男はつらいよ
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日々何事も無く平凡な毎日を過ごしている「とら屋」一家のもとに行方不明だったさくらの兄・寅次郎(渥美清)が1968年(昭和43年)夏、18年ぶりに帰って来た。感動の対面を果たす兄と妹。ただしすぐに人相の悪い怪しげな寅次郎の仲間達が押しかけてきてどんちゃん騒ぎを始める。あまりの非常識な振る舞いにさくらの怒りを買った寅次郎は翌日反省し再び旅に出て二度と帰らないことを決める。ところが柴又の町内を出ないうちに近所に住む恩師の散歩先生(東野英治郎)の娘で幼馴染みの坪内冬子(佐藤オリエ)に出会い一目惚れ、冬子恋しさにそのまま「とら屋」に居つくことになる。旅暮らしでいつかは一獲千金が実現することを夢見ながらテキ屋稼業をしている寅次郎は平穏なとら屋の日常を過激なまでに変えてしまう。可愛いさくらのために奮闘努力を誓う寅次郎だがほとんど空回りに終わる。さくらといい仲だった恋人の道夫(横内正)との間に入ってぶち壊しにしたり、次から次へと変な知り合いを連れてきたり、警察のご厄介になったり、テレビに出て大恥をさらしたり、はたまた急にアメリカ航路に密航して心配させたり大騒動続きである。そんな寅次郎の破天荒な生き様を最初は煙たがっていたさくらたちだが次第に刺激を与えられることを楽しむようになる。それと共に寅次郎の悪気が無く憎めない人柄を愛するようになっていく。その後さくらは寅次郎が仮病で入院した時に知り合った医師の諏訪博士(井川比佐志)と結婚、体調を崩した竜造は「とら屋」をたたむことを決意、散歩先生は亡くなり、冬子も恋人の藤村(加藤剛)との結婚を決めた。

心の拠り所が無くなった寅次郎は一獲千金を狙い弟の雄二郎(佐藤蛾次郎)を引き連れて奄美大島までハブを捕まえに行く。時は流れ、さくらのお腹に赤ちゃんが授かった頃、突然雄二郎がやってくる。奄美大島でハブに噛まれて絶命した寅次郎の遺品という帽子を携えて…。信じられないさくら。その夜、さくらのアパートにひょっこりと寅次郎が現れる。やっぱり生きてたんだ! 喜ぶさくらだが寅次郎はすぐに姿を消す。慌てて外へ出ると寅次郎は愛唱歌「喧嘩辰」を歌いながら去っていく。追いかけるさくらが公園にきたところで寅次郎の姿はフッと消えてしまう。心配して駆けつけた博士の腕の中でいつまでも泣き続けるさくらだった。
登場人物(テレビドラマ)

