琉球放送
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毎年10月のスポーツの日(旧・体育の日)前後には那覇市の奥武山公園を会場として開かれる「那覇まつり」を主催している。

大東諸島では、アナログテレビ時代から中継局がなかったこともあり、長らくRBCの番組は視聴出来なかった。1998年、RBCのキー局TBSテレビが、東京の小笠原諸島向け放送用の衛星波を利用して放送開始。沖縄県の情報は電話回線による字幕テロップで挿入されていた。RBCの中継局は地上デジタル放送開始後の2011年7月22日、デジタル新局という形で開局した。詳細は「大東諸島#テレビ放送」および「テレコムセンター#放送施設」を参照

iラジオは、日中のみ那覇本局から直接受信出来るものの、夜間は外国からの混信による難聴取状態にあった。しかし、2007年4月1日にNHK沖縄放送局ラジオ第1のみ)・ROKラジオ沖縄とともに、南大東村にFM波を使用した南大東中継局が設置されたため、難聴取状態は解消された。


主な受賞歴に『消せない記憶?元学徒兵の苦悩?』2019年日本民間放送連盟賞番組部門ラジオ報道番組最優秀賞[2] を、『戦場のうた 元”慰安婦”の胸痛む現実と歴史』で2014年日本民間放送連盟賞番組部門テレビ報道番組最優秀賞[3] を受賞するなどテレビ、ラジオとも同賞を県内の民放で最も多く受賞している。また、2023年には『共同売店のうた』が第33回JNN企画大賞を受賞し2024年1月20日に全国ネットで放送。島袋優BEGIN)、前川真悟かりゆし58)、玉城千春Kiroro)が出演した[4][5][6]

毎年秋に、「応援!18の旅立ちチャリティーキャンペーン」と題し、児童養護施設や里親家庭に過ごし、生活支援が必要な児童・生徒らを支援する募金キャンペーンプロジェクトを2014年から実施、2022年からは「RBC SDGsプロジェクト・つなごう沖縄キャンペーン」の一環に加えられた[7]

拠点

本社・支社はいずれも琉球朝日放送も同居し、事業を兼務する。
本社

那覇市久茂地2丁目3-1 琉球放送会館(〒900-8711)
支社

東京支社 -
東京都中央区銀座5丁目14-5 光澤堂GINZAビル3F

関西支社 - 大阪市北区梅田2丁目2-2 ヒルトンプラザウエストオフィスタワー19F

福岡支社 - 福岡市中央区天神1丁目9-17 福岡天神フコク生命ビル13F

サテライトスタジオ

宮古サテライトスタジオ -
宮古島市平良字西里973-1[注 2]

資本構成

企業・団体の名称、個人の肩書は当時のもの。出典:[8][9][10][11]
2021年3月31日

資本金授権資本1株発行済株式総数株主数
2億7000万円6億円1000円270,000株115

株主株式数比率
沖縄タイムス社27,000株10.00%
小禄邦男 [注 3]27,000株10.00%
オーエスジー16,591株06.14%
山里将隆14,783株05.47%

過去の資本構成1978年3月31日

資本金授権資本1株発行済株式総数
1億8300万円6億円1525円120,000株

株主株式数比率
沖縄タイムス社12,000株10.00%
座安弘08,250株06.87%
大城鎌吉 [注 4]06,875株05.72%
アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー06,362株05.30%
1992年3月31日

資本金授権資本1株発行済株式総数株主数
2億7000万円6億円1000円270,000株117

株主株式数比率
沖縄タイムス社27,000株10.00%
小禄邦男 [注 5]25,001株09.25%
座安弘17,336株06.42%
大城鎌吉 [注 4]16,591株06.14%
山里将隆14,783株05.47%
座安功13,876株05.13%
2003年3月31日

資本金授権資本1株発行済株式総数株主数
2億7000万円6億円1000円270,000株113

株主株式数比率
沖縄タイムス社27,000株10.00%
小禄邦男 [注 6]27,000株10.00%
座安正24,732株09.02%
座安弘 [注 5]17,336株06.42%
大城組16,591株06.14%
山里将隆14,783株05.47%
座安功13,876株05.13%

沿革1960年代の琉球放送社屋

1948年昭和23年)5月3日 - 極東軍司令部(CINCFE)、フィリピン・琉球軍司令部(PHIL-RYCOM)に暫定的な放送局建設を認可。

1949年(昭和24年)5月16日 - 琉球放送局(呼出符号AKAR)、 琉球列島米国軍政府(USMGR)通信部により開設(1週間で放送中止)。

1950年(昭和25年)1月21日 - 「琉球の声」琉球放送局、琉球列島米国軍政府情報教育部(後に琉球列島米国民政府情報教育部)により正式に開設(呼出符号AKAR、1400kc、500W)。

1953年(昭和28年)2月1日 - 「琉球の声」、呼出符号をKSAR、周波数740kc、出力3kWにそれぞれ変更。

1954年(昭和29年)

3月20日 - 琉球大学財団、沖縄放送株式会社(通称「ラジオ沖縄」、現在のラジオ沖縄(ROK)とは無関係の別会社)[12] と放送施設の賃貸契約(1日8時間分買い上げ)。

4月1日 - 「琉球の声」、琉球列島米国民政府より琉球大学財団に移管。

6月1日 - 「ラジオ沖縄」への委託による放送開始(1日10時間分はKSAR職員が埋め合わせ)。

7月20日 - 琉大財団、「委託賃貸料の滞納」を理由に「ラジオ沖縄」との賃貸契約解消(提携解消後まもなく沖縄放送株式会社は消滅したが、(現存の)ラジオ沖縄が1960年(昭和35年)に開局する際には、混乱や誤解も生じたという[12])。

9月20日 - 琉球放送株式会社設立。

10月1日 - 琉大財団より全放送設備を賃借して日本本土を含め37番目、沖縄初の放送開始(呼出符号KSAR、周波数740kc、出力3kWは変わらず)。


1955年(昭和30年)9月1日 - 英語放送を開始(呼出符号KSBK、880kc 500W)、アメリカ統治の沖縄を含めた日本本土で民放ラジオ局としては初の1局2波体制となる[注 7]

1957年(昭和32年)7月24日 - テレビ放送の免許申請(琉球政府は却下)。

1958年(昭和33年)

8月21日 - 日本民間放送連盟に加盟[13]。 ただし、当時は沖縄テレビ・ラジオ沖縄共々、準加盟社の扱いだった[14]

10月1日 - 琉大財団から全放送施設を買収し、完全な形での民間放送としてスタート。


1959年(昭和34年)

4月6日 - テレビ放送の免許再申請。

6月 - 久茂地に放送会館(社屋)を竣工。

12月2日 - テレビ放送の予備免許交付。

12月10日 - ニュースネットワークJNN加盟[13]


1960年(昭和35年)


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