琉球民族
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2008年に理化学研究所ゲノム医科学研究センターが、日本全国(含沖縄県、除中国四国地方)7000人のゲノム中にある14万箇所の一塩基多型を統計的に解析したところ、ゲノムの特徴の点で7000人分の標本は「本土クラスタ」と「琉球クラスタ」に明確に分かれることがわかった[23]。特に3番染色体の組織適合抗原(HLA)の遺伝子に大きなちがいがみられ、ゲノム医科学研究センターは、その違いの原因が両人類集団のいずれかが過去に経験した何らかの感染症の有無ではないかと推測した[23]。さらに2012年ごろには、日本列島人類集団遺伝学コンソーシアムが、北海道平取町在住、沖縄在住、東京在住、北京在住の漢族、イバダン在住のヨルバ族、ユタ州在住の西欧系といった複数の人類集団にそれぞれ属する人々のゲノム、100万箇所の一塩基多型を統計的に解析したところ、アイヌ人からみると琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、両者の中間に位置する本土人は、琉球人に次いでアイヌ人に近いことが示された[24]。また、本土人からみると琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、日本列島人(アイヌ人、琉球人、本土人)は、現在の東アジア大陸部の主要な30の人類集団とは異なる遺伝的構成であることも示された[24]。琉球弧を含む日本列島人のルーツを説明する仮説としては、ベルツなどが提唱した「もともと縄文系の人々が住んでいたところに、弥生人が後から大陸経由でやってきたが、沖縄や北海道(アイヌ)の人々は本土の人々とあまり交流がなかったために異なる集団となった」とする二重構造説が存在するが、21世紀前半に比較的新しい研究手法を用いてなされた研究によるこれらの結果も、二重構造説と矛盾しない[23][24]

2014年9月17日、琉球大学大学院の研究グループが、琉球列島沖縄本島だけでなく、八重山宮古地方も含む)の人々の遺伝情報を広範に分析した結果、台湾大陸の集団とは直接の遺伝的つながりはなく、日本本土に由来する事がわかったとモレキュラーバイオロジーアンドエボリューション(英語版)に発表した[25]

また、「琉球民族」にはATLのレトロウイルスHTLV-1)が日本列島内でも高頻度で観察される事から、縄文人の血が濃く残っていると考えられる[26]

2018年に国立遺伝学研究所が発表した核DNA分析における遺伝子研究による民族の遺伝的分布において、アイヌ・本土・沖縄は共に父系を縄文人に持つ同一円内と判明し、他の東アジアとは別種であることが確認された[27]

Watabe et al. (2020)による47都道府県の日本人約11,000名の全ゲノムSNP遺伝子型データ解析では、沖縄県の人々は他の都道府県(大和民族)とは別のクラスターを形成することが明らかになった[28]

Nishikawa & Ishida (2021)では、琉球のうち奄美については、その地理的位置や歴史を反映して、遺伝的に本土の住民と沖縄の住民の中間に位置することが明らかになった[29]

2021年11月10日マックス・プランク人類史科学研究所を中心とした、中国日本韓国ヨーロッパニュージーランドロシアアメリカの研究者を含む国際チームが『ネイチャー』に発表した論文によると、宮古島市長墓遺跡先史時代人骨DNA分析したところ「100%縄文人」だったことが分かり、先史時代の先島諸島の人々は沖縄諸島から来たことを示す研究成果となった[30]。また、言語学および考古学からは、中世グスク時代11世紀~15世紀)に九州から「本土日本人」が琉球列島に移住したことが推定でき、高宮広土(鹿児島大学)は、「結果として、琉球方言の元となる言語を有した農耕民が本土から植民した。著名な『日本人二重構造論』を否定するという点で大変貴重だ」と指摘している[30][31]
文化的比較
言語詳細は「琉球語」を参照

琉球王国領域の言葉を独自の琉球語であるとする場合でも日本語と共に日琉語族に属する。一般的には琉球方言とする主張が多く、それ以外の日本語を本土方言と分類し両者をあわせて日本語とする見解が主流である[要出典]。どちらの主張でもこの地域の言葉は日本の言語を構成する二大要素といえる。奄美群島や琉球諸島の言語も相互での意思疎通が困難なほど地域差が大きく、諸言語の集合と捉えることもある。ただし、エスノローグでは喜界語北奄美大島語南奄美大島語徳之島語沖永良部語与論語国頭語中央沖縄語宮古語八重山語与那国語として分類し、それぞれを別言語とみなしている。
神話

「琉球民族」はアマミキヨとシネリキヨという女男2柱の祖先神をもち、これをもって日本神話とは神話体系が異なるとし、民族としての文化面の大きな相違点だと主張する者もいるが、日本神話における国産み神産みイザナギイザナミという夫婦神、アマテラススサノオという姉弟神との共通点・類似点も多く、こちらも多くの議論の対象となっている。
音階

沖縄には琉球音階をはじめとする独自の音階が存在し、これをもって大和民族の音階群とは異なるとし、民族としての文化面の大きな相違点とされる。一方で否定派はド・ミ・ファ・ソ・シ・ドの5音階を琉球音階と呼ぶことは誤解もしくは不十分な理解に根ざし、混乱の原因であるとの指摘する[要出典]
民俗学、宗教学

初期の民俗学者は南西諸島の文化について九州以北との近縁性をとらえ、本土での近代化により失われた習俗などが数多く残されているとして重視していた。柳田國男は『海上の道』で黒潮の流れから着想を得て沖縄県との類縁を論じ、その弟子の折口信夫まれびと論・他界観で沖縄県周辺の宗教から多くの論拠を引いている(『古代研究I』[32] など)。
日琉同祖論「沖縄県の歴史」も参照

九州以北とその起源を同じくする、同一民族の支族であるとする考えを日琉同祖論という。「琉球民族」論にとっては対論と看做せる論であり、沖縄県における日本復帰運動では思想の根幹となった。歴史的には「琉球民族」論よりもはるかに古く、その起源には歴史学上も様々な説がある。
古代

隋書」において、607年煬帝は朱寛を「流求」に遣わした際に、「流求人とは全く言葉が通じず、朝貢を拒んだ」との記載がある。なお、この「流求」が現在の沖縄県周辺を指していたのかは判然としない。一方で、「日本書紀」や「続日本紀」には7世紀から8世紀に掛けて少なくとも5回「掖玖・夜勾」、「多禰人・掖玖人・阿麻彌人(奄美人)」、「多?・掖玖・菴美・度感」、「奄美・夜久・度感・信覚・球美」と呼ばれる人々について、大和朝廷との朝貢関係や、朝廷から位階を授けた記録がある。これを受けて「大和船で大極殿に上り、や手土産を買った」という歌が『おもろさうし』に残っている。おもろさうしは琉球中世の編纂ではあるが、貝塚時代晩期(古代)、グスク時代から古琉球までの琉球・沖縄の伝承を色濃く残していると考えられている。
中近世

日琉同祖論は、直接的には16世紀京都五山の和僧によって唱えられた源為朝琉球渡来説に端を発していると考えられている。これがそのまま琉球へ伝わった。時の琉球王国摂政羽地朝秀は、国史『中山世鑑』を編纂し、羽地の改革を断行し琉球五偉人の一人に準えられている。


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