中国以外における水田での耕作は、日本では弥生時代に[10]、フィリピンでは先史時代に[11]、ベトナムでは新石器時代に[12]、朝鮮半島では無文土器時代中期[注 1]に始まったとされている。 『説文解字』に「穀を樹うるを田という」とあり、漢字圏では田を「穀物を栽培するために区画された農地」の語義で使用することが一般的である。現代中国語においても「田」は区画された農地一般を指し、「水田」に限らず、日本語における「畑」も含まれる。「畑」は日本の国字であり、同様の農地を中国の普通話では「田地(tiandi)」と言う。 日本で単に「田」「水田」というと特に湛水(たんすい)して稲を栽培するため水平に整備された稲田(水田)を指すことが多い。 しかし「水田」は「灌漑(かんがい)水をたたえて作物を栽培する耕地」の意であり[13]、それゆえそれに該当する形式で栽培されるのであれば、稲以外の穀物や芋類、根菜類の圃場も「水田」と言い得る。 穀物では稗は畑と並んで水田でも盛んに栽培され、特に稲の栽培に適さない冷水しか供給されない水田では重要な作物であった。 また、栄養生殖によって増殖される芋類、根菜類(蓮、慈姑、田芋(タロイモ)など)も重要な水田作物であり、アジア大陸における稲作の起源をこうした芋栽培の水田から派生したものとみる仮説もある。 また、山間部のワサビ田では、水路や沢の水を利用して水ワサビが栽培される。地域によっては菱・空心菜・芹・オランダ辛子・真菰(マコモダケ・ワイルドライス)が水田で栽培される。 「田」は日本では特に稲田(水稲耕作地)を指すことが多い[14]が、当初は、他の漢字圏と同様、日本でも田は穀物農地を意味する語だった。それが次第に稲田に限定して使用されるようになり、そのため、穀物などの農地一般を表す「畑」という漢字が作られた。陸稲を栽培する農地も「畑」と呼ばれる[15]。 土地の登記事項の地目において「田」は「農耕地で用水を利用して耕作する土地」、「畑」は「農耕地で用水を利用しないで耕作する土地」と区別されている。 日本の土質は火山灰の影響や降水量が多いことによって酸性が強い。土壌の鉱物成分から植物にとって細胞毒性のあるアルミニウムイオンが溶出しやすく、加えて、火山灰起原の粘土鉱物アロフェンが土中のリン酸を不可逆的に吸着して不溶化するので、畑作農耕には不適な面がある。それにひきかえ、水田という形態は山地から流出した栄養塩類や施肥した肥料など水に溶けた養分を蓄えることから、日本の状況に適合している。また、日本の歴史時代を通じて米は特に宗教的儀礼に用いられ、貢納においても重視された(「租」「年貢」を参照)。このため広域流通における通貨的な役割を果たすようになっていった。このため、中国大陸に見られる粟や黍といった雑穀栽培や冬作の麦などの米以外の穀物栽培も食糧生産上は重要であり、実際に稲作農業を補完する重要な役割を果たしていたものの、稲作水田は別格で重視されることとなり、それに伴い「田」も稲作水田を意味するようになったと推測されている。 水田の最初の発見例は、1943年(昭和18年)の登呂遺跡の調査で確認された[16]。また、1977年(昭和52年)の群馬県高崎市の日高遺跡の調査では、水路や畦(あぜ)、人間の足跡等が発掘された[17]。 日本の稲作開始期である弥生時代から古墳時代にかけての水田形態は、長さ2・3メートルの畦に囲まれ、一面の面積が最小5平方メートル程度の「小区画水田」と呼ばれるものが主流で、それらが数百?数千の単位で集合して数万平方メートルの水田地帯を形成するものだった[18]。 世界的に水田稲作が行われているのはほとんどが熱帯・温帯地域である。日本では寒冷地での稲作を可能にするための多くの技術開発が行われ、北海道や本州の高原地帯にも水田が開かれた[19]。北海道では、寒冷地の植物であるシラカバ林の間に水田が広がる風景を見ることができるが、これは世界的には特異な景観であるといえる。日本最北の水田は、道北の遠別町にある[20]。 水を張っている田を水田という。山地で階段状になっている田を棚田(千枚田)という。農耕をやめている田を休耕田という。何らかの理由で一時的に稲以外の作物を育てている田を転作田と呼ぶ。 また特殊な用途のために耕作されている田もあり、例えば、神社の豊穣祭
定義
日本における田
農業形態としての田