女優としての活動の場を求めて、文学座、青年座などに応募するも全て不合格だった[6]。落選の理由として「あなたは背が低いし、小顔で、全てが小作りで舞台栄えしない。妖精や子供など、役柄が限られてしまうから」と告げられ、当時は非常に落ち込んだと述懐している[18]。竹内演劇研究所の一期生募集のオーディションも受けたが、田中以外の全員が合格するという結果となった[5]。入学金を支払えば入れるという、客状態でも活動できるといった形態の養成所だったが、田中だけが落選したという[3]。このことで、当時はもう人間やめろと告げられたように感じ、深く落胆したという[3]。フジテレビのアナウンサー試験にも応募し、最終選考の5名まで残ったものの内定には至らなかった[6]。 作曲家の鈴木邦彦の下で歌のレッスンを受けていた時期もあった[6]。ある日、渋谷にあるバーの前で歌手募集の広告を見つけ、そのバーでいわゆるハコバンのシンガーとして唄うことになる。後日、バーに来たテアトル・エコーの音響スタッフに「うちの劇団なんか合っているんじゃないかな、チビばっかりですよ」と斡旋され、テアトルの付属養成所の試験を受けて合格する。23歳の時に同養成所に入所し、短大卒業後はテアトル・エコーに所属することとなった[3][5][6][18]。 初舞台は研究生としては、小原乃梨子の夫で演出家の戸部信一
キャリア
声優として駆け出しの時期だった1978年には、田宮二郎の遺作となった『白い巨塔』の第2回に、財前五郎の講義を受ける医学生役と里見医院の看護婦役で出演している。
以前はNPSテアトル[20]、アーツビジョン[21]、大橋巨泉事務所(現:オーケープロダクション)[22]に所属していた。
1978年に『激走!ルーベンカイザー』の高木涼子役で声優デビュー[14][15]。同年には刑事ドラマ『Gメン'75』の「香港ロケ編」で、事件解決に協力する香港の難民少年役をアテレコで演じた。
1980年代には、島津冴子とラジオ番組『アニメトピア』に2代目パーソナリティーとして出演、少し後に『さすがの猿飛』に揃って出演した。1983年から長期にわたり、『うる星やつら』で女性でありながら格好も言葉遣いも少年の姿の藤波竜之介役を演じたことで大きく知名度を上げた。
1984年に三ツ矢雄二とプロジェクト・レヴューを設立[17][23]。
2006年には、CD企画『外道女王』(原作:伊豆一彦、脚本:伊藤良徳)にて主役を担当した。 2011年に第5回声優アワード「高橋和枝賞」を受賞[24]。 2012年に伊倉一恵、竹田えり、高乃麗と共に演劇ユニット「コーネンキーズ」を結成。 2013年に第7回声優アワード「キッズ・ファミリー賞」を受賞[25]。 2017年1月9日、テレビ朝日にて放映された『人気声優200人が本気で選んだ!声優総選挙!3時間SP』で第6位に入選[26]。 音域はF-F-C(地声)-F(裏声)[9]。 現在でも女優が本業であり、舞台[注釈 1]に立つことが多いが、男児のような低めの声を活かし、アニメなどで声優業の仕事を精力的に行っている一方で、フジテレビの『クイズ!ヘキサゴン』など、ナレーションの仕事も多くこなしている。
現在まで
人物・特色