産業革命
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紡績過程においてはミュール紡績機は長らく主力であり続けたが、多くの人々によって常に改良がなされており、1825年にリチャード・ロバーツによって完全に自動化された[11]

これらのように、問題点の改良が各地で行われた結果として生産性が加速度的に向上することとなった。問題点の解決が生産余剰を生み出す、または前行程の生産増大を促し生産効率を揚げるという相乗効果の中で、イギリスの綿織物の生産は激増し、品質も改良されて全世界に輸出できるものとなっていった。かつてイギリスの綿織物は製品をインドから運んでいたが、その関係は逆転していく。1802年から1803年にはとうとうそれまでイギリスの主力産業であった毛織物の輸出を上回るようになり[12]、綿織物は新たなイギリスの主力産業となっていった。
製鉄技術の改良1781年完成のイギリス・シュロップシャーの鉄橋

繊維業と並んでイギリス産業革命の推進役となったのが製鉄業である。こちらは綿織物と比較して経済に影響を及ぼしたのが遅く、第二次産業革命とも称される。イギリスではすでに16世紀ごろから鉄製品に対する需要が高まっていたが、当時は木炭を用いていたため、急速に成長する鉄需要に対応するうちに木材が深刻に不足し、17世紀にはロシアスウェーデンから鉄を輸入する事態となっていた。木炭不足に対応すべく、一般家庭の燃料にはこのころから石炭が利用されるようになっていた。イギリスには石炭が豊富に存在したためである。しかし石炭に含まれる硫黄分が鉄をもろくしたため、石炭を製鉄に使用する試みはすべて失敗に終わっていた[13]

18世紀に入り、1709年にエイブラハム・ダービー1世が石炭を蒸し焼きにしたコークスを製鉄に利用するコークス製鉄法が開発されたことで状況は変わったものの、この製鉄法が広く普及するためにはさらに数十年を要した[14]。1735年には彼の息子であるエイブラハム・ダービー2世によってさらに改良が加えられ、1750年ごろからコークス製鉄法はイギリス全土に普及していった。1740年代にはベンジャミン・ハンツマンによってルツボ製鋼法により良質の鋼鉄も作られるようになったが、この鋼鉄は大量生産ができず、鋼鉄を一般的に使用できるようにはできなかった[15]。1760年代にはジョン・スミートンによって高炉用の送風機が改良され[16]、これにワット式蒸気機関を組み合わせることで送風過程はさらに効率がよくなった。ついで1784年にはヘンリー・コートが攪拌精錬法を発明し、これによって良質の錬鉄が大量に生産できるようになった[17]

このような鉄の需要は、初めのうちは生活革命によって使用されるようになった軽工業製品によって牽引されたが、やがて産業革命が進むにつれて、工業機械や鉄道のためにさらなる鉄が必要となっていった。
各種工業の発展モーズリーのねじ切り旋盤

さまざまな産業機械の発明と発展は、その産業機械を生み出す機械工業を誕生させ、さらに機械を生産するための加工技術も発展を続けた。1774年には製鉄業者であるジョン・ウィルキンソンが中ぐり盤を発明し、これによってシリンダーなどの内面の精度が大きく向上した。この精度の向上によって、後述するワット蒸気機関の作動を保障できるだけの前提が整った[18]。また、1800年にはヘンリー・モーズリーが実用的なねじ切り旋盤を発明した[19]ことにより、ねじ山が統一したサイズでねじを生産できるようになり、ボルトナットが互換性を持った形で量産が可能になった。それまでは対となるボルトとナットは世界にひとつきりのもので、互換性など求めるべくもなかったのである[20]。これによって、ヘンリー・モーズリーは工作機械の父とも呼ばれる。

また、これ以外の産業技術の開発もこの時期に進んだ。1791年にはフランスのニコラ・ルブランがソーダ灰(炭酸ナトリウム)の大量生産法を発明し、このルブラン法によってアルカリを大量に使用するガラス産業などの原料供給のネックが解消され、ガラスの増産が進んだ。製紙業においては、1798年にフランスのルイ=ニコラ・ロベールが連続型の抄紙機を発明し、1799年にはイギリスのヘンリー・フォードリニアがこれを実用化した[21]印刷業においては、1800年にイギリスのチャールズ・スタンホープ(スタナップ)が鉄製で手動のスタンホープ(スタナップ)印刷機を発明し、それまでの木製のグーテンベルク印刷機にとってかわった。1811年にはドイツのフリードリヒ・ケーニヒが蒸気式の印刷機を開発し[22]、製紙と印刷の改善によって出版がよりいっそう盛んとなった。建材においては、ジョン・スミートンが1756年頃に水硬性石灰の水硬性の条件を特定した[23]ことからセメントの研究が進み、1824年にはジョセフ・アスプディンポルトランドセメントを発明し、以後セメントは重要な建築材料の地位を占めるようになった[24]照明においても、1792年にウィリアム・マードックガス灯を発明し、19世紀初頭にはヨーロッパで普及した[25]
動力源の開発ニューコメンの蒸気機関ワット

木材不足によって、木炭に変わる燃料として石炭の採掘が盛んになると、炭坑に溜まる地下水の処理が問題となった。こうした中、1712年にトーマス・ニューコメンによって蒸気機関を用いた排水ポンプが実用化された。ただしこれは効率の悪いもので、産出された石炭のかなりが蒸気機関の運用に使用されたといわれているが、ともかくもこれによって鉱山の排水は改善され、石炭の生産は増大した[26]


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