このほか、慶應義塾大学野球部の花形スターだった水原茂とのロマンスなどは大きな話題となった。しかし結局、田中は清水監督との短い「試験結婚」を除き、その後は独身を貫いた。 1936年、神奈川県鎌倉市の鎌倉山に3棟合わせて25部屋もある豪邸を建築し、マスコミなどから「絹代御殿」と称された[2]。当時の鎌倉山は高級住宅地で、田中のこの自宅の西隣りには近衛文麿の別邸、東隣りには藤原義江邸があった。1949年に岩田宙造の別宅(山椒洞)を購入して移り住むが、1954年には、帝国ホテルを居所とし[38]、「絹代御殿」を売却した[27]。ちなみに1950年1月に大バッシングに遭った時は、マスコミを逃れて心身を癒すため数ヶ月間をここで静かに過ごしたという[2]。その後1965年に鎌倉山に自宅を新築した[20]。
鎌倉の自宅など
その他
動物好きとして知られ、自宅で犬や猫を飼っていた[2]。
“林長二郎”時代の長谷川一夫と何度も共演し、田中の遺品のアルバムには彼とのツーショット写真が多く残されているという[2]。
楳図かずおの長編大作・洗礼に主人公が"田中絹子"と共演する部分がある。
受賞歴
毎日映画コンクール
1947年:女優演技賞 『結婚』『不死鳥』『女優須磨子の恋』
1948年:女優演技賞 『夜の女たち』『風の中の牝鶏』
1957年:女優助演賞 『異母兄弟』『地上』『太夫さんより 女体は哀しく』
1960年:女優助演賞 『おとうと』
1974年:女優演技賞 『サンダカン八番娼館 望郷』
キネマ旬報賞
1958年:女優賞 『楢山節考』
1974年:女優賞 『サンダカン八番娼館 望郷』
1970年:紫綬褒章
1974年:ベルリン国際映画祭最優秀女優賞 『サンダカン八番娼館 望郷』
1974年:芸術選奨文部大臣賞
1977年:勲三等瑞宝章(没後追贈)
出演作品
映画『マダムと女房』(1930年)『非常線の女』(1933年)『愛染かつら』(1938年)『西鶴一代女』(1952年)『女囚と共に』(1959年)
元禄女(1924年、松竹キネマ)
村の牧場(1924年、松竹キネマ)
小さき旅芸人(1925年、松竹キネマ) - お菊
激流の叫び(1925年、松竹キネマ) - お君
勇敢なる恋(1925年、松竹キネマ)
一心寺の百人斬(1925年、松竹キネマ)
自然は裁く(1925年、松竹キネマ)
落武者(1925年、松竹キネマ)
恋の捕縄(1925年、松竹キネマ)
御意見御無用(1925年、松竹キネマ)
悩ましき頃(1926年、松竹キネマ) - おさき
裏切られ者(1926年、松竹キネマ) - 妹お芳
街の人々(1926年、松竹キネマ)
あら!呑気だね(1926年、松竹キネマ)
お坊ちゃん(1926年、松竹キネマ) - 玉子
奔流(1926年、松竹キネマ)
恋と意気地(1926年、松竹キネマ)
妖刀(1926年、松竹キネマ) - お若
カラボタン(1926年、松竹キネマ)
清水次郎長全伝 後篇 阿修羅復讐の巻(1926年、松竹キネマ)
彼女(1926年、松竹キネマ)
閃く刃(1926年、松竹キネマ)
暗闘(1927年、松竹キネマ)
地下室(1927年、松竹キネマ)
奴の小万(1927年、松竹キネマ)
天王寺の腹切り(1927年、松竹キネマ)
高田の馬場(1927年、松竹キネマ)
恥しい夢(1927年、松竹キネマ)
国境警備の唄(1927年、松竹キネマ) - 女給つたえ
真珠夫人(1927年、松竹キネマ)
悲願千人斬(1927年、松竹キネマ)
むさゝびの三吉(1927年、松竹キネマ)
夜は曲者(1927年、松竹キネマ)
木曾心中(1927年、松竹キネマ)
近代武者修行(1928年、松竹キネマ)
海国記(1928年、衣笠映画聯盟/松竹キネマ)
若しも彼女が(1928年、松竹キネマ)
村の花嫁(1928年、松竹キネマ) - お絹
感激時代(1928年、松竹キネマ) - 美保子
不滅の愛(1928年、松竹キネマ)
永遠の心(1928年、松竹キネマ)
鉄の処女(1928年、松竹キネマ)
天晴れ美男子(1928年、松竹キネマ)
人の世の姿(1928年、松竹キネマ)