番付
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^ 一時、1871年(明治4年)4月場所から1877年(明治10年)9月場所まで元の横二枚番付に戻る。
^ 実際には大関が1名または不在になることもありうるが、その場合は、大関1名の場合は東西どちらか1名(大関のいない方)の横綱が、大関不在の場合は東西両方の合わせて2名の横綱が、「横綱大関」として番付の表記上大関を兼ねることになっており、これまで定説としては、純粋な大関と、「横綱大関」と表記された横綱を合計すれば最低2名揃えなければならないものとされてきた。しかし、2023年3月場所の頃に現理事長の八角が示した見解によれば、大関空位時に関脇以下から強引にでも補充することに関しては否定的な見解を示していたため、今後は横綱と大関の合計人数が1人以下になってしまう可能性も否定できない。
^ 幕下付出の力士は実際の番付面に載らず、この定員にも含まれない。
^ 三段目付出の力士は実際の番付面に載らず、この定員にも含まれない。
^ 序ノ口より下で、前相撲を取る実際の番付面に載らない力士。
^ 枚数は26枚、26枚目は東のみ。
^ 1948年5月場所は東西21枚(他に三段目格の番付外1人)、1948年10月場所は22枚(22枚目は西のみ)。
^ 枚数は120枚、120枚目は東のみ。
^ 枚数は101枚、他に幕下格の番付外1人。
^ 江戸相撲の初期の番付では、本中・相中・前相撲が掲載されていないが六段編成のものもあった。その段の頭書は「同」(「前頭」の扱い)となっているが、その形式の番付が発行されていた当時は、他の段と待遇差で区別される地位として確立していなかったと思われる。
^ 1934年5月場所から1960年11月場所までは序ノ口と前相撲の中間の階級として存在していた。現在では「新序」の語は階級ではなく、前相撲に出場して一定の成績を修め翌場所序ノ口で本割に出場する権利を得た力士の身分を示すために用いられる。
^ 序ノ口と前相撲の中間にかつて存在した階級。江戸相撲の最初期の番付には掲載されていた。1973年(昭和48年)廃止。
^ 序ノ口と前相撲の中間にかつて存在した階級。江戸相撲の最初期の番付には掲載されていた。明治期に廃止。
^ 江戸相撲の最初期の番付には掲載されていた。
^ 現在でも、純粋な大関が1人以下の場合は、横綱が番付上「横綱大関」と表記されて形式上東西の大関を2人揃えるが、これは歴史的には、広義の大関には横綱も含むものとされているからである。
^ 本来の意味での三役は大関・関脇・小結であるが、このうち大関は関脇や小結と比較しても特別な地位であるため、三役といって関脇・小結のみを指すこともある。
^ 江戸相撲の初期の番付では、現在では現行制度と同様に番付の最上段を便宜上「幕内」と呼ぶ場合も多いが、その当時どこまでを幕内と呼んだかは必ずしも判然としないため、当時の「幕内」と区別して「上段」と呼ぶ場合もある。
^ 江戸相撲の初期の番付では、当時横綱という言葉はあったが地位ではなかったため「(○)」と示した。また番付の最上段だけでなく、二段目以下(場所により三段目あるいは四段目の途中まで)も「前頭」(「同」ではなく)と書かれている部分までは「幕内格」と見るべきだとする説があるため、表には「○*」と示した。
^ 「前頭」の語は江戸相撲の「前相撲の頭」が語源であるため、本来の意味においては「役力士」と「前相撲」の両極端に位置する力士以外の全力士を指し、番付表でもその通りに書かれている。実際の番付表での表記は、平幕と十両は「前頭」と表記され、幕下は「同」の字が連ねられ、三段目以下は「同」の略字が連ねられている(明治時代の十両創設以降の番付)。江戸相撲の初期の番付では、二段目全体(場所により三段目・四段目の一部も)が「前頭」であったり、三段目が「同」の略字ではなく正字であったりするなど、場所によりまちまちである。
^ 江戸時代?明治初期、十両の地位が存在しなかった時代の「二段目」「幕下二段目」に相当。
^ 歴史的には、本来の意味からすれば幕内以外全員「幕下」である。江戸相撲の初期の番付においては、二段目・三段目・四段目の一部または全部が「前頭」と表記されている場合があり、それは幕内格という説があるため、「○*」と示した。
