田が発祥した中国では、田の神の祭事が行われていたが、早い時期に失われ、今に伝わっていない。
日本では、弥生時代に農耕が伝わったとき、農耕収穫あるいは田に対する信仰が生まれたとされている。各地の神社で執り行われる秋の例祭(いわゆる秋祭り)は、田からの収穫を祭る名残であろうと考えられる。平安時代中期には、田植えの前に豊作を祈る「田遊び」から田楽という芸能が興り、その後、猿楽や能楽などの諸芸能へと発展していった。
田からもたらされる豊作を祈願する神社としては、愛知県小牧市の田県神社(たがたじんじゃ)が、その豊年祭という奇祭で知られている。
豊穣豊作を祈願する田の神は、国内では地方ごとに様々な呼び名と祭り方がある。農神
と呼んだり、山の神、土地の神、あるいは水神様と同一視する場合もある。農作業を行なうと病気になる、災害が起きるなどの凶事が起きるとされる田を病田(やみだ、やまいだ)と呼び、日本各地にそうした田の伝承がある。病田では災いを鎮めるために石碑を建てたり、寺の住職による読経などで供養が行なわれている[21]。
環境としての田ネパールの千枚田。治水効果が高い。
また、水田は多様な生物の生息環境であった。浅くて富栄養な生産力の高い水域が広がっていたことで、カエル、ドジョウ、ミジンコなどの生息個体数は莫大なものであった。それがコウノトリ、トキ、タンチョウなどの鳥類やタガメのような大型肉食昆虫の生息を維持する基盤となっていた。それ以外にも、水田は小型動物が多数生息し、その中には水田にのみ見られるような種も多かった。たとえば、ホウネンエビやカブトエビがそれで、これらは冬季には水がなくなるという特殊な水域である水田で、その期間を耐久卵で過ごすことでそれに適応したものである。また、同地域の他の水域、たとえば川や湿地や池では見られない水草が水田には多数生息しており、水田雑草と呼ばれる。
水田にはそれらを合わせた独特の生物群集があった。水田土壌中の微生物も、土壌の有機物の流れに深く関わり、これらが水田という生産システムそのものの一側面ですらある。しかし、第二次世界大戦後の様々な変化の中で、水田の環境は劇的に変わった。コウノトリやトキは絶滅(その後は中国からの同種個体移入で復活が取り組まれている)。メダカやタガメ、ゲンゴロウ、ガムシ、タニシは見ることができない地域が増え、水田雑草の中からも何種もが絶滅危惧種に指定される有様である。またその一方、関東以西で外来種のスクミリンゴガイ(ジャンボタニシ)の発生が深刻で、稲を食い荒らす被害が拡大している。
気候面では、水田は気温上昇の抑制効果を持つ[22]。 水田耕作は日本各地の主要な農地の形態であり、多くの地域で大きな面積を占めていた。春から夏にかけての出水期や豪雨時に、直接川へ流れ込む前に水田を通過することで水を一時的に貯留させ、水路や河川へ大量集中することを避けることができるため、結果として大きな治水効果が生まれる。大量出水時に意図的に水を田へ引き入れ貯留させ、流出量を一時的に減衰させることをダムに例えて「田んぼダム」と呼ぶ[23]。
田んぼダム
ギャラリー
夏の水田
スズメなどによる食害を防ぐため反射テープを張った田
秋の稲穂
刈田と稲木に架けた稲の天日干し
刈田完了後の田
長野県のワサビ田
イラン マーザンダラーン州の田
タイ王国 チェンマイ県の田
イタリア ロンバルディア州の田
アメリカ合衆国 カウアイ島のタロ芋田
台湾 蘭嶼のタロ芋田
鑑賞を前提に作られた田
日本・弥生時代の水田遺構(安満遺跡)
弥生時代前期の小区画水田遺構の例中西遺跡(奈良県御所市)2019年(令和元年)11月発掘調査時。