現代国家
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人民(Staatsvolk:国民、住民)- 恒久的に属し、一時の好悪で脱したり復したりはしない。

権力(Staatsgewalt)ないし主権- 正統な物理的実力のことである。この実力は、対外的・対内的に排他的に行使できなければならない、つまり、主権的(souveran)でなければならない。

この3つが三要素とされる[15]。モデルにおいては、国家とは、権力が領域と人民を内外の干渉を許さず統治する存在であると捉えられているのである。領域に対する権力を領土高権(Gebietshoheit)、人民に対する権力を対人高権(Personalhoheit)という。国際法上、これらの三要素を有するものは国家として認められるが、満たさないものは国家として認められない。この場合、認めるか認めないかを実際に判断するのは他の国家なので、他国からの承認を第4の要素に挙げる場合もある[16]モンテビデオ条約の項目および国家の資格要件も参照のこと)。
国家の資格要件「国家の資格要件」も参照

国際法上国家と言えるか否かについて、モンテビデオ条約第1条には以下のように定められた[17]。日本語訳:国際法上の人格としての国はその要件として、(a)永続的住民、(b)明確な領域、(c)政府、及び、(d)他国と関係を取り結ぶ能力を備えなければならない[18]
英語原文:The state as a person of international law should possess the following qualifications: a ) a permanent population; b ) a defined territory; c ) government; and d) capacity to enter into relations with the other states.[19] ? モンテビデオ条約第1条

実際には、この条件を完全には満たさない国家もいくつか存在している。例えば、モナコは長らくフランスの保護下にあり、2005年のフランス・モナコ友好協力条約によって制限が緩和されるまで、外交にはフランスの承認が必要だった。また条約改定後も、モナコの防衛はフランスの責任となっている[20]。また、自由連合の形態を取る国家では、防衛権など主権の一部を他国に委ねることになっている。このため、自由連合は独立国家と非独立状態の中間的な形態と見なされており[21]、とくに外交権を委任しているニュージーランドの自由連合を国家承認する国家は少ない[22]。アメリカはミクロネシア連邦マーシャル諸島パラオの3カ国と個別に自由連合盟約を結んでおり、これらの国から防衛権を委ねられている[23][24][25]。同様に、ニュージーランドクック諸島およびニウエと自由連合条約を締結しており、防衛権および一部外交権を委任されている[26][27]

また、国家の承認はすべての国家間において行われるわけではなく、何らかの理由によって、他国で広く承認されている国家を国家承認しない場合もあり得る。日本の場合、1965年の日韓基本条約第3条において大韓民国朝鮮半島における唯一の合法的政府と定めている[28]ため、半島北半部にある朝鮮民主主義人民共和国の国家承認を行っていない[29]

このほかにも最初の3つの条件を満たすのにもかかわらず、他国からの承認がまったく、もしくはわずかしか得られない国家もいくつか存在する。中華民国は国家の三要素を完全に満たしているが、「一つの中国」の原則をめぐって中華人民共和国と激しく対立しており、中華人民共和国側が中華民国の承認に対し圧力をかけているため、2020年時点で中華民国を承認している国家はわずか15か国にすぎない[30]。また、2008年にセルビアから独立を一方的に宣言したコソボについては国家承認をめぐって国際世論が真っ二つに割れ、2020年9月時点では日本を含む100カ国が国家承認を行っている一方[31]、セルビアやロシア、中国など残りの約90カ国はこれを認めていない[32]。こうした国家は未承認国家と呼ばれ、旧ソヴィエト連邦地域に多いものの、世界中に点在している[33]
現代的な基準外の国家

要件を満たさない支配機構や政治共同体も存在しうる。国家は近代の歴史的産物(近代国家も参照)であり、それ以前には存在しなかった。例えば前近代社会において、しばしば多くの国家が多様な自治的組織を持つ多種多様な人間集団、すなわち社団の複合体として成立し、中央政府機構はこれら社団に特権を付与することで階層秩序を維持していた。こうした国家体制を社団国家と称し、日本幕藩体制フランスアンシャン・レジームが典型例として挙げられる。例えば、幕藩体制において公家の団体である朝廷とその首長の天皇幕府の首長に征夷大将軍の官位を与えることで権威を保証し、幕府は大名旗本の領国経営組織という武士の団体に主従制に基づく特権を付与して臣従と忠誠を求め、幕府や大名領国のような領主権力は百姓の団体である惣村町人の団体である(ちょう)に身分特権と自治権を付与することで民政を行っていた。そこには如何なる排他的な主権者も見出すことはできない。

