甲本ヒロト
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

安美錦の大ファンで親交があり、共に対談を行ったり[5]、断髪式に出席したりする間柄[6]

作曲に関して本人は「常時スランプ」と2017年の安美錦との対談で語っており、1曲作ると「もう出てこないな」「出てこなかったらバイトするしかないな」と毎回思っていたという[7]

かつてライブ中に下半身を露出したりなど過激なパフォーマンスも行っていた。

好物はハムと豆。「ナッツ」ではなく「ビーンズ」が好きだという。

幼少時代のあだ名は「ボケ作」(小学校の担任教師が名づけた)。

子供の頃、桃太郎少年合唱団に所属していて賛美歌などを歌っていたといわれるが、過去の定期演奏会パンフレットや名簿、記念誌などに彼の名前は存在しない。

小学校の夏休みの宿題に爪楊枝を折って「歯の裏をほじれるツマようじ」として提出した。毎年、夏休みの宿題を提出していなかったヒロトは、参観日の日に母親に褒めてもらえると期待していたが、作品に気付いてもらえなかった。それを聞いた真島は、「他の人の作品の部品が転がってると思ったんじゃない?」と追い討ちをかけた[8]

高校時代は剣道部。

実家はクリーニング店「ドライ甲本」を経営していた(2013年現在は閉店)。父について、「父親はアイロンを握っている姿が一番カッコよかった」と語っている。また、店内には本人のポスターが飾られており両親が訪れたファンに接していた[9]

上京を志した時、父親を説得できなかったため激昂し殴りかかってしまい、泣きながら謝罪したと語っている。後に高校卒業後、大学進学を口実に上京した。

初めて買ったレコードは、西城秀樹薔薇の鎖』。本当は、『激しい恋』を買うつもりが間違えた。

インタビューなどで雑誌に写真が出る時は、大抵、ロックTシャツを着ている。ファッション雑誌の表紙を何度か飾っている。

ザ・コーツ解散時に彼が住んでいた笹塚の廃家は、霊感の強い友人曰く、霊の通り道になっており、甲本も数々の心霊現象を体験している。

大学時代、自分の住んでいるアパートの部屋の前に「ちびっこ広場」と書いた看板を作って立てていた。

インディーズ時代、アルバイト先のラーメン屋「a亭」で出前をしていた。同じ時期に俳優の松重豊もアルバイトしており、松重とは現在も交流がある。

甲本が周囲に薦めた事がきっかけで、バンドマンの間ではツアー中に兵庫から広島へ行く際、「ヌー」というラーメン屋に寄る事が定番となっている。しかし、実際の店名は「ヌー」ではなく「又一(またいち)」である。

1981年5月、日本テレビ系列で放送されていた「スター誕生!」の前説にラウンド・アバウトで出演。甲本が生まれて初めて作った曲「Jump'in Jap 3-3-7」を演奏した。

ローリング・ストーンズザ・フーが訪日すると、スケジュールを空けて、出来る限りライブを観に行っている[10]

ソロでイベントに出演する際、セックス・ピストルズの「アナーキー・イン・ザ・U.K.」を自作の日本語の歌詞をつけて歌うことが多い。

2005年に弟の雅裕がテレビ出演した際、雅裕は「(私生活は)僕より謙虚ですよ」と語っていた[11]

浅草キッド水道橋博士とは岡山大学教育学部附属中学校の同級生で、ミュージシャンと芸人になってから再会して家族ぐるみの付き合いをしている友人である[12]。当時の呼び方は「こうもったん」「小野君」。甲本は中学の同級生がたけし軍団に入っていることを甲本の高校と大学の先輩である大森うたえもんから教えられるが後に実際に会うまでその人物が「小野君」だと判っていなかった。水道橋曰く、「ヒロトはいつもの自然体で答える。対して、僕はタメ口で喋っていてもぎこちない」[13]

2009年5月の忌野清志郎の葬儀には、清志郎の最期の姿がステージ衣装であったことに敬意を込めて革ジャン姿で現れ、弔辞を述べた[14]

SPレコードのコレクターで戦前のブルースとエルヴィス・プレスリーの1950年代の作品が多い。蓄音機を所有している。

中学1年生のときにラジオで流れていたマンフレッド・マンの「ドゥ・ワ・ディディ・ディディ」を聞いて涙し、その後の歌い方に影響を受けている。

年末年始はヒロトの家で両親と弟と過ごす。
趣味

趣味でやっている覆面バンド「モンキー・アンクルズ」では、ベースを弾いている。

バイク好き(ハーレートライアンフヤマハ・トリッカーに乗っている)。バイクを乗るきっかけとなったのは浮谷東次郎のがむしゃら1500キロという手記である。THE BLUE HEARTS時代から所有しているホンダ・モンキーZ50Zは現在も所有しているが現在は知人のバイク屋に置いてある。ザ・コーツ時代から乗っていたベスパはTHE BLUE HEARTS初期のライブMCで盗難されたと言っている。他にはヤマハ・SR400などにも乗っていた。

アニメ・特撮戦隊ヒーローモノも好き。特撮では上述の「バッテンロボ丸」騒動が有名。アニメでは、「タイムボカンシリーズ」(詳細後述)、「ドラえもん」、「いなかっぺ大将」を好む。『キン肉マン』も大好きで、「キン肉マン77の謎」の投稿超人コーナーに甲本が考案した超人「クアドロフェニア(名前はザ・フーのアルバム『四重人格(Quadrophenia)』から)」が掲載される。

プロレス格闘技や映画が好き。同郷のプロレスラー田村潔司ジムU-FILE CAMP」の創設期の会員(No.2)で、ジムに何度か通っていた。プロレス雑誌のKAMINOGEの表紙も飾っている。大食い番組が好き。

ミュータント・タートルズ」や「ガンビー」などのフィギュアの収集をしている。

昆虫が好きで、ツツジコブハムシを飼育している[15]NHK教育テレビギョギョッとサカナ★スター」に出演した際には甲本カブトと名乗り、司会のさかなクンと昆虫トークを繰り広げた[16]
タイムボカンシリーズ

タイムボカンシリーズの熱烈なファン。タイムボカンシリーズの再放送が見たいがために、バンドの練習に行きたくないと駄々をこねたことがあった。同シリーズの音楽担当である山本正之のファンでもあり、ザ・コーツ時代から親交を深めている。それが縁で山本のアルバムなどにコーラスとして参加するなどしている。

OVAタイムボカン王道復古」に本名名義で声優として出演(「タイムパトロール隊オタスケマン」の三悪・オジャママンのコクピットメカ「オハヤシ星人」役。漫画家の奥谷かひろと共に、「オタスケマン」本編のように視聴者公募によって選ばれたという設定で)。

2000年には、「タイムボカン2000・怪盗きらめきマン」のエンディングテーマ「フララン ランデブー」(山本正之楽曲提供)を歌っている。

2005年に行われた「タイムボカン祭」にゲスト出演。

2009年上映の『ヤッターマン』の劇中歌『ヤッターキング2009』をクロマニヨンズとして担当。
ディスコグラフィー

The Weight」(石田長生アルバム『Juke Box』収録)[17]

「フララン ランデブー」(シングル『怪盗きらめきマン』収録、2000年5月24日)

甲本ヒロト&ピンク・ピッギーズ名義。ピンク・ピッギーズについては山本正之の項を参照。「タイムボカン2000 怪盗きらめきマン」のエンディングテーマ。


「何にもなかった日」(三宅伸治 The Swamp Tramp名義アルバム『Music Planet?いいことがあるといいね?』収録、2000年12月6日)


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:79 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef