疑似科学
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この言葉は、少なくとも18世紀後半から使われていたが(たとえば、1796年にジェームズ・ペティット・アンドリュース(英語版)が錬金術について言及している[13][14])、本物の科学や正しい科学とは異なるという意味での疑似科学という概念は、19世紀中葉に広まったようである。pseudo-science という言葉は、1844年の『Northern Journal of Medicine』第387号に掲載された記事で初めて使用された。

それ以前には、1843年にフランスの生理学者であるフランソワ・マジャンディーが、骨相学を「現代の疑似科学」であると称している[15][16][17]20世紀に入ると、この言葉は「科学的であると主張している一方で、実際には信頼できる実験的証拠に裏付けられていない、諸現象に関する説明」を軽蔑的に表すために用いられるようになった。しかし、社会文化的環境において、個人や組織の安全が脅かされていると認識された際に、より形式的で厳密な方法で用いられることもあった[18]
歴史詳細は「疑似科学の歴史(英語版)」を参照占星術で使用される黄道十二星座サイン

疑似科学の歴史(英語版)とは、疑似科学の理論を経時的に研究することである。疑似科学は、科学と呼ばれるべき基準を満たしていないにもかかわらず、科学であるかのように見せかけている一連の信念のことである[19][20]

適切な科学と疑似科学を区別することは、ときに困難である[21]。両者を区別するための提案の一つは、哲学者のカール・ポパーが提唱した「反証可能性」である[22]。疑似科学から科学に発展した分野も存在するため、科学史や疑似科学の歴史において、この2つを区別することは特別に難しい。その一例として、錬金術などの疑似科学的・前科学的研究に起源を持つ化学が挙げられる。

疑似科学の多様性は、科学史をさらに複雑にしている。占星術などの現代の疑似科学の中には、科学時代以前に生まれたものもある。また、ルイセンコ主義のように、イデオロギーの一部として、あるいはイデオロギーへの脅威と思われるものに対抗して発展したものもある。このようなイデオロギー的プロセスの例としては、科学的な進化論に対抗して作成された創造科学インテリジェント・デザインが挙げられる[23]
科学との関係

疑似科学は、科学的方法反証可能性、およびマートンの規範(英語版)などの科学的基準を遵守していないため、科学であると通常主張しているにもかかわらず、科学とは区別される。
科学的方法詳細は「科学的方法」を参照科学的方法は「仮説形成・予測・検証・問いかけ」の絶え間ないサイクルである。19世紀の典型的な骨相学の図表。1820年代、骨相学者は心は脳にあると主張し、心が非物質的な魂に由来することを疑ったため、批判を浴びた。頭蓋骨の「隆起」を読み取ることで性格を予測できるとした彼らの考えは、のちに否定された[24][25]。骨相学は、1843年に初めて疑似科学と呼ばれ、現在も疑似科学とみなされている[15]

ある知識・方法・実践が科学的であるかどうかの判断基準として、科学者は多数の基本原則を受け入れている。実験結果は再現性を持ち、他の研究者によって検証(英語版)されるべきである[26]。これらの原則は、実験が同じ条件下で測定可能な形で再現できることを保証し、所与の現象に関連する仮説または理論が有効かつ信頼できるかどうかを判断するために、さらなる研究を可能にすることを目的としている。基準では、科学的方法を全面的に適用し、無作為化、公正なサンプリング手順、研究の盲検化、およびその他の方法によってバイアスを制御、または排除することが要求される。実験条件や環境条件を含むすべての収集データは、精査と査読のために文書化され、追試や反証のためにさらなる実験や研究が行われることが期待される。また、有意性信頼性・誤差(英語版)[27]統計的に定量化することも、科学的方法の重要なツールである。
反証可能性詳細は「反証可能性」および「検証可能性」を参照

20世紀中葉、哲学者のカール・ポパーは、科学と非科学(英語版)を区別するために「反証可能性」という基準を強調した[28]言明仮説、または理論は、それらが誤っていることが実証される可能性を内包していれば、反証可能性を有している。つまり、それらを否定する観測や論証を考えることが可能であれば、反証可能性がある。ポパーは、占星術精神分析を疑似科学の例とし、アインシュタイン相対性理論を科学の例とした。ポパーは、非科学(: Nonscience)を、哲学的・数学的・神話的・宗教的・形而上学的な定式化、もう一方では疑似科学的な定式化に細分化した[29]

ある主張が反証可能であることの明確な必要性を示しているもう一つの例は、カール・セーガンの著書『悪霊にさいなまれる世界(英語版)』の中で、彼がガレージに飼っている不可視のドラゴンについて論じた際に述べられた。そこでは、このドラゴンが存在するという主張を否定する物理的な検証方法は存在しないことが指摘されている。いかなるテストを考案しようと、不可視のドラゴンには当てはまらないための理由があるため、最初の主張が誤りであることを実証できないのである。セーガンは次のように結論づける。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}さて、熱のない炎を吐き、肉体を持たず、目に見えない空飛ぶドラゴンと、ドラゴンが完全に存在しないことの違いはなんだろうか?

彼は、「私の仮説が誤りであることを示せないことは、それが真実であると証明することとまったく同じではない」と述べ[30]、そのような主張が真実であったとしても、それは科学研究(英語版)の範疇には入らないと説明した。
マートンの規範詳細は「マートンの規範(英語版)」を参照

1942年、ロバート・K・マートンは、真の科学とは何かを示す5つの「規範」を明らかにした。彼は、これらの規範のいずれかに違反している試みを非科学的なものと捉えた。なお、これらの規範は、科学界で広く受け入れられているものではない。

独創性: 実験や研究は、科学界に新しい何らかのものを提示しなければならない。

分離性: 科学者がその科学を実践する理由は、単に知識の拡大のためでなければならない。科学者は、ある結果を期待する私的理由を持ってはならない。

普遍性: ある人が他者よりも容易にテストの情報を得ることができてはならない。社会階級、宗教、民族、その他の個人的要因が、ある種の科学を受け取ったり、実行したりする能力に影響を与えるべきではない。

懐疑心: 科学的事実は信仰に基づいてはならない。すべての事例や議論に疑問を持ち、誤りや根拠に乏しい主張がないかを常に確認すべきである。

開放性: 取得した科学的知識は、すべての人に利用可能にすべきである。また、研究結果は公表され、科学界で共有されるべきである[31]

問題認識の拒否

1978年、哲学者のポール・サガード(英語版)は、疑似科学を科学と区別できるのは、主に長期間にわたって代替理論に比べて進歩がなく、提唱者が理論の問題点を認めず、対処しない場合であると提案した[32]。1983年、マリオ・ブンゲは、疑似科学と科学を区別するために、「信念の分野」と「研究の分野」の2つからなるカテゴリーを提案した。前者は主に個人的で主観的なものであり、後者は一定の体系的方法を伴うものである[33]。スティーヴン・ノヴェラ(英語版)などによる、科学的懐疑主義に関する書籍『The Skeptics' Guide to the Universe(英語版)』(2018年)では、疑似科学の大きな特徴の一つとして、批判に対する敵意が挙げられている[34]
用語に対する批判

ポール・ファイヤアーベントなどの科学哲学者は、科学と非科学を区別することは不可能かつ望ましいことではないと主張した[35][注釈 2]


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