車寅次郎(別名フーテンの寅、通称寅さん又は寅ちゃん):渥美清

車さくら(戸籍上は車櫻。寅の腹違いの妹):
長山藍子

車竜造[注 2](寅の叔父。通称おいちゃん又はおじちゃん[注 3]):森川信

車つね(竜造の妻。通称おばちゃん):杉山とく子

坪内冬子(マドンナ。寅とさくらの幼馴染):佐藤オリエ

坪内散歩(寅の恩師で英語の先生。冬子の父):東野英治郎

諏訪博士(ひろしと読むが寅ははかせと呼ぶ。寅の担当医。物語終盤にさくらと結婚する):井川比佐志

川又登(寅の舎弟でとら屋の従業員):津坂匡章

染子(寅の実母、京都の連れ込み旅館の女将):武智豊子

川島雄二郎(自称・寅の実弟。タネ違いの弟。その髪形から寅はドイツの鉄兜と呼ぶ):佐藤蛾次郎

山本久太郎(通称Qさん。寅の昔の仲間で泥棒として登場):佐山俊二

鎌倉道夫(さくらの恋人):横内正

マクナマラ(画家):マーティ・キーナート

しののめの銀蔵(寅の親分):杉狂児

中村瑞枝(寅の昔馴染み):市原悦子

高橋英吉(瑞枝の内縁の夫):田中邦衛

マスター(スナックの店主):田武謙三

愛子(喫茶店のウエイトレス):寺田路恵

アケミ(竜造の浮気相手):宮本信子

岡村亀雄(寅の同級生):塚本信夫

畠山三太郎(寅の昔の仲間):谷幹一

畠山ツル子(三太郎の妻):春川ますみ

藤村薫(バイオリニスト。冬子の恋人):加藤剛

小川宏ショー出演者(特別出演。いずれも本人名義):小川宏露木茂田代美代子

スタッフ(テレビドラマ)

原案・脚本:
山田洋次

演出:小林俊一

音楽:山本直純

技術:永島敏夫

美術プロデューサー:山本修身

美術デザイン:中田竜介

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この節の加筆が望まれています。


フジテレビ(制作局):木曜 22:00 - 22:45

札幌テレビ:月曜 22:00 - 22:45[14]

仙台放送:木曜 22:00 - 22:45[15]

福島テレビ:土曜 14:00 - 14:45(1969年に放送)[16]

富山テレビ:土曜 17:00 - 17:45(1970年に放送)[17]

東海テレビ:木曜 22:00 - 22:45[18]

製作

1966年にフジテレビで放送されていた、渥美清主演の連続テレビドラマ『おもろい夫婦』が大ヒットしており、これをきっかけに昭和40年代の同局では、渥美の連続ドラマが毎年のように放送されていた。本作は第3作にあたる。

制作は、フジテレビと当時の渥美の所属事務所の高島事務所。企画と演出はフジテレビ制作部のディレクター兼プロデューサー(当時)の小林俊一[19]、同局の編成部では白川文造が係わった。

1968年夏、松竹の中堅監督であった山田洋次が、フジテレビから渥美主演のドラマの脚本の依頼を受けたことで本作の企画が始まった[13]。本作の原点となったのはフランスの国民的作家マルセル・パニョルによる喜劇「マルセイユ3部作」(『マリウス』〈1929年〉、『ファニー』〈1932年〉、『セザール』〈1936年〉)で、学生時代に演劇好きの友人から戯曲を借りて読み「なんとここには日本人しか分からないと思っていた落語浪花節の人情の世界がマルセイユを舞台にしてたっぷりと描かれているではないか」と感銘を受けた山田は後にフジテレビから渥美主演のテレビシリーズの脚本執筆を打診された際に青春時代に読んだ同シリーズを思い出し、「マリウスは博で、ファニーはさくら。セザールは渥美さんが演じた寅さん」と同シリーズに登場する愛すべき人物たちを中心にさらに熊五郎八五郎・ご隠居といった古典落語の登場人物も重ね合わせて本作の登場人物たちを構築[20][21]

主人公の「寅さん」については、執筆に先立って「ゆっくり話がしたい」と主演の渥美と東京・赤坂の旅館で対面し、まるで名人の落語を聞くかのように驚異的な記憶力とテキ屋の口上など豊かな話術で笑わせる渥美から「この人は本当に頭がいい人だな。こういう人が愚かな男を演じると面白い話ができるのでは」「落語に出てくる熊さんのようなキャラクターが、この人ならできるんじゃないか」との着想を得て、落語の熊さんと結びつけながら「下町の不良少年のなれの果て」という「寅さん」のキャラクターを創造していった[13][22]柴又帝釈天の舞台設定は、助監督時代に作家の早乙女勝元との打ち合わせの折に帝釈天参道で食事したことを思い出し、戦災から逃れた風情の残る街並みと「葛飾、柴又、帝釈天」の語感が良さから決定。ほどなく門前の団子屋の設定も決まった[13]

企画段階でのタイトルは『愚兄賢妹』という番組名だったが[23]、フジテレビの営業から「愚兄賢妹では堅苦しくて番組として売り難い」と言われたため、タイトルを変更することになる。


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