ未満は「雑酒 - 発泡酒」の区分けで、ビールに比べ税率は低い条件になっていた[26][28][30]。1990年代前半においてシェアが5%台と大苦戦していたサントリーは打開策として発泡酒の税率の低さに注目し、過去20年行われた低麦芽比率における発泡酒醸造の研究を活かし、日本人の嗜好に合う味と価格面でも支持を得るような新商品の開発を具体化させ[25][28]、麦芽比率の低下による香味への影響を原料・酵母・醸造技術で解決して商品化に至った[28]


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