現代哲学
[Wikipedia|▼Menu]
倫理学美学神学形而上学および存在論の主張を含め他の主張はどれも意味がないとした(この理論は検証理論と呼ばれた)。アドルフ・ヒトラーナチス党の勃興により、多くの実証主義者がドイツからイギリスやアメリカに逃れ、その後の年月ではアメリカにおける分析哲学の支配を補強することになった。

大陸哲学では、ニーチェマルクスフロイトの3名がよく名前が挙がるが、他には、フッサールソシュールなども重要視される[注釈 1]
分析哲学と大陸哲学の分岐(画像左から)カントフレーゲフッサール。この3人が分析哲学と大陸哲学の分岐点を作った。

サイモン・クリッチリーによれば、分析哲学と大陸哲学の分岐地点は二つあるとされている。一つはイマヌエル・カントの哲学に対する二通りの反応と評価であり、英米哲学は『純粋理性批判』の成功した「認識論」に、大陸哲学は『判断力批判』の「実践」にそれぞれ強い関心を持った。

もう一つはフランツ・ブレンターノらの心理主義に対する二人の哲学者の異なった反応で、そのうちの一人は大陸哲学のフッサールであり、もう一人は分析哲学のフレーゲである。この二人からそれぞれの哲学の流れは分岐し、ダメットはそれをフッサールを黒海に注ぐドナウ川に、フレーゲを北海に注ぐライン川に喩えている。フッサールの影響は今日大陸哲学のみならず、英米哲学にも広く及んでいるが、フッサールは、数学・論理学の基礎を生物学的・心理学的な過程に求めようとする心理主義、殊に意味・思想までも表象ととらえることに強く反対していたが、この点はフレーゲも同様であった。しかし、両者は、意味・思想という論理的なものと心理的なものを厳密に区別するという点において共通していたが、フレーゲは、心理的なものから論理的なものの領域を守るという関心から、言語表現の内包(意味)が外延(指示対象)を決定すると考えて現在の分析哲学の基礎を作った。これに対し、フッサールは、心理的なものと論理的なものがどのように相互に影響を与えるのかという関心から、ノエシス / ノエマの関係の解明に向かい、現象学を創始することになったのである。
哲学の専門職化

フッサールとフレーゲは、ともに数学基礎論という専門的・技術的な議論にかかわりながら、自己の思想を確立していったのであるが、当時は、アインシュタインの相対性理論や量子力学の著しい発達に象徴されるように「科学の世紀」と呼ばれるほど科学の発達した時代であった。ドイツでは、教育と研究の一体化という革命的な発想に従ってベルリン大学が創設されると、イギリス・フランスに近代化の遅れるドイツの産業形成を支え、歴史学、社会学、教育学、民俗学など新たな学問分野が次々と生じ、数学、物理学、化学など既存の学問分野も急速な発展を遂げ、今日の大学の基本的な諸分野がほぼその骨格を現すことになった時代でもあった。教養としての学問から職業としての学問という転換を果たしたドイツの大学は、各国のモデルとなり、各国で専門職としての学者集団が生じたのである。このような当時の背景事情は、哲学にも当然のことながら大きな影響を与え、従来哲学の一分野であった論理学・数学・心理学などなどが独立の学問分野として分離していっただけでなく、歴史学の影響を受けて、厳密な批判を経た資料を用いて研究する哲学史が哲学の主要な一分野とされるようになると、例えば、ヘーゲルのように、一生をかけて自分の哲学体系を一人で完成させるというようなことは不可能か著しく困難になり、多数の学者が共同で、ヘーゲル全集を発行するというように哲学も専門職化していった。また、哲学も当時の科学の発展に伴い、学際的になり、科学哲学など新たな哲学分野の発達などに応じて、その内容も専門的で技術的なものになっていったのである。このような傾向は、特に英米哲学における分析哲学において顕著になり、この傾向を徹底させた理想言語学派を生んだ。
分析哲学(画像左から)フレーゲラッセルウィトゲンシュタイン。この3人が論理実証主義の先駆者となり、ウィトゲンシュタインの前期思想と後期思想に対する反応が分析哲学を二つに分かった。

