20世紀に入ると、玩具にも様々な技術革新が導入された。経済の安定的成長とテレビの普及など大量消費社会では、玩具市場も急速な拡大を見せた。1960年代には合成樹脂などの新たな素材が普及し、これをさらに加速させた。1970年代からは半導体を使用するハイテクおもちゃが現れ始め、1979年のインベーダーゲームのブームに端を発するテレビゲームが普及し、玩具の有り様に大きな変化をもたらした[21]。さらにメディアミックスを用いて漫画やアニメーション、インターネットなどと関連させ市場への訴求力を高めた玩具が販売されている[22][23][24]。伝統的な玩具を製造販売する企業には、ハイテクおもちゃに長年の市場を奪われていることに対抗し、昔からの玩具をテレビゲーム化してインターネットで対戦できるような分野に進出してその販売力を高めている企業もある[25]。
偶然の発明が新しいタイプの玩具を生むことがある。例えば、第二次世界大戦時にアール・ウィリックが合成ゴム代替に発明した「nutty putty(愚かなパテ)」が、後にピーター・ホジソンによって幼児用の玩具として見出され「Silly Putty(おかしなパテ)」として商品化された。プレイ・ドー(英語版)は壁紙掃除用の素材を使用している。
また、小麦粉を主な材料にした粘土であるプレイ・ドー(英語版)は、元々壁紙の清掃用に開発されたものである[26]。
2007年のニュルンベルク国際玩具見本市にて、ジェーン・ツイミーは世界の玩具市場は年間670億ドルと推計した。これは前年比5.2%の伸びであり、日本を除くアジアやアフリカ、ラテンアメリカそしてロシアでは今後も伸びが期待されると解説を加えた[27]。この市場を前に玩具を大量生産で提供する多くの企業が、コスト削減のために低賃金の地区に工場を構えた。例えばアメリカで流通する玩具の75%が中国製である[28]。 遊びは子供の成長に大きな影響を与える。数々の玩具は、発育や様々な機能の発達に刺激を与える重要な道具である[29]。ドイツのフリードリヒ・フレーベル(1782年-1852年)は人間形成において玩具の重要性を初めて主張し、1831年に世界初の幼稚園を創設した。彼は「恩物の理論」の中で、玩具とは自然の法則を理解するために神が与えた道具と定義づけ、幼児の成長段階において必要な種類の玩具を分類した。これによると、最初には毛糸を巻きつけた小さめのボールを与えるべきであり、次は木製の球と立方体、続けて(3)分割された立方体、(4)八面体、(5)立方体の面を二回ずつ切断した27片、(6)棒や水晶型など複雑な27個の積み木という段階を設定した。この積み木は「恩物」という名がつけられた。フレーベルは1837年にブランケンブルク
子供の発育用玩具
理論と普及の経緯
イタリアのマリア・モンテッソーリ(1870年-1952年)は、独自の教育法(モンテッソーリ教育)を実践するために200種類もの教育玩具(教具)を開発した。これらは、感覚教育、言語教育、算数教育などそれぞれに目的を持つが、子供が自ら遊ぶ中でこれらの主題を発見し、身につけることで社会への適応性を育て、人格を形成するための補助となるように考えられていた[12]。
日本では、1871年(明治4年)に慶應義塾が遊具を設置し、1873年(明治6年)には内務省が教育玩具の普及を目的に製造業界に製品の販売を促した。文部省も乗り出し、『小学読本』でボール遊びのひとつとして野球の記事を載せたり、『童女筌』でけん玉遊びを奨励するなどの活動を行った。1879年(明治12年)にはフレーベルの理論を紹介した『幼稚園法二〇遊嬉』を発行した。1914年(大正7年)には幼稚園・小学校の教材に折り紙が加えられた。第二次世界大戦中には模型飛行機などの軍事色が強い玩具が学校教育に導入されたが、戦後にはこのような戦争玩具は教室から排除された[12]。二児がパドルボール(英語版)で遊ぶ光景を描いた絵画。中国、宋代の画家・??臣(1130-1160年頃に活躍)が描いた。 最も単純な玩具のひとつである木製の積み木は、心の育成において最良の玩具とも言われる。メガ・ブランズ
現状