番組によっては一部、生放送のものもある。 1950年代 - 1960年代初頭までは、大抵のテレビドラマは生放送されていた。それ以降、即ちVTR導入以後はロケーションなど、大半が事前収録されるようになったが、ドラマ中にあえて生放送を行ったケースがいくつかある。なお、生放送のドラマでも再放送が行えるように、VTRによる同時録画も行われる。
ショップチャンネル - 24時間ショッピング専門チャンネル。スカパー!などで放送。
QVC - 同上。
ジャパネットたかた - 時々、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}長崎国際テレビ[要出典]経由で独立UHF局などで生放送される。また、週末や祝祭日などに、一部のニュースネットワーク系列局でも生放送される。
ドラマ
どたんば(NHK総合テレビ) - 1956年11月10日放送。三國連太郎のテレビ初出演作品でもあった。
部長刑事(ABC) - 放送開始から7年間は生放送であった(1958年9月 - 1965年頃)。
東芝日曜劇場(TBS系列、単発ドラマ枠時代) - 1956年の放送開始から1960年代初頭にかけては、ほぼ毎週生放送であった。
私は貝になりたい(KRT、現:TBS) - 1958年10月31日放送。軍事裁判開廷からの後半66分が生放送。なお、主人公の清水豊松(フランキー堺)がMPに連行されるまでの前半34分は、5日前にVTRで収録。 ※『徹子の部屋』における生前のフランキーの証言による。
ムー、ムー一族(TBS系列) - 月1回のペースで生放送が行われた。そのため、プロ野球の結果が入ったり、当時TBSのプロ野球解説者だった牧野茂などが飛び入り出演したりしていた。また、TBSラジオの生放送番組『生島ヒロシの夜はともだち』のスタジオからや、出演者である郷ひろみのコンサートツアー先の地方都市からの中継を交えた生放送も行われた。
ミセスとぼくとセニョールと!(毎日放送制作・TBS系列) - 第7話(1980年10月29日)、第9話(1980年11月12日)、第13話(1980年12月17日)、第15話(1980年12月24日)、第18話(1981年1月21日)、第19話(1981年1月28日)で生放送を実施。
ロックシンガーは闇に沈む(NHK総合テレビ) - 1985年秋に放送。岸本加世子、田原俊彦、刀根麻理子らが出演。
たった独りのあなたのために(日本テレビ系列) - 1985年12月24日に『火曜サスペンス劇場』で放送。全編生放送。歌番組の生放送直前に、新人歌手への脅迫電話がかかるという内容[11]。
お坊っチャマにはわかるまい!(TBS系列) - 第6話(1986年5月20日放送)。生放送で『忠臣蔵』を演じるというものであった。
新・熱中時代宣言(日本テレビ系列) - 第16話(1986年7月19日放送)。
アナウンサーぷっつん物語(フジテレビ系列) - 第5話(1987年5月4日放送)。全編生放送で、当時代々木で開催中だった「国際スポーツフェア」会場からの中継などが織り交ぜられていた。
越中おわら風の盆?高橋治原作「風の盆恋歌」より?(NHK-BS2) - 1989年9月3日放送。富山県婦負郡八尾町(当時)で行われた恒例の『おわら風の盆』のクライマックスの生中継を挿入。ドラマ自体は、声の表現だけで展開された。
ザ・ワイドショー(日本テレビ系列) - 1994年1月-3月に放送。番組内のワイドショー『ラストワイド』が生放送で進行された。
ロングバケーション(フジテレビ系列) - 最終回(1996年6月24日放送)。