田中 真弓(たなか まゆみ、1955年〈昭和30年〉1月15日[1][2][7] - )は、日本の声優、女優、ナレーター[8]。日本芸術専門学校特別講師。本名:阿部 真弓(あべ まゆみ)。東京都渋谷区代々木上原、杉並区浜田山出身[2][4][5][6]。青二プロダクション所属[9]。 東京都渋谷区代々木上原に誕生する[4][5]。父が新聞記者だったことから、転勤で2歳ごろに大阪府へ移住[2][6]。後に東京へと戻り、杉並区浜田山で育つ[6]。東京都立杉並高等学校[6]、青山学院女子短期大学卒業[9]。 幼少期から目立ちたがりで[16]、歌うのが好きであり、将来は歌手を志望していた[15]。学生時代には演劇にも打ち込み、学芸祭のクラス公演などで演劇を行っていたのをきっかけとして、舞台女優として身を立てる決意を固める。小学校には演劇クラブはなかったが、学芸会の花形であり、田中自身が演目を積極的に提案していた[5]。また小学校時代には「自分には才能があるし、役者は天職だ」と作文にも記したという[2]。 中学、高校、短期大学時代は演劇部に所属していた[5][6]。当時は娘役が他に多数いたことから、お婆さんと少年役が多かった[17]。中学時代は俳優座が好きであり、卒業後は桐朋学園芸術短期大学演劇科を志望していた[2][6]。同芸術短期大学演劇科は中学、高校、短期大学時代と受験したが、いずれも不合格だった[3]。 女優としての活動の場を求めて、文学座、青年座などに応募するも全て不合格だった[6]。落選の理由として「あなたは背が低いし、小顔で、全てが小作りで舞台栄えしない。妖精や子供など、役柄が限られてしまうから」と告げられ、当時は非常に落ち込んだと述懐している[18]。竹内演劇研究所の一期生募集のオーディションも受けたが、田中以外の全員が合格するという結果となった[5]。入学金を支払えば入れるという、客状態でも活動できるといった形態の養成所だったが、田中だけが落選したという[3]。このことで、当時はもう人間やめろと告げられたように感じ、深く落胆したという[3]。フジテレビのアナウンサー試験にも応募し、最終選考の5名まで残ったものの内定には至らなかった[6]。 作曲家の鈴木邦彦の下で歌のレッスンを受けていた時期もあった[6]。
来歴
生い立ち
キャリア