番付
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(間中)[14]前相撲[15]
広義の「大関」[16]○○
☆三役(本来の意味)○○○
☆役力士、三役(広義)○○○○
☆三役(狭義)[17]○○
☆幕内(歴史的には「真の関取格」)、上段[18]○○○○○
幕内(江戸相撲の初期の番付)[19](○)○○○○○*○*○*
☆関取○○○○○○
広義の「前頭」(本来の意味の前頭、番付表上の前頭)[20]○○○○○○○
番付表の上から二段目[21]○○
本来の意味の「幕下」[22]○○*○*○*○○
☆力士養成員(取的、褌担ぎ、若い者、若い衆)○○○○(○)(○)(○)(○)○
取的、褌担ぎ(狭義)○○(○)(○)(○)(○)○
序ノ口待遇[23]○○
☆番付外[24](○)(○)(○)○
中相撲†○○
中前相撲[25]○○○

番付編成

毎場所の番付は、協会の定める番付編成要領に従って定められる。

各場所の千秋楽から3日以内[26]に番付編成会議が招集され(番付編成要領第2条)、本場所の成績をもとに翌場所の番付を編成する。会議は審判部長が主宰し、副部長以下審判部員、副理事が出席し(番付編成要領第3条)、発言権はないが書記として行司も同席する(番付編成要領第4条)[27]

編成された番付はその場では発表されず、翌場所の直前に発表される。従来は初日の8日前の土曜日に発表していたが、1970年(昭和45年)からは、他のスポーツ行事が少ない月曜日なら新聞の扱いが大きくなることを考慮して、番付発表を本場所初日の13日前の月曜日発表に変更した。1月場所の番付発表は、年末年始の繁忙期に配慮して13日前よりも早まる。新番付は発表日まで極秘とされている(番付編成要領第11条)。

力士の地位やそれに伴う待遇は、原則翌場所の番付発表までは前場所の地位に応じたものとなる。例外として、横綱・大関に昇進する力士については番付編成会議終了後直ちに昇進伝達式を行い、該当力士はこの時点から横綱・大関としての待遇を受けるようになる(番付編成要領第11条)。また、十両昇進力士(新十両・再十両問わず)についても、本人の待遇が幕下以下と大きく変化することや化粧廻しの新調といった準備に配慮して、昇進の事実のみが公式に発表されるが(1971年(昭和46年)7月場所より施行)、これはあくまで「内示」であり、該当力士の扱いは番付発表まで幕下力士のままである。その他の昇進(新入幕・再入幕、新三役・返り三役、幕下以下の各地位の昇進等)は番付発表まで公式発表されず当然前場所の地位の扱いとなり、陥落についても、大関から関脇への陥落や序ノ口から番付外への陥落など事実上確定している場合も含めて番付発表まで前場所の地位としての待遇を受けられる。

新番付は発表日まで極秘とされているものの、朝日新聞相撲記者の抜井規泰はこれを「建前」であると述べており[28]、報道関係者が事前に新番付を把握していることを示唆している。インターネットの普及した現代では発表時刻である午前6時を過ぎた直後から各社のサイト上に番付発表関連の記事が掲載され、特に共同通信社の運営する携帯電話サイト「スポーツアイランド」には全力士の番付が掲載されるなど、実際に「極秘」であるとすれば説明のつかない事態となっていることからもこうした状況がうかがえる。
番付の昇進・陥落の目安

番付編成要領第6条では、「力士の階級順位の昇降は、その本場所相撲の勝星により協議する。」とのみ定め、勝星数が番付編成に最も重要な要素であることは示されているが、勝星数に応じた具体的な基準は定めていない。実際の番付編成は、編成を所管する審判部の裁量に事実上委ねられている(番付は生き物も参照)。以下の目安はあくまで過去の番付編成の結果から導き出した平成期以降の傾向で、これらの目安に依らない編成が行われた事例も少なからず存在する。

横綱

横綱昇進について、横綱審議委員会(横審)の内規では、「品格、力量が抜群であること」と示されている。

審判部がある力士を横綱に昇進させたいと判断した場合、理事長は審判部長からの要請を受けて横審に当該力士の横綱推薦について諮問する。諮問を受けた横審は当該力士が横綱にふさわしいか、「品格」「力量」それぞれについて審査する。「力量」については「大関で2場所連続優勝」が原則とされ、これに準ずる成績の力士を昇進させることも可能である。「品格」については土俵上の振る舞いのみならず日常の生活態度までもが審査の対象である。横審からの答申を受けて理事長は臨時理事会を招集し、理事会において横綱昇進について決議し、正式に昇進の可否を決定するが、理事会で答申が覆された例はないので、横審の答申後に事実上決定することになる。

新横綱は番付編成会議が終わった時点から横綱として扱われ、番付発表までの間は横綱であっても東西や順位がまだ発表されていない状態となる。ただし、近年のケースでは新横綱は同じ横綱の中で最下位となる。

横綱は本場所の成績をもって大関以下に陥落することはない。それゆえ成績不振が続けば引退を迫られる。成績不振の横綱に対しては横審の決議により「激励」「注意」「引退勧告」等がなされる。ただし、同じ横綱の中での順位は場所ごとに変動し、好成績者から順に、東正位、西正位、東2番手(以前の張出に相当)、西2番手の順となる。

詳細は横綱及び横綱審議委員会を参照。


大関

大関昇進についての目安は、平成中期以降は「直近3場所が三役(関脇・小結)で、その合計の白星数が33勝以上」というものが定着している。

審判部がある力士を大関に昇進させたいと判断した場合、審判部長は理事長に当該力士の大関昇進の可否を審議する臨時理事会の開催を要請するが、理事会で昇進が否決された例はないので、審判部長が臨時理事会の開催を要請した時点で事実上決定すると言われる。

