田島令子
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田島 令子(たじま れいこ[6]、(1949年2月17日[1][4] - )は、日本女優声優ナレーター東京都新宿区四谷生まれ[2]神奈川県横須賀市出身[3][4][注釈 1]
来歴

日本大学藝術学部[1]演劇学科卒業[2][3][4][7][8]。所属事務所劇団欅劇団昴[1]、野間事務所[9]を経て、アルファエージェンシーに所属[3]

小さい頃は、ひとり遊びをしたり、読書をしたりしていることが多く、一人っ子だったため、人と接するのが苦手な子供だったという[2]

高校時代に素人劇団のようなところに所属していた同級生に誘われ、1回だけ舞台に立つ[2]。その時に「ちょっとおもしろいわね」と思ったが、受験勉強に入ってしまったことから、1回だけだったという[2]

役者の職業をしている田島自身については信じられないといい、女子大生になりたく、「演劇を、舞台をやるにはどうしたらいいんだろう?」と思い調べて、日本大学藝術学部に進学[2]。しかし母に「あなた、もしかして推薦で大学に行くとでも思っていたら大きな間違いです。大学というのは、自分が好きな分野を選んで行くものです」と言われたという[2]

大学時代、サークルは所属しておらず。大学2年生の時に日大闘争で学校が閉鎖され、1年間学校に行けなかった[2]。その時に突然、藝術学部の校門に椅子、机が積み上げられ、バリケードで封鎖されてしまって驚いていた[2]。それで、同期の男子学生の紹介で、ニッポン放送の制作のアシスタントディレクターのようなアルバイトを1年くらいしており、弁当を配ったりしていた[2]。大学3年生になり、2年と3年の授業が詰め込まれて授業が大変になり、忙しくなったため、辞めたという[2]

大学4年生の時に卒論だけになったため、「就職しなければ……」と思い、母が知り合いからくれた入団資料があったため、受けることにしていた[2][8]。その日がちょうど学期末テストと重なっていたため、現代演劇協会にに電話して伝えていたところ、「何時になってもいいです。待っていますからいらしてください」と言われた[2]

行っていたところ合格し、大学在学中に劇団雲(現代演劇協会)の研究生として俳優活動をスタート[2][4][8]

1971年松竹映画『喜劇・頑張らなくっちゃ!』でデビュー[3][4]。1974年『メカゴジラ対ゴジラ』では、ポスター序列が女優一番手の準主役を演じる。

1977年から放送のアメリカ合衆国製作のSFドラマ『地上最強の美女バイオニック・ジェミー』の主役を吹き替え以来[2]、声優としても活動[8]

タケちゃんの思わず笑ってしまいました』、『踊る!さんま御殿!!』など、バラエティ番組への出演も多い。『世界一受けたい授業』では、天海祐希とのコンビで『魔王』の劇を演じた[注釈 2]

1986年、『人間の約束』でただ一度のヌードシーンを演じている[4]

3年B組金八先生』では第3・5シリーズにて共依存の母親役を演じて話題になった[10]
人物

アニメでは『ベルサイユのばら』でのオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ[11]、『クイーン・エメラルダス』でのエメラルダスなど、強い女性キャラクターで当たり役を得る[4]2009年の『派遣のオスカル?少女漫画に愛をこめて』においても劇中でオスカルの声を担当)。洋画吹き替えでは、フェイ・ダナウェイキャスリーン・ターナーを持ち役としている。

『バイオニック・ジェミー』が好評だったため、日本版次回予告のBGMとして使用された「ジェミーの愛」という歌を吹きこんでおり、シングルレコードも発売された。

松本零士は、当初、『銀河鉄道999』のメーテル役に田島を希望していたという[12]

特技は水泳[5]。趣味は書道[5]
出演作品(女優)
テレビドラマ
NHK

天下御免(1971年)

大河ドラマ

国盗り物語(1973年) - 小みち

武田信玄(1988年) - きぬ


赤ひげ 第24話「しじみ河岸」(1973年) - お篠

「元旦の客」(1973年1月1日) - 弓子

銀河テレビ小説

おおさか・三月・三年(1974年)

風の御主前(1974年) - 岩沢八重子

おおさか・三月・三年(1974年) - 水沢涼子

青春のいたみ(1975年)


ドラマ人間模様 / 夢千代日記(1981年) - 橋爪節子


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