こうした社団国家においては個々の社団が中央政府機構からの離脱や復帰を行う現象が見られ、また江戸時代琉球王国が日本と中華帝国もしくは)に両属の態度をとっていたように国民の固定化は不完全であった。当然、社団の離脱、復帰に伴い領域も変動しえた。

さらに権力に関しても、幕藩体制における各が独自の軍事機構を持ち、幕府の藩内内政への干渉権が大幅に制限されていたように、決して主権的ではなかった。

現代社会において近代国家の表看板を掲げていても、2021年にターリバーンが実効支配する前のアフガニスタンのように内部の実情は複数の自立的共同体が必ずしも国家機構の主権下に服さずに国家体制の構成要素となっている国家は存続している。今日の国際関係は、近代的主権国家間の関係を前提として成立しており、こうした国家の存在は様々な紛争の火種を内包している。さらに、この問題は同時に、近代的主権国家の歴史的な特殊性の問題点を投げかけているともいえる。
社会学的な定義

社会学における国家の定義は法学や政治学とは異なり、国家の権力の中身ではなく、あくまでその形式のほうに向けられている。社会学的な国家(ここでは近代国家)の定義でもっとも代表的なものがマックス・ウェーバーによるものである。ウェーバーは2つの側面から国家を理解していた。1つ目は、警察や軍隊などの暴力手段を合法的に独占していること[34]、そして2つ目は、官僚や議員など統治組織の維持そのものを職業として生計を立てる専門家によって構成されている政治的共同体であるということである。この定義を詳しく見ると、以下のようにまとめることができる。

(1)中世のヨーロッパでは、国家は軍事組織をほとんど独占しておらず、戦争は貴族の私兵や傭兵隊などによって賄われるのが通例であり、国家が直接的に訓練・組織化に関わることは少なかった。しかし、17世紀以降の絶対王政と国家間戦争の激化により、王国に排他的な忠誠を誓う「常備軍」を整備しはじめ、次第に底辺の家族や村落の中にまで徴税や徴兵の権力が介入していくようになる。それに伴って、国家に動員される民衆の間には自ずと政治意識や権利意識も生じ始め、国家の利益を直接的に代表するのは世襲身分による王家や貴族ではなく、われわれ平等な「国民」であるという理解が次第に形成され、これが18世紀末以降に革命を帰結させていくことになる。「国民」意識が教育制度などを通じて浸透するようになると、もはや国家が直接的な強制力を行使して兵士を徴収する徴兵制よりも、第二次大戦以降には「国民」の中から志願兵を募るという方向へと転換し、軍隊はより一層「専門化」していくことになる。

(2)中世以前の国家は、国王と臣下、領主、都市国家、地域共同体といった様々な中間集団との重層的な関係の中にあり、国家は家族・親族の領域と未分化の状態であった。しかし、戦争の規模の拡大と市場経済化および産業化の波は、国家と個人の直接的な関係と社会の均質的画一化を推し進めるものであり、これらに対応するためには、国家を統一的に運営するためのルール(法律)と、専門的な職業家(官僚・議員)を必要とするようになった。こうして、国家が統治組織として専門分化することにより、統治される対象としての「社会(市民社会)」が自律的な領域として分化していくことになる。

近年は、強力な官僚制と「物理的暴力の独占」を強調するというウェーバーの議論に対して、そもそも国家はそのように堅固な統一性をもった統治組織なのではなく、民意や社会の変動の前に不安定で不統一的なものであるという説明がなされることもある。現代社会を批評する議論の中には、国民国家が既に無意味になってしまったかのように語られることもあるが、社会学の国家論ではほとんど否定されている。
様々な国家論

国家というものの在り方をめぐっては、さまざまな国家論が立てられ、論争が行われてきた。

国家の起源や支配の正統性の根拠としては、いくつかの説が存在する。近代に入るとヨーロッパにおいて、君主の統治権は神から付与され、神以外の何者にも拘束されないとするという王権神授説が広まった。


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