田中 秀幸(たなか ひでゆき、1950年〈昭和25年〉11月12日[1][2][3] - )は、日本の声優、俳優、ナレーター[6]。東京都大田区南馬込出身[3][4]。青二プロダクション所属[7]。 火災保険会社に勤務しており、映画監督になりたかったというくらい映画が好きだったサラリーマンの父親の方針で幼稚園には通わず、家庭で教育を受けたという[4][12]。 5歳の頃、ニッポン放送の児童向け連続ラジオドラマ『アッちゃん』のアッちゃん役一般公募オーディションに合格[4][13][14]。原作者で審査員だった岡部冬彦いわく「とにかく面白い声を持ち、アッちゃんのイメージにぴったりだった」とのことで、児童劇団に入っているセミプロの子役を後目に、全くの素人であった田中が600人(400人とも)の中から抜擢された[12][15]。以来、小学校在学の6年間収録に参加[4][13]。声変わりのため降板後は、共演した真木恭介に自分の劇団に入るよう誘われ劇団葦へ入団。中学、高校に通いながら演技の仕事を続ける[16]。中学、高校時代は演劇部に所属しておらず、通っていた高校は男子校で演劇部自体がなかったという[2]。高校卒業後、短大で4年間演劇を勉強した[13]。 桐朋学園芸術短期大学演劇専攻卒業[7]。以前は劇団青年座、西郷エンタープライズ、江崎プロダクション(現・マウスプロモーション)に所属していた[7]。 1963年、NHKで放送された『南海のテリー』にて吹き替えデビュー[4]。アニメは、青年座所属時代の1974年に『科学忍者隊ガッチャマン』のヘムラー役でデビューし[11]、翌1976年には『ドカベン』の山田太郎役で初主演を果たす[17]など、声の仕事を中心に携わるようになり、アニメ・洋画吹き替え・ナレーションなどで活躍を続ける。
来歴
生い立ち
初期のキャリア
声優として
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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