生稲晃子
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二人は30分ほど滞在した[82][83][84][61]

上記の八王子教会訪問は長く伏せられていたが、同年8月16日、新潮社の情報サイト「デイリー新潮」がスクープする形で世に明らかとなった[61]。17日、生稲は事務所を通して、訪問を認め、八王子駅前の街頭演説の際に、聴衆から「他にも仲間が集まっているので話を聞かせてもらいたい」との依頼があり、より多くの方に政策を聞いていただきたいという思いでスタッフが判断した、と訪問の経緯を説明した。18日、萩生田は記者団の取材に応じ、「関係者のご縁で、ご指摘の施設を訪問することになりました。お名前はちょっとわからないんですけど、八王子の子安町にある施設でありまして、そこを生稲さんと訪問しました」「突発的な日程に候補者(生稲)も不慣れだったため、現場にいた私も同行した」と答えた[86][87][88]。八王子家庭教会の教会長を務めた人物は、統一教会伝道教育局の副局長に昇進しており、2020年2月7日には長女が文鮮明の孫の文信興と「祝福結婚」していた[89]。八王子教会は萩生田の古巣でもあり、訪問は集票という点で大きな意味があったとされる[90]


2022年7月から8月にかけて、共同通信社は、全国会議員712人を対象に、統一教会との関わりを尋ねるアンケートを実施。8月31日に各議員の回答の全文を公表した。「旧統一教会またはその友好・関連団体等から選挙活動への支援、協力を受けたことはあるか」「行事、会合、集会等に出席したことはあるか」との問いに対し、生稲はいずれも「ない」と回答した[91][92]

支援団体

日本音楽事業者協会(2022年参院選時に支持)[93]

日本音楽制作者連盟(同上)[93]

コンサートプロモーターズ協会(同上)[93]

日本音楽出版社協会(同上)[93]

人物

この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2015年11月)

芸能関連

中学時代は
50メートル競走を6.8秒で走るなど運動には自信があり、1980年代中盤まで正月恒例の『新春オールスター大運動会』の短距離走で、いつも活躍する石川秀美と競走してみたいと思っていたという。この大運動会は、所属レコード会社ごとに組分けして対決する形式で行なわれていたので、出場するためにはレコードデビューをしなければならないと思っていたことも、芸能界に入りたかった理由のひとつとして挙げている。しかし、実際に自らがレコードデビューを果たした時には、この形式の大運動会は企画が終了してしまった直後であったため、出場は叶わなかった[94]

前述の理由でレコードデビューしたいと思ってはいたものの、歌唱力そのものには自信がなく、「うしろ髪の3人で一番ヘタなのが私なので、私のソロパートは必ず1番じゃなくて2番にあるんです。それだとTVで歌う時には(TVサイズでは2番は歌わないので)私はソロパートが無くても済むので」と語っていた[95]。ソロデビューが決まった際は嬉しさの反面不安で泣いたこともあったが、レコーディングやコンサートを開く中で次第に自信が付き[96]、「こんな妙な声は自分しか居ないんだし、ヘタでも自分らしく歌えればいいやって」と思うようになったという[97]

アイドル時代には、「いくいな」にちなんで「1917」という表記がグッズなど様々な形で使われることがあった。1917年はロシア革命の年であるため、「ロシア革命、1917(いくいな)」という語呂合わせが成立する[98]。『夕やけニャンニャン』内でも紹介され、ドランクドラゴンのコントの中でも使われている。

TIMレッド吉田が『内村プロデュース』内で、「友達の友達が生稲晃子!」というフレーズを独特のイントネーションで発する(NO PLANのアルバム内の一曲『内P"COCO JAPAN"Remix』にレッドの「生稲晃子!」が収録されている)。

ソロ・デビュー曲「麦わらでダンス」の替え歌が、1988年にプロ野球広島東洋カープに在籍していた、ランスアレン応援歌に使われている。また他のプロ野球選手や高校野球JリーグFC東京の応援ソング等でも、長年同曲の替え歌として使用されていた。

仲が良かったおニャン子メンバーとしてよく名前を挙げるのは、立見里歌永田ルリ子白石麻子高畠真紀など。ほかに芸能界では島崎和歌子小林千絵などと仲が良いと公言したことがある[99][100]

血液型は生まれてから不明であったが、1986年11月24日の日本テレビ『歌のトップテン』におニャン子クラブの一員として出演した際に血液検査され、B型と判明した。

「生稲」という苗字を「いくいな」と正しく読まれたことが少なかったという。デビュー後も雑誌や記事などで、間違ったルビを付けられることが多かったという。

作品
シングル

枚発売日タイトル収録曲オリコン最高位
ポニーキャニオン
1st1988年5月21日麦わらでダンス全2曲
麦わらでダンス
作詞:秋元康
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利

夢に逢いたい
作詞:秋元康
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
8位
2nd1988年9月21日Virgin少年に接吻を全2曲
Virgin少年に接吻を
作詞:売野雅勇
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利

Shadow of Palm Tree
作詞:売野雅勇
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
9位
3rd1989年1月25日ファンファーレが聴こえる全2曲
ファンファーレが聴こえる
作詞:高柳恋
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利

わたしだけのリバティー
作詞:森本抄夜子
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
15位
4th1989年5月24日Japanese Girl全2曲
Japanese Girl
作詞:売野雅勇
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利

夕映えの橋
作詞:売野雅勇
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利
23位
5th1989年9月27日忘れたいのに全2曲
忘れたいのに
作詞:田久保真見
作曲:国安わたる
編曲:戸塚修

朝露の瞳
作詞:西脇淳子
作曲:国安わたる
編曲:船山基紀
39位
-1989年11月21日あっこのX'mas Calendar全7曲
[12/18(月)] ジングル・ベル

[12/19(火)] サンタが町にやって来る

[12/20(水)] 赤鼻のトナカイ

[12/21(木)] ママがサンタにキッスした

[12/22(金)] うれしいうれしいクリスマス

[12/23(土)] サンタクロースがやってくる

[12/24(日)] もろびとこぞりて
91位
6th1990年3月7日日曜日はいらない全2曲


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