町丁
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ただし、松江和歌山仙台のように町(まち)を町人の居住地、丁(ちょう)を武士の居住地として厳然と使い分ける例も見られる。特に和歌山市(特に昭和の大合併以前の旧市街)では2018年現在もなお町名と同数規模の丁名が使用されており、町名ではなく町丁名と呼ぶことがある。福岡市では、大半の市街化区域は丁目で示されるが、旧博多部は町(まち)のみで構成されている。
近世の町割り

近世には兵農分離により、城下町において町人と武士の住む場所はによって分けられるようになった[18]

安土桃山時代、安土(現在の近江八幡市安土町)では武士と町人が混住しすぎたため様々な身分上の対立が起こり問題があった。そこで、豊臣秀次八幡では武家屋敷町屋は明瞭に区分して一つの城下町を作らせた。これが近世の城下町における典型的な町割りの嚆矢となった。

各々の町は形態的には街路網により地割が画定され江戸仙台甲府駿府名古屋大阪小倉などの碁盤型、伊賀上野秋田福島などの短冊型などがあった[19]

江戸時代初期には職人町と商人町とに分けられた。職人町には大工町石切町、塗師町、樋町、鍛冶町鍛治町)、紺屋町大鋸町研屋町金屋町細工町、檜物師町、畳町瓦町などの名があり、商人町には肴町魚町、魚屋町)、米町(穀町、石町)、塩町塩屋町)、油屋町茶町八百屋町青物町)、紙屋町(紙町)、呉服町、瀬戸物町、材木町(木町)、博労馬喰町)など、交通関係では伝馬町旅籠屋町連雀町連尺町)などがあった[16][19]。これらは大名によって職能集団ごとに町立てが命じられた結果である。一方、大坂では人名を冠した町名が非常に多くあり(特に現在の大阪市中央区)、これらは町開発者(町立てを主導した人物)の名だという[14]
近代における町

今日でも、「町名」が市町村のうちの町の名前である場合、市町村内の町丁を呼ぶことが多い。これは上述してきたように「町」が元々区画を表す言葉であったためである。大きな都市の一部分として「町名」と言う用法は江戸時代の人情本『恋の若竹』にも「どうも町名(チャウメイ)が解らぬが礼に行くのに大きに困った、何方(どっち)へ行った」[20]とあるように近世にはあった用法である。

複数の町を含む町場を集合的に町と呼ぶことは近世からあった。しかし1889年明治22年)前後の町村制施行によるいわゆる明治の大合併により全国の区町村が統合され、自治体としての「」が誕生した。都市を構成していた(これまで町が集合して都市になっていたか、村の中の市街が町と呼ばれていたかしていた)複数の町が合わさって一つの自治体として町になった場合、旧来の町の名はそのまま使われ続け(旧来の村々は大字と名を変えて混乱を免れた)、自治体としての町の中に町丁がある状態となった。さらに東京周辺においては、東京15区をもって東京市が発足するのに伴い、区部と郡部との境界が一部変更された際、区部から郡部に移行した町丁は、その町丁のみでひとつの大字とした(例:赤坂区青山北町七丁目→豊多摩郡渋谷町大字青山北町七丁目等)ため、同一自治体内に旧来の村による広大な大字と町方由来の町割・町名を保存したままの狭小な大字が混在するケースも見られた。

また、後に大字を有する町村を合併した際に大字の上に旧来の町村名を冠した「町(ちょう)」を冠するという例もよく見られる。都市化が進み区画整理を行うと、旧来の字を廃して新たに町丁を作る(町名を付ける)ことが多い。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 平安京では「町」の中に区画がされていた。町の中はさらに細分化され,四行は一町を東西に四分,八門は一行を南北に八分する「四行八門制(しぎょうはちもんせい)」によって32区分された。 宅地単位としては,これが最小の単位で一戸主と呼ばれた。
^ この「左京小治町」については藤原京のものと推定されている。
^ 長さ24丈、幅4丈の仕丁町を陰陽寮守辰丁22人の「盧」一居としたとある。
^ 「四町町」(しちょうまち)ともいう。

付記^ 字(あざ)を畔の転であるとする説があり、図らずも一致する
^ 刀剣において、刀身の部分と茎(なかご)との境目を「区(まち)」と訓むのも同様
^ 坊は平安京では16の町から構成され各坊に坊長が置かれて支配を司ったが、早くにその実体を失い、町がもっぱら「まち」となってくる
^ しかし一般には町の表示は「二条三坊八町」のごとく数字にて表示(京外の五条八里三坪(町)などという表示と対応)されたと考えられる
^ 官人の集住地で、行政上の理由で強制的に住まわされた
^ そのため京都の旧市街で町を「まち」と呼ぶのは一部の例外を除き、室町通や新町通など通りの名称に限られる

出典^ a b 地方自治法(昭和22年法律第67号)第260条第1項は「市町村長は、政令で特別の定めをする場合を除くほか、市町村の区域内の町若しくは字の区域を新たに画し若しくはこれを廃止し、又は町若しくは字の区域若しくはその名称を変更しようとするときは、当該市町村の議会の議決を経て定めなければならない。」とし、同項条文中は「町若しくは字」と表現されているが、これは法文上の「又は(または)」と「若しくは(もしくは)」の使い分けによるものであり、「町又は(または)字」と「町若しくは(もしくは)字」の間に語義の違いはない。
^ 国勢調査では、平成2年国勢調査の際に導入された地域単位である基本単位区に付された9桁のコードのうち、先頭6桁のコードが同じ基本単位区を合わせた地域を「町丁・字等」として集計している。これは平成7年国勢調査で初めて導入された地域区分であり、おおむね市区町村内の△△町、〇〇2丁目、字□□などの区域に対応するとしている。ただし「町丁・字等」の用語中の「町丁」の語が何を表すものであるかの説明は見られない。(“統計表で用いられる地域区分の解説”. 2023年4月6日閲覧。 )
^ “町丁別世帯数および人口(国勢調査)(千代田区ホームページ)”. 2023年4月6日閲覧。
^ “町丁目別世帯数男女別人口(中央区ホームページ)”. 2023年4月6日閲覧。
^ “町別人口および世帯数(太田市ホームページ)”. 2023年4月6日閲覧。Wikipediaの記事「太田市町名一覧」をみると、同市の「町または字」の名称には「丁目」(丁)は見られず、すべて「町」となっている。
^ 京都市では西京区の「御陵大枝山町一丁目」や東山区の「本町一丁目」など「丁目」のつく町名を有するが、それらを含め町別の人口と表している。(“住民基本台帳人口(京都市ホームページ)”. 2023年4月6日閲覧。)
^ a b 『大辞林』第4版 (2019), p. 1780, 「ちょうちょう【町丁】 」.
^ a b 『大辞林』第3版 (2006), p. 1646, 「ちょうちょう【町丁】 」.


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