産業革命
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それまでは対となるボルトとナットは世界にひとつきりのもので、互換性など求めるべくもなかったのである[20]。これによって、ヘンリー・モーズリーは工作機械の父とも呼ばれる。

また、これ以外の産業技術の開発もこの時期に進んだ。1791年にはフランスのニコラ・ルブランがソーダ灰(炭酸ナトリウム)の大量生産法を発明し、このルブラン法によってアルカリを大量に使用するガラス産業などの原料供給のネックが解消され、ガラスの増産が進んだ。製紙業においては、1798年にフランスのルイ=ニコラ・ロベールが連続型の抄紙機を発明し、1799年にはイギリスのヘンリー・フォードリニアがこれを実用化した[21]印刷業においては、1800年にイギリスのチャールズ・スタンホープ(スタナップ)が鉄製で手動のスタンホープ(スタナップ)印刷機を発明し、それまでの木製のグーテンベルク印刷機にとってかわった。1811年にはドイツのフリードリヒ・ケーニヒが蒸気式の印刷機を開発し[22]、製紙と印刷の改善によって出版がよりいっそう盛んとなった。建材においては、ジョン・スミートンが1756年頃に水硬性石灰の水硬性の条件を特定した[23]ことからセメントの研究が進み、1824年にはジョセフ・アスプディンポルトランドセメントを発明し、以後セメントは重要な建築材料の地位を占めるようになった[24]照明においても、1792年にウィリアム・マードックガス灯を発明し、19世紀初頭にはヨーロッパで普及した[25]
動力源の開発ニューコメンの蒸気機関ワット

木材不足によって、木炭に変わる燃料として石炭の採掘が盛んになると、炭坑に溜まる地下水の処理が問題となった。こうした中、1712年にトーマス・ニューコメンによって蒸気機関を用いた排水ポンプが実用化された。ただしこれは効率の悪いもので、産出された石炭のかなりが蒸気機関の運用に使用されたといわれているが、ともかくもこれによって鉱山の排水は改善され、石炭の生産は増大した[26]

1765年、ジェームズ・ワットが蒸気機関から復水器を独立させたことで、蒸気機関の能力は著しく増大し、真に動力源として革命的なものとなった。これによりエネルギー効率が大幅に改善され、燃料の75%の節約が可能となったのである。実用化にはしばらく時間を必要としたが、1775年にマシュー・ボールトンの出資を受け、ボールトン・アンド・ワット商会を設立してからは設計は順調に進み、1776年には最初の実用的なワット蒸気機関が完成した。さらにワットは1781年に遊星歯車機構の特許を取り、蒸気機関のエネルギーをピストン運動から円運動へ転換させることに成功した[27]。この蒸気機関の改良によって、蒸気機関は鉱山排水のみならずさまざまな機械に応用されるようになった。それまで工場は水力を利用するために川沿いに建設するほかなかったが、ワットが蒸気機関を改良したことによって、川を離れ都市近郊に工場を建設することが可能となった。これにより新興商工業都市はさらなる成長を遂げるが、一方で過密による住環境の悪化を招くこととなる。ワットは爆発事故を防ぐために蒸気機関を高圧で使用することを禁じていたが、1800年にワットの特許が切れると[28]リチャード・トレビシックらによってさっそく蒸気機関の高圧化がはかられ、出力を急上昇させた蒸気機関はさらに多くの用途を持つようになった。
移動手段の発達ロバート・フルトンの開発した外輪蒸気船クラーモント号リバプール・アンド・マンチェスター鉄道の開業記念列車

産業の発展にともない、イギリス国内の輸送手段も徐々に改善されるようになった。最初期の輸送手段改善はおもに運河の建設によってなされた。きっかけは、ブリッジウォーター伯爵フランシス・エジャートンが1761年に建設したブリッジウォーター運河(英語版)である[29]。この運河はブリッジウォーター公の領地であるワースリー(英語版)炭鉱と工業都市マンチェスターを結ぶものであり、大成功をおさめ、マンチェスターの石炭価格が半額に下落した[30]うえに経費も大幅に節約できた。この成功は各地に模倣を生み、1760年代から1830年代にかけてはイギリスにおいて運河時代と呼ばれる一時代が現出した。特に1790年代前半には「キャナル・マニア」と呼ばれる運河建設・投資ブームが巻き起こり、急速に運河の建設が進んだ。この運河網の発達は安定した大量輸送を各地で確保し、産業革命を推進する大きな力のひとつとなった[31]。また、陸路に頼らざるを得ない鉱山などにおいては、17世紀初頭から木製の線路を敷設しその上にトロッコや貨車を走らせることが行われていたが[32]、これも18世紀後半にはレールが鋳鉄製となり、多くの鉱山で使用されるようになっていた[33]。また、1816年にはジョン・マカダム(英語版)によっていわゆるマカダム舗装が実用化され、道路は大きく改良された[34]

しかしこの時点においてはいまだ、交通機関そのものに対する抜本的な改良はなされていなかった。しかし蒸気機関が改良されるとともに、蒸気機関を輸送手段に使用する試みがなされるようになっていった。こうした試みのうち、もっとも早く実用化がなされたのは蒸気船であり、1807年にロバート・フルトンによって河川航行が可能な外輪船が実用化された[35]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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