畑山隆則
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)し単身で上京し、初めにヨネクラジムへ入門するが[1]、大人数の選手や練習生を抱える環境に馴染めず、程なくして京浜川崎ボクシングジムに移籍する。同ジムにて韓国出身の柳和龍トレーナーと出会い、二人三脚でプロボクサー人生を送っていくこととなる。
プロデビュー後

1993年6月17日、東京にて福村和宏(京葉)を相手にプロデビュー戦を行い、初回KO勝ち。以後、4戦4勝(2KO)。

1993年12月18日、東京にて坂本和則(角海老宝石)と対戦し、初回KO勝ちを収めて東日本スーパーフェザー級新人王となる。

1994年2月13日、大阪府立体育会館にて小谷繁(グリーンツダ)と対戦し、3回KO勝ちを収めて全日本スーパーフェザー級新人王となり、試合後にはMVPを獲得。以後、8戦8勝(8KO)

1995年、前年まで元WBA世界スーパーフライ級王者鬼塚勝也協栄)のマネージャーを務めていたタレント片岡鶴太郎をマネージャーに迎え入れる。

1996年3月18日、東京にて崔重七(韓国)とOPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座決定戦を行い、2回KO勝ちを収めて王座の獲得に成功した。

1996年6月19日、神奈川県横浜市にてルディ・カビレス(フィリピン)を迎えて初防衛戦を行い、判定勝ちを収めて初防衛に成功した。

1996年9月21日、神奈川県川崎市にてオッキー・バクリン(インドネシア)と対戦、9回KO勝ちを収めて2度目の防衛。その後、同年11月に所属する京浜川崎ボクシングジムの会長が不祥事で逮捕されたことにより、柳和龍トレーナーとともに横浜光ボクシングジムへ移籍する。

1997年2月17日、後楽園ホールにて尹東K(韓国)と対戦、4回TKO勝ちを収めて3度目の防衛。試合後に世界挑戦準備のため王座を返上した。

1997年10月5日、両国国技館にて世界初挑戦としてWBA世界スーパーフェザー級王者崔龍洙(韓国)に挑戦するも、1-1(116-114、114-116、114-114)のドローで王座の獲得に失敗した[文献 1]

1998年3月29日、両国国技館にて再起戦として18戦無敗の日本スーパーフェザー級王者コウジ有沢草加有沢)に挑戦し、9回TKO勝ちを収めて王座の獲得に成功した。

1998年9月5日、両国国技館にて2度目の世界挑戦として前回引き分けた崔龍洙に再び挑戦し、2-0(2者が116-113、114-114)の判定勝ちを収めて2度目の挑戦で無敗のまま世界王座の獲得に成功した[文献 2]

1999年2月13日、有明コロシアムにてサウル・デュラン(メキシコ)を迎えて初防衛戦。2回にダウンを奪われるも、挑戦者が2度の減点を取られたこともあり、1-1(114-111、113-116、113-113)のドローで規定により初防衛に成功した[文献 3]

1999年6月27日、有明コロシアムにて同級1位の指名挑戦者ラクバ・シンモンゴル)を迎えて2度目の防衛戦を行うも、5回TKO負けを喫し王座から陥落するとともにプロ初黒星を喫した[文献 4]。試合後の同年7月に現役引退を表明し、その後は鶴太郎マネージャーの紹介で芸能界入りし、テレビでのタレント活動を開始。

2000年、引退を撤回しメキシコ系アメリカ人でもあるルディ・エルナンデスを新トレーナーに迎え入れ、プロボクサーとして復帰することを発表する。

2000年6月11日、階級をライト級に上げて復帰初戦で世界挑戦することが発表され、有明コロシアムにてWBA世界ライト級王者ヒルベルト・セラノベネズエラ)に挑戦。約1年のブランクを感じさせない動きで王者を翻弄し、合計5度のダウンを奪った末の8回KO勝ちを収めて王座の獲得に成功し、2階級制覇を達成した[文献 5]

2000年10月11日、横浜アリーナにて元OPBF東洋太平洋ライト級王者坂本博之(角海老宝石)を迎えて初防衛戦を行い、10回TKO勝ちを収めて初防衛に成功した[文献 6]

2001年2月17日、両国国技館にて全階級を通じての日本王座最多防衛回数となる22度の防衛を果たした元日本ライト級王者リック吉村(石川)を迎えて2度目の防衛戦を行い、挑戦者が減点を取られたこともあり、1-1(116-111、112-115、114-114)のドローで規定により2度目の防衛に成功した[文献 7]

2001年7月1日、さいたまスーパーアリーナにて同級1位の指名挑戦者で元WBA世界ライト級王者ジュリアン・ロルシーフランス)を迎えて3度目の防衛戦を行うも、0-3(110-118、111-117、112-117)の判定負けを喫し王座から陥落した[文献 8]。この試合を最後に2002年1月、正式に引退した。
引退後

引退後の2002年7月、元WBA世界ミドル級王者・竹原慎二と共同で竹原慎二&畑山隆則のボクサ・フィットネス・ジム東京都新宿区に開設(2012年、大田区に移転)。当初はアマチュア専用のジムとして運営していたが、2008年に東日本ボクシング協会(日本プロボクシング協会の下部組織)への加盟が承認されたのを機にプロ選手も受け入れるようになり、同い年でもある藤岡奈穂子をジム初の世界王者(WBC女子ミニフライ級、WBA女子スーパーフライ級)に育て上げている。
戦績

プロボクシング:29戦24勝(19KO)2敗3分

戦日付勝敗時間内容対戦相手国籍備考
11993年6月17日☆1RKO福村和宏(京葉)
日本プロデビュー戦/1993年東日本スーパーフェザー級新人王トーナメント予選
21993年8月4日☆1RKO川田斉志(国際) 日本
31993年9月2日☆4RTKO坂寄友昭(宇都宮) 日本
41993年10月4日☆4R判定上田真也(ヨネクラ) 日本
51993年11月4日☆4R判定市川健二(ワタナベ) 日本
61993年12月19日☆1R 3:00KO坂本和則(角海老宝石) 日本1993年東日本スーパーフェザー級新人王トーナメント決勝戦
71994年2月13日☆3RKO小谷繁(グリーンツダ) 日本1993年全日本スーパーフェザー級新人王決定戦/MVP
81994年6月20日☆3RKO楊熙哲 韓国
91994年9月19日☆4RTKO堀口昌彰(ピストン堀口) 日本
101994年11月21日☆3R 3:04KO表R雨 韓国
111995年2月20日☆3RTKO文炳洙 韓国
121995年5月15日☆2RKOジュン・マタナガス フィリピン
131995年7月17日☆2R 0:15KO朴宰佑 韓国
141995年10月16日☆6RTKOフラッシュ・ペナ フィリピン
151995年12月12日☆4RKOバート・ナバレス フィリピン
161996年3月18日☆2R 1:00TKO崔重七 韓国OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座決定戦
171996年6月19日☆12R判定ルディ・カビレス フィリピンOPBF王座防衛1
181996年9月21日☆9R 2:10KOオッキー・バクリン インドネシアOPBF王座防衛2
191997年2月17日☆4R 0:33TKO尹東K 韓国OPBF王座防衛3
201997年5月19日☆10R判定ホルヘ・ルイス・ロペス メキシコ
211997年10月5日△12R判定1-1崔龍洙 韓国WBA世界スーパーフェザー級タイトルマッチ


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