球状アンフォラ文化
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しかし馬、生贄の動物の埋葬、斧といった象徴的なものはその前の時代のこの地に存在した漏斗状ビーカー文化やレンジェル文化(英語版)にもある程度見ることができることから、球状アンフォラ文化の起源をこの一帯、特に、この文化の中心部であるポーランドにおける土着の文化の発展拡大にあると考える人々は、球状アンフォラ文化と東方のステップ文化との関連性については疑問を呈している。最新の分析によると、球状アンフォラ文化の起源はこの地の土着の複数の文化や隣接した様々な文化との複合的な関係が考えられ、以前に唱えられていたような、外来であるとか土着であるとかいった単純な排他的発生過程を経ているわけではないようである。(Y-DNAハプログループR1aおよびクルガン文化の担い手の遺伝的特徴の項目を参照。)

球状アンフォラ文化はその地理的広がりから、ゲルマン語派スラヴ語派バルト語派ヘレニック語派古代ギリシア語)の基層文化と推定される。さらにケルト語派イタリック語派の各地の社会の政治的支配層はこの文化に由来し、のちの青銅器時代を通じて西欧南欧の土着の非インド・ヨーロッパ語族の社会(鐘状ビーカー文化の社会など)を次々と支配することによりそれぞれの語派を拡大した、と考えられる。

発掘結果から、球状アンフォラ文化の中心地はポーランド中部と推定される。これは東方文化のヨーロッパ北部への進入経路を考える際、カルパチア山脈南ブク川ドニエストル川ヴィスワ川オドラ川エルベ川など、山脈や水系の構造から自然なことと思われる。歴史時代においてもこの経路での東西ヨーロッパ諸文化の往来は非常に盛んであった。さらにポーランド中部や南部においては最も古い時代の縄目紋土器が見つかっていることから、縄目紋土器文化は球状アンフォラ文化の中心部であるポーランドから発生してライン川西岸地方からヴォルガ川中流域までの広大な地域を占めるようになったと考えられる。また、ポルトガル西端部で発生し広まった非インド・ヨーロッパ語族の鐘状ビーカー文化(ベル・ビーカー文化)はインド・ヨーロッパ語族の縄目文土器文化や球状アンフォラ文化の人々と接触し、言語交替が起きてほぼ全体がケルト語派となったと推測される。マリア・ギンブタスはそのクルガン仮説において、球状アンフォラ文化をインド・ヨーロッパ語族の第二の源郷と位置づけている。(第一の源郷ははるか東方、ドニプロ川流域からヴォルガ川流域にかけての、アゾフ海コーカサス山脈の北側に広がるステップ地帯。)
参考文献

J. P. Mallory and D. Q. Adams, Encyclopedia of Indo-European Culture, Fitzroy Dearborn Publishers, London and Chicago, 1997.

関連項目

スレドニ・ストグ文化

ククテニ・トリポリエ文化

マイコープ文化

ケミ・オバ文化(英語版)

ミハイロフカ下層文化(英語版)

線帯文土器文化

漏斗状ビーカー文化

縄目文土器文化

ヤムナ文化

鐘状ビーカー文化

バーデン文化(英語版)

ウーニェチツェ文化

墳墓文化

トシュチニェツ文化

骨壺墓地文化

クルガン仮説

インド・ヨーロッパ祖語

インド・ヨーロッパ語族








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