大関からの陥落については、番付編成要領第8条において「2場所連続の負け越しで関脇に陥落する」としている。その際関脇の中では最下位に据えられるのが通例である。1場所負け越した直後の、ここでもう1場所負け越せば陥落する状況を角番と呼ぶ。大関陥落直後の関脇については、同条において「10勝以上を挙げると大関に復帰」とする特例が設けられている。

新大関及び大関復帰者は番付編成会議が終わった時点から大関として扱われ、番付発表までの間は大関であっても東西や順位がまだ発表されていない状態となる。ただし、近年のケースでは新大関及び大関復帰者は角番大関の有無に関わらず同じ大関の中で最下位となる。

大関の顔ぶれに変動がない場合であっても、同じ大関の中での順位は場所ごとに変動し、好成績者から順に、東正位、西正位、東2番手(以前の張出に相当)、西2番手、東3番手(以前の張出2番手に相当)、西3番手の順となる。

大関#大関への昇進及び角番の項目も参照。


関脇以下の関取(関脇・小結前頭(平幕)・十両

勝ち越し1点につき1枚上がり、負け越し1点につき1枚下がるのが目安とされるが、他の力士との兼ね合いや番付運などでその目安から多少外れることも多い。例えば8勝7敗・7勝8敗の場合は、目安からすると1枚上昇・1枚降下となるが、実際には2枚程度上下したり東西の移動に留まったりすることもあるし、あるいは場合によっては番付が動かない(据え置き)ことも起こり得る。幕内上位では大勝ちしても(現在では関脇以下がいきなり横綱に昇進することはもちろん、小結以下がいきなり大関に昇進することもよほど特殊な状況にならない限りありえず、)上昇幅がそれほど大きくないのは当然として、幕内下位や十両でも大体12勝以上の大勝ちや、大体12敗以上の大負けの場合、昇降幅が勝ち越し・負け越し点数より若干少なくなる傾向がある。

関脇・小結については、在籍人数の上限は定められていないが、東西1人ずつの2人のみの場所が多く、横綱・大関に比べると同じ地位に3人以上の力士が在籍する(かつての張出に相当)ことは少ない。近年でも時として3関脇以上の番付が発生することがある(大関からの陥落者や小結の好成績者がいる場合など)が、3小結以上の番付は3関脇以上と比較しても少ない。3関脇以上や3小結以上が在籍している場所であっても、同じ関脇や小結の中での順位については、横綱や大関に準ずる。

1971年(昭和46年)5月場所までは、前頭5枚目以内の力士は成績に関わらず(たとえ全敗であったとしても)翌場所十両に陥落させないこととされ、また十両5枚目以内の力士も同様に翌場所幕下に陥落させないとする規定があったが、同年7月場所より施行の改正要領により5枚目以内であっても成績によっては陥落することもありうるよう改められた。


力士養成員幕下三段目序二段序ノ口番付外

審判部の内規や過去の傾向から、以下のような状況では昇進及び陥落が確実とされる。

昇進が確実な例

幕下15枚目以内で7戦全勝した力士は、優先的に十両昇進の対象となる内規がある(この内規の反対解釈として、幕下の16枚目以下で7戦全勝した力士は、翌場所の番付は幕下の15枚目以内とされる)。

内規ではないが、東幕下筆頭で勝ち越した力士は、翌場所の十両昇進が確実とされる。

三段目以下で7戦全勝した力士は、優勝したか否かにかかわらず、1つ上の段に昇進する。

序ノ口で勝ち越した力士は、ほぼ確実に序二段に昇進する。

番付外から序ノ口への昇進(出世)は、1番でも前相撲を取った力士(全休力士以外)が全員対象となる。その際、序ノ口で1勝でも勝星を上げた力士より上位になることはない。そのため、序ノ口で負け越した力士が、番付外から昇進した力士に押し上げられる形で序二段に昇進するなど、番付が上昇することが起こり得る。


陥落が確実な例

序ノ口から番付外への陥落は、全休力士のみが対象となる。



これらに当てはまらない場合の昇進及び陥落については、それに関する内規は特にないが、関取と比べると1番の重みが大きく、特に下位になるほどその傾向が顕著である。例えば幕下上位で勝ち越した場合の上昇幅は勝ち越し点の2倍が目安となるし、三段目や序二段では勝ち越し・負け越し1点につき10枚ないし数十枚上下するなど、番付が急激に変化する。

幕下及び序ノ口で八番相撲を取った力士の場合、八番相撲での白星は番付編成に反映されるが、八番相撲での黒星は番付編成に反映されない(勝ち得・負け得)。


休場は負けと見なして番付が編成されるが、全休の場合は全敗より低い成績という扱いとなる。すなわち関脇以下の力士の場合、全休力士は全敗力士より下降幅が大きくなる[29]

特殊な状況下においては、その当時の傾向から大きく外れた番付編成がなされることもある。昭和以降の実例としては、1932年春秋園事件で大量の脱退者が出た影響で幕下から直接幕内に昇進した力士(出羽ノ花瓊ノ浦)がいた例、1967年5月場所の関取の定員削減で前場所十両で勝ち越したにもかかわらず幕下に降下した力士(前田川嵐山)がいた例、2011年大相撲八百長問題で大量の引退者が出た影響で幕内下位・十両・幕下上位で負け越したにもかかわらず番付が上昇した力士(垣添など)がいた例などがそれである。
行司・呼出・床山の番付編成

行司呼出床山の番付編成については、原則年1回で、毎年9月場所後の番付編成会議の理事会で決定され、翌年1月より適用される。


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