実際、臨床の現場では医師と患者の見解がしばしばずれたり対立することがある。上記では周囲は病気と判定しているが本人は病気とは思っていない例をいくつか挙げたが、逆に本人が病気だと感じているのに医師の側がそう認識しない、しようとしない、というケースもある。たとえば本人が身体に激痛や異常な感覚などを感じ明らかに何らかの病気だと直感しそれを訴えているにもかかわらず、医師の側ではCTやMRIなどの画像を見て、そのその検査とその医師の技量との組み合わせではたまたま何も見つけられなかったことを根拠に、「("客観的に見て" あるいは"生物学的に見て")疾患ではないでしょう。気のせいでしょう」などと告げて放置し、すっかり悪化したり死亡してから、事後的に他の医師によって誤診だったと判定されるようなケースもある。またステロイド皮膚症や各種の公害病、乳幼児突然死症候群の例に見られるように、その病気が存在するかどうか自体が学問的のみならず政治的にも問題となることもある。 病気を分類することは容易ではなく、またその分類は医学の変化に伴い頻繁に変更される。医学においては、一般に以下のような観点によって病気は分類される。 この節には複数の問題があります。改善
分類
精神疾患か器質的疾患(生体組織自体の異常による疾患)か機能的疾患(生体組織の働き方の異常による疾患)による分類
病巣
原因による分類(感染性、心因性、自己免疫性、医原病など)
病理的所見からの分類(良性、悪性、肉芽腫性など)
進行の様相による分類(急性、慢性、劇症、一過性、発作性など)
医療の要・不要による分類
ほとんどまたは完全に一つの出典に頼っています。(2023年8月)
独自研究が含まれているおそれがあります。(2023年8月)
また、次のような分類が提唱されることもある[3]。
カテゴリー1 : 医者がかかわってもかかわらなくても治癒する病気 (自然治癒力や本人の努力で治癒するもの)[3]
カテゴリー2 : 医者がかかわることによってはじめて治癒する病気[3]
カテゴリー3 : 医者がかかわってもかかわらなくても治癒しない病気[3]
開業医や市中病院の医師が日常の診療で遭遇する「疾病」のほとんどは、上記で言えばカテゴリー1に属する[3](すなわち、医者・医療者がかかわらなくても治癒する病気である)。その比率は70?90%ほどであるという。岡本裕医師によれば、実際の計数結果は95%がカテゴリー1だったという[3]。
カテゴリー3に分類される病気、つまり「不治の病」もまだまだ多い[3]。(例えば神経変性疾患、神経機能障害などはそれに分類される)
(カテゴリー1と2の病気については)病気にも @当人が自分の力で治すことができるもの、と A自然治癒力も及ばず、医療従事者と連携をとり治癒をはかるとよいもの、の2種類があるということである[3]。@の当人が自分の力で治すことができる病気には、高血圧[注釈 3]、糖尿病、高脂血症、肥満病、痛風、便秘症、不眠症[注釈 4]、自律神経失調症などが挙げられる。 この節には複数の問題があります。改善
病気と健康
ほとんどまたは完全に一つの出典に頼っています。(2023年8月)
独自研究が含まれているおそれがあります。(2023年8月)
病気の対義語は、一般に健康であると考えられている。
WHO(世界保健機関)は健康を次のように定義している。身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない
西洋医学風の用語で言えば、健康というのは恒常性が健全に保たれている状態、と言い換えることも可能であろう[6]。そういう観点からは、病気(疾病)というのは、恒常性が崩れてしまって元に戻らなくなっているか戻りづらくなっている状態だと考えると理解しやすい[6]。
さらに恒常性という概念を中国伝統医学の「未病」という用語で把握しなおしてみると、病気や健康という概念がより分かりやすくなる[6]。 伝統中国医学(中医)で「未病」と診断されるのは、検査で明らかな異常がなく、明らかな症状も無いが、少し調子の悪い状態で、病気になる前段階の、心身の微妙な変化を指している[6]。漢文訓読調でいえば「いまだやまいにあらざる」となる。「未病気」をキーワードにして、体の状態を分類してみると次のようになる。 これらの間にははっきりした境界はなく、連続的に移行している[6]。中国には昔から「上工治未病」(上工は未病を治す)という言葉がある。
未病
状態 1 :恒常性が健全に保たれている状態・・・健康[6]
状態 2 :恒常性が崩れかけている状態・・・未病[6]
状態 3 :恒常性が崩れ、そのままでは元に戻らなくなっている状態・・・病気[6]