^ 新序が階級として存在した時代には、新序は序ノ口待遇であった。
^ 本来の意味からすれば序ノ口より下の番付に載っていない力士を指すが、現在では事実上前相撲の力士のみを指す。
^ 相中・本中が廃止され、現在これに該当する地位が事実上前相撲のみとなった現在でも、番付表には「此外中前相撲東西ニ御座候」と書かれている。
^ 要領上は3日以内としているが、慣例上3日後(千秋楽が日曜日であれば、水曜日)に開催するのが通例となっている。引退等の届出が必要な場合はこの間に届け出ることとされている(番付編成要領第10条)。
^ ただし、何らかの理由で審判部長、審判部副部長、審判委員の一人が本場所(一部、または全日)を欠場した場合はその人は会議に参加できない場合がある。
^ .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}抜井規泰 [@nezumi32] (2015年4月27日). "で、番付編成会議なんですが。番付編成会議は、東京場所だと国技館地下1階の審判部屋で行います。東西の支度部屋の中間にあり、NHKのインタビュールームの斜め前あたりにあります。相撲記者は、その扉の前で待機しています。新番付は極秘なんですが、それはあくまで建前でして…。". X(旧Twitter)より2020年10月22日閲覧。
^ 例えば、幕下の場合は、7戦全敗(あるいは休場を含みながら1番以上相撲を取ったが出場した取組では全敗した場合)はほぼ機械的に35枚陥落するのに対し、全休(不戦敗含む)は40枚陥落となる。実例としては、2023年(令和5年)11月場所では、東幕下2枚目で全休の輝鵬は西幕下42枚目となったのに対し、東幕下31枚目で7戦全敗の琴翼は東三段目6枚目となった。
^ 実際の番付編成の多くは、勝ち越した場合に本来の上がり幅を大きく越えて番付が上がることは頻繁に発生しているのに対し、負け越した場合に本来の下がり幅を大きく越えて番付が下がることはできるだけ抑制しようとする傾向がみられる(昇進と降格の非対称性)。
^ 大阪府立体育会館(3月場所)は「BODYMAKERコロシアム」(2014年・2015年)→「エディオンアリーナ大阪」(2016年以降)、愛知県体育館(7月場所)は「ドルフィンズアリーナ」(2018年以降)と記載している。
^ 1968年までは「勝負検査役」。
^ 2014年(平成26年)3月場所の番付より。その年の1月27日内閣府が相撲協会を1月28日付で公益財団法人として認定したことによる。それまでは「財団法人日本相撲協會」(「公益」の文字がなく「會」が旧字体)。
^ 理事長は太字で筆頭に置かれ、「理事長」と明記される。
^ 場所によっては、委員の人数が少ない場合、委員を全て右側に書き、左側の役員を主任・年寄・参与のみとすることもある。
^ 2012年(平成24年)1月場所より、それまで特等床山のみの記載だったところ、一等床山が追加記載されるようになった。これにより若者頭と世話人の記載場所が東へ回った。
^ 写真 エキサイトブログ。2022年12月28日閲覧。
^ 「右側が実際の番付表、左が実際に行司が書いた「元書き」です。」日本相撲協会公式(2013年1月23日), Twitter. 2022年12月27日閲覧。
^板番付の写真、2014年(平成26年)1月場所、junjun25611962のブログ。2022年12月26日閲覧。
^ 「本日は、板番付を書く最後の仕上げです。」日本相撲協会公式(2012年12月28日), Twitter. 2022年12月26日閲覧。
^ 「 ⇒相撲字と番付」ことばマガジン(2013年9月12日)、朝日新聞デジタル。2022年12月26日閲覧。
^ 「できあがった板番付。」日本相撲協会公式(2013年5月9日), Twitter. 2022年12月26日閲覧。
^ a b 大空出版『相撲ファン』vol.4 25頁
^ また東西の最下段の左側に、「初切」(「行司」、「年寄」の文字は右から書かれているにもかかわらず、「初切」の文字は誤って左から書かれている。「番付を書く」の項参照)とあり、巡業の余興で行われる初切をする力士の名がある。
^ a b 大空出版『相撲ファン』vol.4 28頁

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