20世紀初頭にゴットロープ・フレーゲバートランド・ラッセルによって記号論理学が成立すると、哲学の専門職化という時代背景の下、スコットランド常識学派の成果など様々な影響を受け、これを吸収していった分析哲学のうち、前期ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の影響を受けた潮流は論理学的な人工言語を重視して論理実証主義運動を興し、人工言語学派(ideal language philosophy 理想言語学派)を形成したのであるが、これとは正反対に後期ウィトゲンシュタインの『哲学探究』の影響を受けた潮流は日常言語を重視して日常言語学派を形成した。

W・V・O・クワインは論理実証主義者ではなかったが、哲学は知識の明晰さを追求し世界を理解することでは、科学と肩を並べて行くべきという見解は同じだった。クワインはその論文『経験主義の2つのドグマ(教義)』で論理実証主義者や知識の分析・総合区別を批判し、正当化の整合説である「信念のクモの巣」、ホーリズムを提唱した。クワインの認識論では、孤独の場合に如何なる経験も起こらないので、あらゆる信念あるいは経験が全体と結びつけられる知識に対して実際に全体的なアプローチがある、としている。クワインは翻訳の不完全性理論の一部として「ガヴァガイ」 (gavagai) という言葉を編み出したことでも有名である[1]

クワインのハーバード大学の教え子ソール・クリプキは、分析哲学の影響を大きく受けた。クリプキは、ブライアン・ライターが行った調査で、過去200年間の最も重要な哲学者10傑に入っていた[2]。クリプキは4つの哲学論文で特に良く知られている。すなわち、(1) 様相論理学と関係論理学のためのクリプキ意味論(彼がまだ10代の間に開始した幾つかの論文に掲載された)、(2) 1970年にプリンストン大学で行った講義「名指しと必要性」(1972年と1980年に出版、言語哲学を再構築し「形而上学を再度尊敬できるものにした」)、(3) ウィトゲンシュタインの哲学の解釈[3]、 (4) 真理論、である。また集合論についても重要な貢献を果たした。

クワインのハーバード大学でのもう1人の教え子デイヴィド・ケロッグ・ルイスは、ブライアン・ライターが行った調査で、20世紀で最も偉大な哲学者の一人に入っている[4]。論議を呼んだ様相実在論の提案で良く知られており、具体的で因果的に孤立した可能世界が無限にあり、その中の一つが我々の世界だと主張している[5]。これら可能世界は様相論理学の分野で出てくる。

トーマス・クーン科学史科学哲学の分野で広範な業績を残した重要な哲学者かつ著作家だった。その有名な著作『科学革命の構造』は学術文献で引用されることが多い。クーンはこの中で、科学者は新たに解くべきパズルを見付けるので異なる「パラダイム」(理論的枠組み)を通って前進し、問題に対する解を見付けるための苦闘が拡がると世界観にシフトが起こるとし、これを「パラダイム・シフト」と名付けた[6]。その功績は知識社会学におけるマイルストーンと考えられている。
大陸哲学
西欧マルクス主義(左から順に)ホルクハイマーアドルノ。背後がハーバーマス

第二次世界大戦以後、世界は、アメリカ合衆国を中心とする西側世界と、ソビエト連邦共和国を中心とする東側世界に対立する冷戦時代に入っていった。このことは、西ドイツと東ドイツに分裂を余儀なくされたドイツの思想界に決定的な影響を与えた。西欧のマルクス主義者は、ソ連型のマルクス主義(マルクス・レーニン主義、その後継としてのスターリン主義)に対して、異論や批判的立場を持つ者も少なくなかったが、最初に西欧型のマルクス主義を提示したのは哲学者のルカーチだった。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:68 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef