産児制限
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19世紀における避妊
日本における産児制限運動

日本の産児制限運動
マーガレット・サンガー石本静枝(1922年)
目的避妊具の普及
労働者家庭の生活改善
人口問題の解決
女性の解放
権利リプロダクティブ・ヘルス・ライツ
女性の権利
年代1918年 ? 1960年代
主導者加藤シヅエ
山本宣治
安部磯雄
初期の書籍等『産児調節評論』
『産児制限論』
『性と社会』
団体日本産児調節連盟
日本家族計画協会
家族計画国際協力財団
法律国民優生法
優生保護法

日本の産児制限運動には、マーガレット・サンガーの思想と活動に強く影響を受けていた。
歴史

日本では、間引き及び堕胎(人工妊娠中絶)が暗然と行われてきたが、明治政府は両者を法律で禁じた(堕胎罪参照)。また産児制限にも冷淡であり、特に当時は富国強兵政策の一環として「産めよ殖やせよ」政策を取っていた。

1937年には、産児制限が「国体維持に反する可能性がある」として警察が石本(加藤)シヅエを連行、その隙に産児制限相談所を家宅捜索しカルテ等を持ち出した。その結果産児制限相談所は閉鎖に追い込まれた(もっとも、避妊を公然と普及させることには洋の東西を問わず抵抗が強く、マーガレット・サンガーも1914年に米国においてコムストック法猥褻郵便物禁止法)で起訴され、1916年に産児制限診療所を開設したところ逮捕され懲役刑に処された経緯がある。)。

一方、日本陸軍は各国軍と同様、慰安所を利用する兵士に「突撃一番」と称するコンドームを支給し性病の流行と慰安婦の妊娠を予防した。
年譜
日本における受胎調節(避妊・家族計画)年譜


1869年明治2年) - 堕胎禁止令発布。

1880年 - 堕胎罪制定。

1907年 - 現行刑法の堕胎罪制定。

1909年 - 国産コンドーム発売。

1922年 - 3月10日、マーガレット・サンガー来日。

各地に受胎調節相談所、産児調節研究会発足。5月、石本恵吉・安部磯雄ら、日本産児調節研究会設立。


1924年 - 荻野久作、「人類黄体の研究」学説発表。

1929年 - 山本宣治、暗殺される(産児制限運動に参加。1922年のサンガー来日時に通訳を務める)。

1931年 - 荻野久作、上記研究を応用した受胎調節法を発表。いわゆるオギノ式避妊法のおこり。

1932年 - 太田リング発明(1930年のグレーフェンベルグ・リング発明をうけ)。

1934年 - ラテックス製コンドーム開発。

1936年 - 避妊リング(IUD)、有害避妊器具に(厚生省の許可は1974年)。

1937年 - 母子保健法制定。産児調節運動弾圧。

1938年 - 内務省警保局「婦人雑誌に対する取り締まり方針」。

1940年 - 国民優生法成立。

1941年 - 厚生省「人口政策要綱」。産めよ殖やせよ運動開始。

1948年 - 優生保護法成立。

エーザイ、「サンプーンループ」(女性用殺精子剤)発売。


1952年 - 厚生省「受胎調節普及実施要領発表」。

マーガレット・サンガー再来日。


1954年 - 日本家族計画連盟発足(サンガーの指導による)。人口問題審議会、家族計画の推進を進言。

1955年 - 女性用経口避妊薬(ピル)の臨床試験開始。


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