出産は女性の特権であると同時に、長期間にわたる肉体的・精神的な負担ともなり、時には命の危険すら伴う(出産難民参照)。出産を巡る男女の差はかように大きく、例えば合法な産児制限が行われなかった時代には、闇堕胎や見よう見まねの自己堕胎が行われ、この際命を失うのは胎児の他は女性に限られたのである。
このように「子供を産まない権利」あるいは「いつどのように出産するかを女性自身が決定する権利」は女性の人権に深く関わる。ところが、胎児を人と見なした場合の胎児の人権も関係してくるため、問題は複雑になる。産児制限は身売り、口減らし、間引き、生活に行詰った結果の母子心中によって失われる子供の命を減少させる効果がある一方、避妊法の中でも受精卵の着床を防ぐ技術(IUD、モーニングアフターピル)や胎児を殺す技術(人工妊娠中絶、減胎手術)に対しては厳しい批判がある。人工妊娠中絶やモーニングアフターピルは強姦被害にあった女性の救済策としても用いられ、減胎手術は母体と他の胎児を救うため行われるため、尚更問題が複雑化する。女性の権利と胎児の権利の内で、前者に重きをおく立場をプロ・チョイス、後者に重きをおく立場をプロ・ライフと呼ぶ。
厚生労働省の医療用から要指導・一般用への転用に関する評価検討会議では、経口妊娠中絶薬の市販化について審議されたが、アメリカなどの緊急避妊ピルを常時使用している環境と比較した性教育の不十分さや薬剤師の知識不足による誤解などを懸念することを産婦人科医会医師などが反対理由として表明している[6]。アメリカでは大学区校内の自動販売機でこの薬が購入できる一方、日本において人工妊娠中絶は病気でなく自費診療で相場は15万円前後であるため、緊急避妊薬が容易に手に入るような環境が広まると、結果として産婦人科医の人工妊娠中絶の件数減少により収入が減る可能を医師が懸念する可能性を指摘する意見もあり[7]、中絶が「罪人に対する処罰」であり産婦人科医の「いい金づる」とも表現されている[8]。一方で、産婦人科医からは中絶薬を使用することで起こる不正出血を防ぐための入院もあり得るとして、開業医の収入は減らず女性自身の負担が増加する可能性を述べる者もいる[9]。海外で承認されている子宮内避妊システムの小さいものの利用、腕に入れるインプラント、皮膚に貼るシールの利用を含め「産む、産まない」の選択を女性自身が決める「リプロダクティブ・ヘルス・アンド・ライツ」の権利が尊重される必要がある[10]。 日本の厚生省は夫婦が主体的に行う産児制限(特に避妊)を家族計画と呼んだ。ここでは家庭内での男女の権利が両者共確立していることが重要であり、家庭内で女性を抑圧する構造があれば家族計画の主体性は空文と化す。例えば、夫がコンドームの利用を拒否したり、一定期間の禁欲を必要とする避妊法を拒否したりする場合である。 女性が主体となって行える避妊法にはIUD、不妊手術、女性用コンドーム、経口避妊薬があるが、年譜から見て取れるように、日本の厚生省は女性が主体になる避妊法、特に経口避妊薬に関しては頑なに拒否態度を取り続けた。これらにはAIDSを含む性病を予防する効果がないことが理由として挙げられている。 前記のように日本では、国民の側に産児制限への需要があったが、国によっては、政府の意思で産児制限を行う場合がある(一人っ子政策等)。更に特定の集団/個人に対して強制的に産児制限が実行されることがある。優生学を背景にした断種がそれである。ナチス・ドイツの政策により引きおこされた悲劇は有名であるが、日本でも優生保護法に基づき精神障害者、ハンセン病患者に断種を施した例が多数知られている。ハンセン病、断種を参照されたい。 産児制限はフェミニズムとの関連が強い。
産児制限の主体
産児制限とフェミニズム