男はつらいよ
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マドンナが寅次郎をそれとなく誘惑したり、愛の告白(らしきもの)をするなど、互いが相思相愛にあることを示唆する作品も少なくないが[注 8]、この場合は、寅次郎の方が逃げ腰になり、自ら身を引く形となっている。こんな寅次郎について甥の満男は、「手の届かない美しい人には夢中になるけれど、その人が伯父さんに好意を持つと逃げ出してしまう」と端的に語っている[33]

また、マドンナと「うまくいっている」と誤解している時点で、寅次郎が柴又に帰り、さくら達にマドンナとの楽しい体験を脚色を交えながら話す場面は、渥美清の語りが落語家のような名調子で、スタッフやキャスト達は「寅のアリア」と呼んでいた。

第42作?48作のうち4作品では、寅次郎の相手となる通常のマドンナに加え、さくらの息子満男(吉岡秀隆)が思いを寄せる泉(後藤久美子)がマドンナとして登場するようになり、寅次郎が満男のコーチ役にまわる場面が多くなり、満男が事実上の主役になっている。渥美が病気になり快活な演技ができなくなったため、満男を主役にしたサブストーリーを作成、満男の恋の相手が必要になったため、当初は予定されていなかった泉が登場することとなる。山田監督の話によれば実現しなかった第49作で二人の結婚を描く予定だったが[34]、その後の第50作ではそれぞれ別の人物と結婚している。柴又帝釈天

レギュラーとして登場する人物は、寅次郎、さくらのほか、さくらの夫・諏訪博、草団子店を経営する叔父・竜造と叔母・つね、博が勤務する中小企業の印刷会社「株式会社朝日印刷所[注 9]」の社長で寅次郎の幼馴染・タコ社長こと桂梅太郎[注 10]、帝釈天の御前さま、寺男で寅次郎の舎弟・源公などがいた。マドンナとして複数回登場した女優もいるが、リリー、歌子(吉永小百合)、泉以外は、別人の役で出演している。おいちゃんこと叔父・竜造役は初代が森川信、2代目は松村達雄、3代目は下條正巳が演じた。その他、毎回役柄は違うものの、サブキャラクターとしてレギュラー出演する俳優も多く存在した。

青年時代に、実際にテキ屋体験がある渥美ならではの見事な口上も、ファンの楽しみであった。また、このシリーズは原則としてお盆と正月の年2回公開されたが、お盆公開の映画の春から夏への旅は、南から北へ、正月公開の秋から冬への旅は、北から南へ旅することが多かった[35]。画面に映し出される日本各地の懐かしい風景が、シリーズの魅力の一つでもある。

なお、第48作まで一貫してエンドロール表示は設定されず、出演キャストや制作スタッフ等の字幕表示はオープニングでされた。また日本映画の主流がビスタサイズ画面やドルビーステレオ音響に移り変わった後でもシネマスコープ、モノラル音声を使用し続けていた[注 11]

蓮實重彦は「寅さんが出て来たことによって、いかに松竹の多くの才能・新人監督が消えているかということ。実際に出て来ていながらも社会的に抹殺されていたかということは、おさえておかなければいけないと思う」と評している[36]
登場人物(映画)
レギュラー
車寅次郎
演 -
渥美清主人公。葛飾柴又帝釈天門前にある老舗の団子屋「本家とらや老舗」(40作以降は「本家くるま菓子舗」)の5代目主人、車平造と、芸者の菊との間に生まれた[37]。生年月日は資料や作品によって異なっており[38]、1931(昭和6年)年9月10日[39]、1935(昭和10年)年9月10日[40]、1940(昭和15)年2月26日[41]、同年9月10日[42]、同年11月29日[注 12]などの説がある。第1作の年齢の設定は41歳[注 13]。生後まもなく平造とさくらの実母の光子に育てられるが、柴又尋常小学校卒業後、13歳、または14歳の時(1949年12月)[41][注 14]、柴又中学校を中退。16歳で家出[37]。若しくは旧制中学校葛飾商業学校を中退という資料もある[40][39][42]。第35作では葛飾商業学校同窓会からのハガキに対し、「卒業してねぇのに何で会費払わなくちゃなんねぇんだ」と言っている。第26作で旧制の中学2年の時に「芸者の子供だから教育がなっていない」と校長に言われたことに腹を立て、体育祭の日に酒を飲んだあげく校長を殴り退学になったと、定時制高校の生徒に話している。14歳の時、校舎の隅でタバコを吸っていたのが見つかり父・平造が呼び出され、帰宅後大ケンカをして家を飛び出したという説もある[41]。第26作で定時制高校に編入したいと願書を書いているが、中学校中退だからと断られている[注 15]。14歳の家出後放浪の果てにテキヤとなり、その際の経緯は第39作の夢のシーンで断片的ながら映像化されている。寅次郎の家出の数年後に平造は死去し、第11作で27回忌を迎えている。初恋は11歳の時で、とらやの裏手にある朝日印刷の女工をしていた18歳の山形出身のサトコであった[41]。それから20年後の1969年(昭和44年)[注 16]柴又帝釈天(経栄山題経寺)の庚申(こうしん)の日(帝釈天縁日)に柴又に帰省して父の団子屋に戻って来て以来、年に数回とらやにふらりと帰って来ては家出を繰り返している。家を飛び出してから全国各地を回って祭りなどで的屋として物を売りさばくのが日課。商売柄、口が非常に達者で、思いつきやデタラメに作り上げた会話で人を笑わせる、快活で明朗な性格である一方、中身は子供のままで、感情が顔に出やすく、ちょっとしたことで頭に血が上り、激昂すると女子供相手にも容赦なく手を上げようとする程に大人気ない性格の為、しょっちゅうケンカ沙汰になる。


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