ひとつには、自然科学的な習慣をそのまま持ち込んで、「定量的な分析」を志向し、数的な側面に着目する考え方、別の言い方をすると「正常 / 異常」という概念で分けようとする見解がある。
ある性質の集団の中での数的な分布で線引きしてしまおうとする考え方であり、統計分析の正規分布の母集団の分析における習慣を持ち込むものである。本当はどこまでが「正常」どこまでを「異常」とするかは統計学でも定義は無く、正式の統計学では、線引きの値は任意であり様々に設定可能、とされている。だが、そうした任意の値の中から便宜的・習慣的にしばしば用いられている設定「2×D」を(あまり確かな理由もなく、半ば強引に)採用しておいて、「標準値からプラスマイナス2×SDまでの差を正常、それ以上のずれは異常(なので疾患)」として、「疾患とは全体の5%未満に見られる形質・状態で、正常とは残りの約95%こと」と一律に定義してしまおうとする例がある。しかしこのように「集団内での数的な分布」を「病気」の定義として流用してしまうと、日本で約1000万人が難儀している糖尿病や、数多くの合併症をもたらす肥満までも「正常」とすることになってしまい、また一方で、特に基礎疾患がなく偶然的に高身長となった人で元気に生活している人までが 「病気」に分類されてしまうという問題が生じる。すなわち、異常(統計的に数が少ない状態)であれば病気であるとも言えないし、病気であれば異常である、などとも言い切れず、統計的手法によって病気を定義しようとする試みには無理があるのである[要出典]。 逆に、質的な記述あるいは定性的な記述で病気を一般化して定義しようとする試み・立場がある。 ひとつには本人の認識している状態(あるいは本人の主観的経験内容)を重視し、病気の定義を「本人が心身に不都合を感じ、改善を望むような状態」、あるいは「本人あるいは周囲[注釈 1] が心身に不都合を感じ、改善を望むような状態」とすることがある。 医師が疾患だと診断した人であっても、本人は生活上の問題を感じないことなどを理由に「自分は病気ではない。健康である」と述べていることがあり、あるいは「身体障害は障害(広い意味で疾病の一種)ではなく個性である」と言われることがあり、これらはその意味でも一理あることともいえる。また、医療従事者の立場でも、本人または周囲が治療の必要性を感じなければ病院を受診に来ることも無いので、このような定義でも実際上の問題は生じにくい。 ただし、これも突き詰めて考えてみると、医師が依存症・嗜癖や骨粗鬆症などと診断するようなケースでも上記のような認識のズレが生じていることがあり、医学研究の立場では本人や周囲の判断・価値観に関わらずに病気を定義し診断できるようにすることへの要求は存在する。 医師など医療産業 医療の領域で起きていることを、医療関係者の立場からも患者の立場からも離れて、客観的そして学問的に研究する医療人類学では、「病気(sickness)とは疾患(disease)と病い(illness)をあわせたもの」とする定義も提出されている[2]。疾患(disease)を"生物学的なもの"とし、病い(illness)は"主観的な経験のこと"、とする説明である。この説明方法を採用した場合、例えば、上記の糖尿病の例では、疾患の定義に当てはまる者は1000万人いるかもしれないが、慢性疾患で自覚症状が少ない初期では本人が「病い」と捉える人はごく少ない、という理屈になる。 冒頭に説明したように、何が病気であるかそうでないかを決めるのは容易ではない。各立場なりの見解があり、一般の人々の多くは自身の感覚で病気か否かを判断しており、ちょうど「本人が心身に不都合を感じ、改善を望むような状態」といった定義をそのまま当てはめるようなケースが一般的に見られる。医師の集団は医師なりの立場で、生物学に基づく見解を示したり統計を駆使するなどし、臨床医師では、目前に現れた患者の個別的な症状と、医学書に書かれている慣習的な判断基準とを見比べて便宜的に判断する等々、さまざまな運用が行われている。それらの見解は複雑に相互影響しあう[注釈 2]。 実際、臨床の現場では医師と患者の見解がしばしばずれたり対立することがある。上記では周囲は病気と判定しているが本人は病気とは思っていない例をいくつか挙げたが、逆に本人が病気だと感じているのに医師の側がそう認識しない、しようとしない、というケースもある。たとえば本人が身体に激痛や異常な感覚などを感じ明らかに何らかの病気だと直感しそれを訴えているにもかかわらず、医師の側ではCTやMRIなどの画像を見て、そのその検査とその医師の技量との組み合わせではたまたま何も見つけられなかったことを根拠に、「("客観的に見て" あるいは"生物学的に見て")疾患ではないでしょう。気のせいでしょう」などと告げて放置し、すっかり悪化したり死亡してから、事後的に他の医師によって誤診だったと判定されるようなケースもある。またステロイド皮膚症や各種の公害病、乳幼児突然死症候群の例に見られるように、その病気が存在するかどうか自体が学問的のみならず政治的にも問題となることもある。 病気を分類することは容易ではなく、またその分類は医学の変化に伴い頻繁に変更される。医学においては、一般に以下のような観点によって病気は分類される。 この節には複数の問題があります。改善 また、次のような分類が提唱されることもある[3]。 開業医や市中病院の医師が日常の診療で遭遇する「疾病」のほとんどは、上記で言えばカテゴリー1に属する[3](すなわち、医者・医療者がかかわらなくても治癒する病気である)。その比率は70?90%ほどであるという。岡本裕医師によれば、実際の計数結果は95%がカテゴリー1だったという[3]。
定性的に定義しようとする立場
医療関係者の主観を織り込もうとする試み
医療人類学での見解
社会的状況
分類
精神疾患か器質的疾患(生体組織自体の異常による疾患)か機能的疾患(生体組織の働き方の異常による疾患)による分類
病巣
原因による分類(感染性、心因性
病理的所見からの分類(良性、悪性、肉芽腫性
進行の様相による分類(急性、慢性、劇症、一過性、発作性など)
医療の要・不要による分類
ほとんどまたは完全に一つの出典に頼っています。(2023年8月)
独自研究が含まれているおそれがあります。(2023年8月)
カテゴリー1 : 医者がかかわってもかかわらなくても治癒する病気 (自然治癒力や本人の努力で治癒するもの)[3]
カテゴリー2 : 医者がかかわることによってはじめて治癒する病気[3]
カテゴリー3 : 医者がかかわってもかかわらなくても治癒しない病気[3]
(カテゴリー1と2の病気については)病気にも @当人が自分の力で治すことができるもの、と A自然治癒力も及ばず、医療従事者と連携をとり治癒をはかるとよいもの、の2種類があるということである[3]。@の当人が自分の力で治すことができる病気には、高血圧[注釈 3]、糖尿病、高脂血症、肥満病、痛風、便秘症、不眠症[注釈 4]、自律神経失調症などが挙げられる。 この節には複数の問題があります。
病気と健康