生命
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物理学の観点から見ると、生物は組織化された分子構造を持つ熱力学系であり、生存の必要に応じて自己複製し進化することができる[21][22]。また、熱力学的には、生命は周囲の勾配を利用してそれ自身の不完全なコピーを作り出す開放系と説明されている。これを別の言い方にすれば、生命を「ダーウィン的進化を遂げることができる自立した化学系」と定義することもできる[23]。この定義は、カール・セーガンの提案に基づいて、宇宙生物学の目的のために生命を定義しようとするNASAの委員会によって採用された[24][25]。しかし、この定義によれば、単一の有性生殖個体はそれ自体で進化することができないため、生きているとは言えないとして、広く批判されている[26]。この潜在的な欠陥の理由は、「NASAの定義」が生命を生きた個体ではなく、現象としての生命に言及していることによる不完全さにある[27]。一方、現象としての生命と生きている個体としての生命という概念に基づく定義もあり、それぞれ自己維持可能な情報の連続体と、この連続体の別個の要素として提案されている。この考え方の大きな強みは、生物学的な語彙(ごい)を避け、数学と物理学の観点から生命を定義していることである[27]
生体系詳細は「生体系(英語版)」を参照

分子化学に必ずしも依存しない生体系理論(英語版)(: living systems)の視点に立つ人もいる。生命の体系的な定義の一つは、生物は自己組織化し、オートポイエティック(自己生産的)であるとするものである。これの変種として、スチュアート・カウフマンによる『自律的エージェント、または自己複製が可能で、少なくとも1つの熱力学的作業サイクルを完了できるマルチエージェント系』という定義もある[28]。この定義は、時間の経過に伴う、新奇な機能の進化によって拡張されている[29]
死詳細は「」を参照このアフリカスイギュウのように、動物の死体は生態系によって再利用され、生きている生物にエネルギーと栄養素を供給する。

とは、生物または細胞におけるすべての生体機能や生命現象が停止することである[30][31]。死を定義する上での課題の一つに死と生の区別があげられる。死とは、生命が終わる瞬間、あるいは生命に続く状態が始まる時のどちらかを指すと考えられる[31]。しかし、生命機能の停止は臓器系をまたいで同時に起こることは少なく、いつ死が起こったかを判断するのは困難である[32]。そのため、こうした決定には、生と死の間に概念的な境界線を引く必要がある。生命をどのように定義するかについての総意はほとんどないことから、これは未解決の問題である。何千年もの間、死の本質は世界の宗教的伝統や哲学的探求の中心的な関心事であった。多くの宗教では、死後の世界や転生、あるいは後日の肉体の復活(英語版)を信仰している[33]
「生命の縁」ウイルス詳細は「ウイルス」を参照透過型電子顕微鏡で見たアデノウイルス

ウイルスが生きていると見なすべきかどうかは議論の分かれるところである[34][35]。ウイルスは生命の形態というよりも、遺伝子をコード(英語版)する複製装置に過ぎないと見なされることも多い[36]。ウイルスは遺伝子を持ち、自然選択によって進化し[37][38]、自己組織化によって自分自身のコピーを複数作成することで複製することから、「生命の縁にいる生物」と表現されている[39]。しかし、ウイルスは代謝しないため、新しい産物を作るには宿主細胞が必要である。宿主細胞内でのウイルスの自己組織化は、生命が自己組織化した有機分子として始まったという仮説を裏付ける可能性があるため、生命の起源を研究する上で重要な意味を持つ[40][41]
研究の歴史
唯物論詳細は「唯物論」を参照

初期の生命に関する理論の中には、存在するものはすべて物質であり、生命は物質の複雑な形態や配列に過ぎないという唯物論的なものがある。エンペドクレス(紀元前430年)は、宇宙に存在するすべてのものは、土、水、空気、火という永遠の「四つの元素」または「万物の根源」の組み合わせでできていると主張した。すべての変化は、これらの4つの元素の配置と再配置によって説明される。生命のさまざまな形態は、元素の適切な混合によって引き起こされる[42]デモクリトス(紀元前460年)は原子論者であり、生命の本質的な特徴は「プシュケー)」を持つことであり、魂は他のすべてのものと同様に、火のような原子から構成されていると考えた。彼は、生命と熱の間に明らかな関係があり、火が動くことから、火について詳しく説明した[43]。これに対してプラトンは、世界は不完全に物質に反映された永続的な「イデア)」によって組織されていると考え、「形」は方向性や知性を与え、世界で観察される規則性を説明すると主張した[44]古代ギリシャに端を発した機械論唯物論(機械論)は、フランスの哲学者ルネ・デカルト(1596-1650)によって復活して修正され、彼は動物や人間は共に機械として機能する部品の集合体であると主張した。この考えは、ジュリアン・オフレ・ド・ラ・メトリー(1709-1750)の著書『L'Homme Machine(人間機械論)』の中でさらに発展することとなった[45]。19世紀には、生物学における細胞理論の進歩がこの考え方を後押しした。チャールズ・ダーウィン進化論(1859年)は、自然選択による種の起源について機械論的に説明したものである[46]。20世紀初頭、ステファン・ルデュック(英語版)(Stephane Leduc)(1853-1939)は、生物学的な過程は物理学と化学の観点から理解することができ、その成長はケイ酸ナトリウム溶液に浸した無機結晶の成長に似ているという考えを推進した。彼の著書『La biologie synthetique(合成生物学)』[47]で述べられた彼の考えは、存命中はほとんど否定されていたものの、後年のラッセルやバルジらの研究によって再び関心を集めるようになった[48]
質料形相論詳細は「質料形相論(英語版)」を参照アリストテレスによる、植物、動物、人間の魂の階層構造 (en:Soul#Aristotle) 。

質料形相論は、ギリシャの哲学者アリストテレス(紀元前322年)によって最初に定式化された理論である。質料形相論の生物学への応用はアリストテレスにとって重要であり、現存する彼の著作では生物学が広く論じられている(英語版)。この見解では、物質的宇宙に存在するすべてのものは物質と「形」の両方を持っており、生物の「形」はその(ギリシャ語のプシュケー、ラテン語のアニマ)であるという。魂には次の3種類がある。植物の植物的魂(vegetative soul)は、植物を成長させ、腐敗させ、栄養を与えるが、運動や感覚を引き起こさない。動物的魂(animal soul)は、動物に動きと感覚を与える。そして、理知的魂(rational soul)は意識と理性の源であり、アリストテレスは人間だけにあると考えた[49]。それぞれの高次の魂は、低次の魂のすべての性質を備えている。アリストテレスは、物質は「形」がなくても存在できるが、「形」は物質なしでは存在できず、したがって魂は肉体なしでは存在できないと考えた[50]

この説明は、目的あるいは目標指向性という観点から現象を説明する生命の目的論的説明(英語版)と矛盾しない。たとえば、ホッキョクグマの毛皮の白さは、カモフラージュ(偽装)という目的によって説明される。因果関係の方向(未来から過去へ)は、結果を事前原因という観点から説明する自然選択の科学的証拠と矛盾する。生物学的特徴は、将来の最適な結果を見ることで説明されるのではなく、問題の特徴の自然選択につながった種の過去の進化の歴史(英語版)を見ることによって説明される[51]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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