高宮広士(鹿児島大学)は、沖縄の島々に人間が適応できたのは縄文中期後半から後期以降であり、農耕をする集団が移住したのは古代から中世にかけての10世紀から12世紀頃で、九州から沖縄に移住したと指摘している。考古学などの研究も含めて南西諸島の住民の先祖は、九州南部から比較的新しい時期(10世紀前後)に南下して定住したものが主体であり、それまで居住していた奄美・沖縄諸島と先島諸島の2グループの先住民に取って代わったと考えられている[19][20]。これらのことから九州以北とは遺伝的・人類学的にみても明瞭な境界線を引くことは難しい。
政治的な人種論に対する批判として指摘されることは、日本列島の住民は複数の人種の混血であり、その混血度は地域によって異なることである(沖縄県民を含めた日本人は他国に比べれば混血度は少ないとされる[21][22])。
これら以外にも記録や史跡から、中国大陸方面からの移民の子孫や、15世紀の大交易時代の名残からフィリピン系、スペイン系との混血などのルーツを持つ住民も存在し、またアメリカ合衆国による沖縄統治時代に生まれたアメリカ系との混血も多い。
2008年に理化学研究所ゲノム医科学研究センターが、日本全国(含沖縄県、除中国四国地方)7000人のゲノム中にある14万箇所の一塩基多型を統計的に解析したところ、ゲノムの特徴の点で7000人分の標本は「本土クラスタ」と「琉球クラスタ」に明確に分かれることがわかった[23]。特に3番染色体の組織適合抗原(HLA)の遺伝子に大きなちがいがみられ、ゲノム医科学研究センターは、その違いの原因が両人類集団のいずれかが過去に経験した何らかの感染症の有無ではないかと推測した[23]。さらに2012年ごろには、日本列島人類集団遺伝学コンソーシアムが、北海道平取町在住、沖縄在住、東京在住、北京在住の漢族、イバダン在住のヨルバ族、ユタ州在住の西欧系といった複数の人類集団にそれぞれ属する人々のゲノム、100万箇所の一塩基多型を統計的に解析したところ、アイヌ人からみると琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、両者の中間に位置する本土人は、琉球人に次いでアイヌ人に近いことが示された[24]。また、本土人からみると琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、日本列島人(アイヌ人、琉球人、本土人)は、現在の東アジア大陸部の主要な30の人類集団とは異なる遺伝的構成であることも示された[24]。琉球弧を含む日本列島人のルーツを説明する仮説としては、ベルツなどが提唱した「もともと縄文系の人々が住んでいたところに、弥生人が後から大陸経由でやってきたが、沖縄や北海道(アイヌ)の人々は本土の人々とあまり交流がなかったために異なる集団となった」とする二重構造説が存在するが、21世紀前半に比較的新しい研究手法を用いてなされた研究によるこれらの結果も、二重構造説と矛盾しない[23][24]。
2014年9月17日、琉球大学大学院の研究グループが、琉球列島(沖縄本島だけでなく、八重山・宮古地方も含む)の人々の遺伝情報を広範に分析した結果、台湾や大陸の集団とは直接の遺伝的つながりはなく、日本本土に由来する事がわかったとモレキュラーバイオロジーアンドエボリューション(英語版)に発表した[25]。
また、「琉球民族」にはATLのレトロウイルス(HTLV-1)が日本列島内でも高頻度で観察される事から、縄文人の血が濃く残っていると考えられる[26]。
2018年に国立遺伝学研究所が発表した核DNA分析における遺伝子研究による民族の遺伝的分布において、アイヌ・本土・沖縄は共に父系を縄文人に持つ同一円内と判明し、他の東アジアとは別種であることが確認された[27]。
Watabe et al. (2020)による47都道府県の日本人約11,000名の全ゲノムSNP遺伝子型データ解析では、沖縄県の人々は他の都道府県(大和民族)とは別のクラスターを形成することが明らかになった[28]。
Nishikawa & Ishida (2021)では、琉球のうち奄美については、その地理的位置や歴史を反映して、遺伝的に本土の住民と沖縄の住民の中間に位置することが明らかになった[29]。
2021年11月10日、マックス・プランク人類史科学研究所を中心とした、中国、日本、韓国、ヨーロッパ、ニュージーランド、ロシア、アメリカの研究者を含む国際チームが『ネイチャー』に発表した論文によると、宮古島市の長墓遺跡の先史時代の人骨をDNA分析したところ「100%縄文人」だったことが分かり、先史時代の先島諸島の人々は沖縄諸島から来たことを示す研究成果となった[30]。また、言語学および考古学からは、中世(グスク時代、11世紀~15世紀)に九州から「本土日本人」が琉球列島に移住したことが推定でき、高宮広土(鹿児島大学)は、「結果として、琉球方言の元となる言語を有した農耕民が本土から植民した。著名な『日本人二重構造論』を否定するという点で大変貴重だ」と指摘している[30][31]。
文化的比較
言語詳細は「琉球語」を参照
琉球王国領域の言葉を独自の琉球語であるとする場合でも日本語と共に日琉語族に属する。一般的には琉球方言とする主張が多く、それ以外の日本語を本土方言と分類し両者をあわせて日本語とする見解が主流である[要出典]。どちらの主張でもこの地域の言葉は日本の言語を構成する二大要素といえる。奄美群島や琉球諸島の言語も相互での意思疎通が困難なほど地域差が大きく、諸言語の集合と捉えることもある。ただし、エスノローグでは喜界語、北奄美大島語、南奄美大島語、徳之島語、沖永良部語、与論語、国頭語、中央沖縄語、宮古語、八重山語、与那国語として分類し、それぞれを別言語とみなしている。 「琉球民族」はアマミキヨとシネリキヨという女男2柱の祖先神をもち、これをもって日本神話とは神話体系が異なるとし、民族としての文化面の大きな相違点だと主張する者もいるが、日本神話における国産みや神産みのイザナギ・イザナミという夫婦神、アマテラスとスサノオという姉弟神との共通点・類似点も多く、こちらも多くの議論の対象となっている。
神話