山の神信仰は、古くより、狩猟や焼畑耕作、炭焼、杣(木材の伐採)や木挽(製材)、木地師(木器製作)、鉱山関係者など、おもに山で暮らす人々によって、それぞれの生業に応じた独特の信仰や宗教的な行為が形成され伝承されてきた[5]。
いっぽう、稲作農耕民の間には山の神が春の稲作開始時期になると家や里へ下って田の神となり、田仕事にたずさわる農民の作業を見守り、稲作の順調な推移を助けて豊作をもたらすとする信仰があった[3][4][5]。これを、田の神・山の神の春秋去来の伝承といい、全国各地に広くみられる[3]。ただし、去来する神が山の神や田の神として明確に特定されないケースも多い[3][注釈 2]。このように一つの神が季節のうつろいとともに所在を変え、神格を融通する信仰はめずらしい[4]。
たとえば、新潟県村上市中継(旧、山北町)の民俗事例では、3月16日に田の神が天竺(インド)よりやって来て家に降りるとされる[6]。つづいて4月16日には家から田へと出て行き、10月16日には再度家に戻るといわれ、これらの日にはぼた餅をえびす(恵比寿)に供えて送り出し、出迎えの儀礼をおこない、11月16日には田の神は再び天竺に還るとされた[6]。すなわち、田の神は、一年かけて天竺・家・田を循環するわけであり、この動きは、ほぼ一年の稲作過程と重なり合うのである[6]。
このように、去来伝承には田の神が家を媒介として去来するという伝承も多く、それには、
田から家へ帰る
家から田へ出て行く
山から家へ降りてくる
家から山へ帰る
家と田とを去来する
去来せず留守神となる
などのパターンがあり、上述の村上市の事例のように、去来する先として天竺などの異空間が加わることがある[6]。
奥能登(石川県)に今日まで伝わる民俗行事「アエノコト」(国の重要無形民俗文化財)も、秋の収穫後(12月5日、もと11月5日)に、田から家へ田の神を迎えて饗応(=アエ)をする行事である[7][8]。かつては、春先(2月9日、もと1月9日)に家から田へ田の神を送り出す行事もあった。「アエノコト」では、種籾俵が神体としてまつられる[7]。
かかし、屋敷神、祖霊神かかし屋敷と水田(新潟県、1990)
大国主の国づくりの説話に登場する「久延毘古」(クエビコ)は、かかしが神格化されたものであるが、これもまた田の神(農耕神)であり、地神である。かかしはその形状から神の依代とされ、地方によっては山の神信仰と結びつき、収獲祭や小正月行事のおりに「かかしあげ」の祭礼をともなうことがある[9]。また、かかしそのものを「田の神」と呼称する地域もある。なお、かかしは「かがし」を原義とする言葉と考えられ、これは稲作に害をおよぼす鳥獣が嫌悪する臭いをかがせ、それによって鳥獣を追い払う目的でつくられたという[10]。
さらに、春秋去来の伝承は屋敷神の成立に深いかかわりをもっているとみられる[11][12]。屋敷神の成立自体は比較的新しいが、神格としては農耕神・祖霊神との関係が強いとされ、特に祖霊信仰との深い関連が指摘される[4][11]。日本では、古来、死んだ祖先の魂は山に住むと考えられてきたため、その信仰を基底として、屋敷近くの山林に祖先をまつる祭場を設けたのが屋敷神の端緒ではないかと説明されることが多い。古代にあっては一般に、神霊は一箇所に留まらず、特定の時期に特定の場所に来臨し、祭りを受けたのちは再び還るものと信じられていた。また、現在ならば「姓」と称されるものも、かつては「同苗(どうみょう)」や「苗字(みょうじ)という用法があったように、東北地方の民俗例でみられる播種の際の戸別の「苗印(なえじるし)」は、田の神の依り代であると同時に家ごとに異なり、その点ではまさしく祖霊の神、家々の神であった[4]。屋敷神の祭祀の時期も、一般に春と秋に集中し、後述するように農耕神(田の神)のそれと重なっている[4][11]。その一方で農耕神もまた祖霊信仰のなかで重要な位置を占めるようになった[11]。こうして屋敷神・農耕神・祖霊神の三神は、穀霊神(年神)を中心に、互いに密接なかかわりをもつこととなったのである[4]。 田の神は、その性格上、祭日も農耕の段階に応じて春と秋に集中する[8]。その多くは農耕儀礼の形式をとるが、主要なものとして、 があり、とくに田植時と稲の刈上げに際してさかんにまつられる[8]。 家中の掛軸をかけ、机をおいて、その上に酒食を供えて年神(大歳神)をまつることは今日でも広くおこなわれている。ナラセ餅(餅花)の小枝を供えるところもある。 予祝行事としては、東京都板橋区にのこる田遊びや和歌山県かつらぎ町花園の御田舞(ともに重要無形民俗文化財)が、年頭や小正月におこなわれるものとしては古い形態をよくとどめており、今日では4月におこなわれる宮城県仙台市秋保の田植踊(重要無形民俗文化財)も元来は厳寒の小正月期におこなわれていた予祝芸能である[13]。秋田県横手市吉田の「雪中田植え」や青森県八戸市の「えんぶり」をはじめとする庭田植の行事、さらに、田の神そのものではないが、それと深くかかわるものとしては、東日本に広く伝承されている小正月の鳥追い行事、かまくらなど水神の祭礼、どんど焼きをはじめとする左義長の行事、また、ナマハゲ・サイノカミ・トシドン・アマハゲなど日本各地に広がるトシノカミの訪問も、予祝の性格をもつ民俗行事である[13][14]。
田の神の祭り
年頭の予祝祭
農作業開始時の水口祭(みなくちまつり)
田植祭り、その前後
防災除疫の呪的行事
収穫儀礼
年神様、年頭の予祝祭左義長(兵庫県龍野市)