降板後のシリーズでは由美の実質的後継者として、同年秋から放送予定の水戸黄門第42部から雛形あきこが新キャラクター(由美が演じてきた役とは別の新しい役)として起用された。また、第1話と第22話で由美がゲスト出演し、新旧両女優が共演することも決まった[12]。
『水戸黄門』シリーズでお銀が着る忍者の衣装デザインは、本人の考案。バレエの網タイツに、着物をミニスカート風に短くした衣装を考え、そのデザインを洋服屋に持ち込んで製作してもらった[注釈 2]。また、本人の中で「ミニスカート=お銀」のイメージがあったことから、同役を演じていた時期の私生活では敢えてロングスカートを穿いて脚を見せないようにしていた[11]。
合気道四段の猛者でもあり、本人は後に「お銀役では合気道とバレエの経験が役に立った」と回想している[11]。このため本作では、今尚華麗なアクションでお茶の間を楽しませているアクション女優としての一面もある。 先述の通り、現在(2022年時点で72歳)もデビュー当時と変わらぬ体型を維持している[11]。本人は、「仕事で決まった時間に食事ができない中で若さを保ちつつ健康でいられるのは呼吸法のおかげ」としている。 毎朝、ブリージングと合わせてストレッチも行っており、本人によると72歳になった現在(2022年)でもY字バランスができるという[11]。日常生活では食事制限などはしておらず、好きなものを好きなだけ食べている。特に米が大好き[11]。また、同団の退団後に「みんなにも健康で美しくなってほしい」との思いから、美と健康をテーマにした「由美かおるのブリージング(呼吸法)レッスン」を始めた[11]。このブリージングは上記呼吸法を高齢者にも無理なくできるようアレンジしたものを用いており、介護施設などで伝える活動をしている[11]。 昭和40年代には、アース製薬(大塚グループ)の蚊取り線香「アース渦巻」のCMキャラクターとして起用されていた。この宣伝を兼ねたホーロー看板は、ほとんど必ずと言っていいほど水原弘の「ハイアース」(稀に松山容子の「ボンカレー」)と一対になって街中いたる所に貼り出され、現在でも運が良ければ鄙びた山間部のバス停や古い農家の土壁などで目にすることができる。 グラビア撮影についてはヘソ出しがNGのようで、ヌードであってもヘソを見せていない。
スタイル維持と呼吸法など
その他アース製薬 由美かおる&水原弘(兵庫県篠山市)
出身地、兵庫県川西市の源氏のふるさと大使などを務める。
1979年7月21日、羽田から和歌山県南紀白浜行きの東亜国内航空(当時)381便のYS-11に搭乗したが、離陸後に後輪の左車輪が故障し、出せなくなっていることが判明した。同機は羽田に引き返し、前輪と後輪が右側のみの片輪で着陸した。着陸後、速度が落ちた機体は脚のない左後方に大きく傾き、胴体を滑走路に激しく擦りつつ、機体の前後がほぼ逆に向いた状態で何とか停止。幸いにも爆発や炎上などはなく、由美を含めた乗員乗客は全員無事だった。なおこの時のYS-11機長とは、2004年にみのもんた司会のテレビ番組の中で対面をしている。
洋服は主に、若い女性が行くような洋服屋(ユニクロ、「ZARA」(ザラ)、「H&M」等)で買っている[注釈 3]。また立地的に所属事務所が渋谷の近くにあるため、週に1度、渋谷109に通いギャルファッションにチャレンジしている。
出演作品
映画
夜のバラを消せ(1966年、日活) - 鶴代 役
嵐を呼ぶ男[1](1966年、日活) - 牧村阿矢 役
恋のメキシカンロック 恋と夢と冒険(1967年、松竹) - マリコ 役
銀の長靴(1967年、松竹) - 有木久美 役
レッツゴー!高校レモン娘(1967年、松竹) - 小倉由美子 役
バラ色の二人(1967年、松竹) - 斎藤弓子 役
シンガポールの夜は更けて(1967年、松竹) - 王明芳 役
初恋宣言(1968年、松竹) - 村山真由美 役
ミニミニ突撃隊(1968年、松竹) - 国行薫 役
海はふりむかない(1968年、松竹) - ゴーゴークラブ歌手 役
コント55号とミーコの絶体絶命(1971年、松竹) - 中川秀子 役
同棲時代 -今日子と次郎-(1973年、松竹) - 飛鳥今日子 役
しなの川[1](1973年、松竹) - 高野雪絵 役
ノストラダムスの大予言(1974年、東宝) - 西山まり子 役[13]