この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2015年11月) 枚発売日タイトル収録曲オリコン最高位
芸能関連
中学時代は50メートル競走を6.8秒で走るなど運動には自信があり、1980年代中盤まで正月恒例の『新春オールスター大運動会』の短距離走で、いつも活躍する石川秀美と競走してみたいと思っていたという。この大運動会は、所属レコード会社ごとに組分けして対決する形式で行なわれていたので、出場するためにはレコードデビューをしなければならないと思っていたことも、芸能界に入りたかった理由のひとつとして挙げている。しかし、実際に自らがレコードデビューを果たした時には、この形式の大運動会は企画が終了してしまった直後であったため、出場は叶わなかった[94]。
前述の理由でレコードデビューしたいと思ってはいたものの、歌唱力そのものには自信がなく、「うしろ髪の3人で一番ヘタなのが私なので、私のソロパートは必ず1番じゃなくて2番にあるんです。それだとTVで歌う時には(TVサイズでは2番は歌わないので)私はソロパートが無くても済むので」と語っていた[95]。ソロデビューが決まった際は嬉しさの反面不安で泣いたこともあったが、レコーディングやコンサートを開く中で次第に自信が付き[96]、「こんな妙な声は自分しか居ないんだし、ヘタでも自分らしく歌えればいいやって」と思うようになったという[97]。
アイドル時代には、「いくいな」にちなんで「1917」という表記がグッズなど様々な形で使われることがあった。1917年はロシア革命の年であるため、「ロシア革命、1917(いくいな)」という語呂合わせが成立する[98]。『夕やけニャンニャン』内でも紹介され、ドランクドラゴンのコントの中でも使われている。
TIMのレッド吉田が『内村プロデュース』内で、「友達の友達が生稲晃子!」というフレーズを独特のイントネーションで発する(NO PLANのアルバム内の一曲『内P"COCO JAPAN"Remix』にレッドの「生稲晃子!」が収録されている)。
ソロ・デビュー曲「麦わらでダンス」の替え歌が、1988年にプロ野球の広島東洋カープに在籍していた、ランス、アレンの応援歌に使われている。また他のプロ野球選手や高校野球、Jリーグ・FC東京の応援ソング等でも、長年同曲の替え歌として使用されていた。
仲が良かったおニャン子メンバーとしてよく名前を挙げるのは、立見里歌、永田ルリ子、白石麻子、高畠真紀など。ほかに芸能界では島崎和歌子、小林千絵などと仲が良いと公言したことがある[99][100]。
血液型は生まれてから不明であったが、1986年11月24日の日本テレビ『歌のトップテン』におニャン子クラブの一員として出演した際に血液検査され、B型と判明した。
「生稲」という苗字を「いくいな」と正しく読まれたことが少なかったという。デビュー後も雑誌や記事などで、間違ったルビを付けられることが多かったという。
作品
シングル
ポニーキャニオン
1st1988年5月21日麦わらでダンス全2曲
麦わらでダンス
作詞:秋元康
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
夢に逢いたい
作詞:秋元康
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
8位
2nd1988年9月21日Virgin少年に接吻を全2曲
Virgin少年に接吻を
作詞:売野雅勇
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
Shadow of Palm Tree
作詞:売野雅勇
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
9位
3rd1989年1月25日ファンファーレが聴こえる全2曲
ファンファーレが聴こえる
作詞:高柳恋
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
わたしだけのリバティー
作詞:森本抄夜子
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
15位
4th1989年5月24日Japanese Girl全2曲
Japanese Girl
作詞:売野雅勇
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
夕映えの橋
作詞:売野雅勇
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
23位
5th1989年9月27日忘れたいのに全2曲
忘れたいのに
作詞:田久保真見
作曲:国安わたる
編曲:戸塚修
朝露の瞳
作詞:西脇淳子
作曲:国安わたる
編曲:船山基紀
39位
-1989年11月21日あっこのX'mas Calendar全7曲
[12/18(月)] ジングル・ベル
[12/19(火)] サンタが町にやって来る
[12/20(水)] 赤鼻のトナカイ
[12/21(木)] ママがサンタにキッスした
[12/22(金)] うれしいうれしいクリスマス
[12/23(土)] サンタクロースがやってくる
[12/24(日)] もろびとこぞりて
91位
6th1990年3月7日日曜日はいらない全2曲