キリスト教的世界観において、人間とは神と動物の中間者であり、それこそが人間のアイデンティティであった。その後、理性主義が台頭すると、人間のアイデンティティとは理性であるという主張がなされるようになった。動物には計算能力や処理能力が不足しているが、人間にはそれがあるという主張である。
しかしながら、現代になってからコンピュータやAIといった、人間より優れた理性的能力を持つ存在が現れると、今度は人間のアイデンティティは感性にあるという主張がなされるようになった。しかし、感性という面で言えば人間より動物の方が優れているはずであり(理性主義の定義で言えば、動物とは100%感性的な存在である)、この主張では人間のアイデンティティは失われてしまうというジレンマが発生してしまう。
このことにより、人間のアイデンティティは現代において失われてしまったという言説が生まれた。そのアイデンティティの不安定さから、環境問題や生命倫理などの問題が現れてしまうのではないかと主張する者も存在する。 理性(あるいは高次の認知能力)は伝統的に、感覚(senses)、感情・情動(feelings、emotions)、情念(passions)等と対比的に用いられてきた。理性は純粋に精神的能力であり、情動は肉体的な作用であると考えられることもあった。例えば、非常に騒がしい場所にいる時やひどく悲しんでいる時には理性的な判断を下すのが困難になる。 近年、行動経済学と実験心理学は理性的な熟慮がかならずしも合理的な判断を引き起こさないことを示した(認知バイアス)。心理学の機能主義学派
理性と情動
情動システム(システム1)?即座に働き、短期的な利益(主に生存・繁殖)に関わり、主に大脳辺縁系に司られている。進化的な起源は古い。
理性的システム(システム2)?ゆっくりと働き、長期的な利益を勘案することができ、主に大脳新皮質に司られている。進化的な起源は比較的新しい。
二つのシステムがどのように相互作用するかには、これらのモデルの提唱者の間でも合意がない。状況や判断の内容によってもことなる可能性がある。 理性には限界があるのではないかという議論がある。その例として、哲学者のカントは二律背反を指摘している。アローの不可能性定理、囚人のジレンマ(選択の限界)、ハイゼンベルクの不確定性原理(科学の限界)、ゲーデルの不完全性定理(知識の限界)などもその例として挙げられる[2]。ただし実際の不完全性定理が示したものは、数学用語の意味での「特定の形式体系Pにおいて決定不能な命題の存在」であり、一般的な意味での「不完全性」とは無関係である[3]。「不完全性定理が成立しない体系」および「ゲーデルの完全性定理」も参照
理性の限界
脚注^ キース・スタノヴィッチ『心は遺伝子の論理で決まるのか-二重過程モデルでみるヒトの合理性』椋田直子訳、みすず書房、2008年。ISBN 9784622074212。
^ 高橋昌一郎『理性の限界-不可能性・不確定性・不完全性』講談社、2008年。ISBN 9784062879484。
^ フランセーン 2011, p. 230.
参照文献
フランセーン, トルケル 著、田中一之 訳『ゲーデルの定理:利用と誤用の不完全ガイド』みすず書房、2011年3月25日。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-4-622-07569-1。
関連項目
理性主義
合理主義哲学
ドイツ観念論
技術知
感情
認知科学
暗黙知
表
話
編