田の神
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農作業開始時の水口祭(みなくちまつり)

田植祭りその前後

防災除疫の呪的行事

収穫儀礼

があり、とくに田植時と稲の刈上げに際してさかんにまつられる[8]
年神様、年頭の予祝祭左義長(兵庫県龍野市

家中の掛軸をかけ、をおいて、その上に酒食を供えて年神(大歳神)をまつることは今日でも広くおこなわれている。ナラセ餅(餅花)の小枝を供えるところもある。

予祝行事としては、東京都板橋区にのこる田遊び和歌山県かつらぎ町花園の御田舞(ともに重要無形民俗文化財)が、年頭や小正月におこなわれるものとしては古い形態をよくとどめており、今日では4月におこなわれる宮城県仙台市秋保の田植踊(重要無形民俗文化財)も元来は厳寒の小正月期におこなわれていた予祝芸能である[13]秋田県横手市吉田の「雪中田植え」や青森県八戸市の「えんぶり」をはじめとする庭田植の行事、さらに、田の神そのものではないが、それと深くかかわるものとしては、東日本に広く伝承されている小正月鳥追い行事かまくらなど水神の祭礼、どんど焼きをはじめとする左義長の行事、また、ナマハゲサイノカミトシドンアマハゲなど日本各地に広がるトシノカミの訪問も、予祝の性格をもつ民俗行事である[13][14]
水口祭

水口祭は、春耕に先だって迎えられた田の神を苗代播種[注釈 3]の際にまつるもので、たとえば、宮城県丸森町には、苗代田の水口(みなくち)に八重桜の枝や焼米を入れた幣束を立てる行事[16]茨城県真壁町には正月に作ったヌルデの棒を「田の神様」と称して春に水口にもっていく例[17]神奈川県座間市には、苗代の水口に、木の枝を(ホウキ)のように束ねる例[18]などがあり、地域によって、その内容や形態は多様である[19]。このように依代は通常、木の枝や花、小石などが一般的で、常設の祠堂は設けられないのが一般的である(例外は南九州地域。これについては後述する)[2][4]。このことは一面、神祭りの古風なかたちを残したものと考えられる[4]
田植前後の祭礼
サオリ

サオリとは、田植の開始時に田の神を迎える祭りで、家の床の間などを祭壇とし、苗代から苗を3把もってきて供える形態をとることが多い[20][21]。地方によっては、サビラキ・サイケ・ワサウエ・サンバイ降しなどともいう[20][21]
サナブリ

田植の終わりに田の神を送る祭りをサナブリといい、サノボリ、シロミテなどの別称がある。苗を田からもってきて荒神カマド神などに酒や食事とともに供える神事をおこない、早乙女はじめ田植に参加した人々を招いて祝宴をもよおした地方が多い[21]太平洋戦争後は家ごとの祭りになっているが、それ以前は地主や親方衆の家でおこなわれ、各家庭ではおこなわれなかった。家ごとでサナブリがおこなわれるようになって以後、集落全体あるいは市町村単位、単位で大サナブリ(サノボリ)大会を開き、互いに郷土芸能を披露し合う行事が各地で生まれたが、農村における共同体意識が急速に失われつつある今日では、大サナブリ、各戸別のサナブリともに顧みられなくなってきているのが現状である[21]
田植(大田植、花田植)早乙女による田植(香取神宮御田植祭

田植は農耕儀礼の最も重要な段階であった[22]。この行為がかつて祭の儀礼をなしていたことは今に残る大田植の形態にみとめられる[22]。大田植は、字義通りには大規模な田植ということだが、最も多く植える日、田植盛りの日、最も大きな田の田植日、田植終いの日など、さまざまな意味で用いられる[23]中国地方の山間部では、旧家の由緒ある田に美しく着飾ったを入れて代かきをし、ささら太鼓などのに合わせて田植歌をうたいながら早乙女たちが田植をすることを大田植と呼んでいる。同様の行事を花田植と呼ぶ地方もある[22]
早乙女

田植の日に苗を田に植える女性のことを早乙女と呼んでいる[24]ハレの役であり、神に奉仕する神役でもあって、これに加わらないのは、かつて娘の恥とさえ考えられていた[24]。この日はハレ着(紺の単衣に赤い、白い手ぬぐい、新しい菅笠)を着用した。田植衣装のこうした華々しさは、田植が重要なハレの行事であったことを物語っている[24]。五月を「サツキ」と呼ぶのは「田植え月」の意味であり[22]、それゆえ早乙女は「五月女」と書くこともある。
田植飯竿燈(秋田市)

田植の日に田で働く人々が食べる飯を田植飯と呼んでいる[25]。これは、田の神と一緒に食べる神聖な食事で、その炊飯も年神に供えた割木を束にした年木を燃料に使うとされている。田植飯を田に運ぶのは、着飾ったオナリと呼ばれる女性である[26]。オナリの仕事は、かつては家早乙女や内早乙女と呼ばれた田主の家族の若い女性の役目であったが、早乙女が田植をする女性をさすようになって、両者が区別されるに至ったものと考えられる。
除災の行事

青森のねぶた流し(ねぶた)や秋田のねぶり流し(竿灯の旧名)はいずれも七夕行事に属すると考えられているが、元来は眠気払いの除災行事の性格を持っていた[27]。それが星祭りや織姫伝承などと結びついたのである[27]。七夕行事が各地で人形燈篭などを流す行事をともなうのは、起源が(ハライ)にかかわることを示唆している[27]
収穫時の祭礼刈上げられた稲(宮城県栗原市かかし
穂掛け

穂掛けとは刈初めの行事で、刈入れに先だって少量の稲穂を田よりもってきて神前にかけ、新米の焼米を供えるもので、その年の最初の稲米を神に供える神事である[28][29]。西日本では八朔の穂掛けと呼ぶことがあり、その場合は八朔の日(旧暦8月1日)を祭日としている[28][29]


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