男女別学
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第二次世界大戦後の連合国軍最高司令官総司令部による占領期、男女別学を原則としていた日本の教育制度は男女共学を原則とするものに改められた(学制改革参照)。

教育改革指令を受ける形で、1945年12月に「女子教育刷新要綱」が閣議了解され、女子大学の創設、大学における男女共学制、中等学校における男女間の教科の平準化などの実施が決定された[12]。これにより、1946年より従来女子の進学に制限を設けていた高等教育機関に女子が入学するようになった[12]。1946年に出された第一次教育使節団報告書は公教育を男女別学から男女共学に移行するよう提言。1947年に施行された教育基本法は「教育上男女の共学は、認められなければならない」とした[8]

1947年3月公布の学校教育法により、1948年より実施される公立新制高等学校の設置に関する「高校三原則」のひとつとして「男女共学」が挙げられた[12][13]。ただし、1947年に文部省は通知・通達として「新学校制度実施準備の案内」「新制高等学校実施の手引」を出し、男女の教育機会均等という根本原則を踏まえた上で、地域の状況を尊重して必ずしも「男女共学」にしなくてもよいという方針を示しており、画一的な指導は行わなかった[13]。占領軍の地方当局の担当者によって方針に差異があったため、男女別の旧制中等学校を統廃合して男女共学が徹底された地域もあれば、旧制中等学校を引き継いで男女別の新制高等学校が設立された地域もあった[13][12]。また私立学校は三原則の制約外にあったため、男女別学校として移行したものが少なくない[12]

「男女共学」が原則となった戦後も、家庭科などでは男女で異なるカリキュラムが設けられた[6](「男女別修」とも呼ばれる)。性別役割分業観によるものとしてカリキュラムを男女が共に学ぶように改めようという運動が行われるなどした結果、1989年の学習指導要領で家庭科の男女共修が示された[6]男女共修参照)。
備考

現在の日本では、高校までは男子校・女子校ともに存在している[注 3]大学短期大学については女子大学は存在するが、男子大学は存在しない。

日本では、男女別学の学校は私立学校を中心に多数存在するが、1990年代中頃からバブル崩壊による長期の不況や少子化の影響によって、共学化する学校が増えてきている。

日本では、北関東地域の名門公立学校(いわゆるナンバースクール)や首都圏の名門私立学校、京阪神地区の名門私立学校が男女別学である場合が多い。

男子・女子とも募集するが、男子と女子とでは教室(男子クラス・女子クラス)や校舎などが分けられている学校(特に私立学校の一部)がある。そういう学校も「男女別学(または男女別学校)」の範疇に入れられるほか、「男女併学」と称されることがある。別学・共学の、両方のメリットが得られるとも言える。

世界

アメリカなどでは、古くにできた男子大学が複数存在している。

中東のアラブ社会では、イスラム教の影響によって2010年代でも男女別学が当たり前であり、男女共学は珍しい。例えば、サウジアラビアでは2011年5月15日に最終的に世界最大の女子大になるヌーラ・ビント・アブドゥルラハマン王女大学(英語版)がリアド郊外に開校した[14][注 4]。サウジアラビアでの男女別学は単に学校が別であるというだけでなく、女子高の運動会を違法とするなど教育内容も(少なくとも部分的には)別のものになっている[17]

社会教育において、ボーイスカウト(男子)とガールスカウト(女子)とは、男女別学である。しかし、旧・共産圏においては、男女別学の伝統がないので、ボーイスカウトにおいて男女共学を実施し、単に「スカウト」と呼称する。ただし、旧共産圏以外でも最近では、ボーイスカウトで男女共学を実施する国もある。日本においても、1995年(平成7年)に、ボーイスカウトにおける全部門への女子の加入を認めた(ただし、ガールスカウト自体は残っている)。

脚注[脚注の使い方]
注釈^ 対となる「男女共学」は、同一の学校・学級において「同一の教育課程で」学ぶことを意味する[3][4][5][6]
^ 「女子が大学に入学できない」[1]、「性別役割分業観による教育が制度化されている」[7]、「女子の修業年限が男子よりも短い」[8]、など。


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