玩具
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ローマ時代の玩具の展示。人形サイコロガラガラなど現代の子供にも馴染み深いものが多く含まれる。

古代ギリシア古代ローマでは子供たちは焼物で作られた人形や棒、弓矢ヨーヨーなどで遊んでいた。大人になると、特に女性は子供時代に遊んだこれら玩具を神に供えることが恒例となっていた。14歳頃の少女が結婚の前日に、成人になる通過儀礼として人形を寺院に奉納していた[16][17]

しかし、これらは必ずしも子供に与えるものとして製作されたものばかりではない。古代ギリシア・ローマの遺跡から見つかる人形類、鳴子などは元々呪術や祭事などで使われた器具類と考えられる。これは遊びそのものにも当てはまるが、古代または素朴な社会での玩具は大人が何らかの目的を持って使用した道具が、その意味を喪失したりまたは変化した結果、子供に与えられるようになったと考えられる。子供の側から見れば、大人が執り行った様々な行事や行動を模倣する遊びにおいてこれらの道具を用い、これが玩具となったと考えられ[12]、その意味では玩具は子供が発明したとも言える[7]。この例には、日本において特別な日に屋外で食事をする「盆飯」や「辻飯」が変化したままごとアメリカ先住民族では本来鹿狩猟道具だったボール東南アジアでは宗教儀礼として発したブランコなどもある[12]輪回しの輪と少年。この輪回しの輪は多くの文化圏で古くからよく知られている玩具である。
中世

玩具が商業製品となるのは11世紀頃のイギリスに見られ、手工業で生産された玩具が市場などに持ち込まれて販売されていた。その後行商人が取り扱うようになり、商業地での流通や貿易も行われるようになった[12]

古くから玩具の典型のひとつである人形も、伝統的で素朴なものだけでなく、高価なものも作られるようになった[12]ロシア皇帝ピョートル1世ヨーロッパ化を推進する一環としてドールハウスを購入しているが、これも文化財としての側面を重視した決定だった[12]。16世紀は、ドイツニュールンベルク製兵隊人形の大量生産が始まり、またぜんまいばねを用いた初期のおもちゃが開発されるなど、玩具が普及を迎えた時代でもあった。クリスマスのときにツリーに吊るしたりする習慣や、サンタクロースから贈られるという寓話もこの頃に生まれた[12]
近代

18世紀から19世紀にかけて起こった産業革命を通じて安価で大量生産が可能になると玩具はさらに普及した[12]切り絵工作用または着せ替え人形の服など玩具の材料にが使われるのもこの頃である[12]

日本でも庶民の間で広く玩具が広がったのは江戸時代中期以降であり、それまでは宮中の行事用や上流階級の遊び用であった様々な道具に起源をもつ玩具が一般層に広がった[12]。『日本永代蔵』では風車職人の話があり、元禄文化時代には家内制手工業による生産と露天商や行商等の販売、そして庶民文化と生活の発展による消費が成り立った[18]。また、自然素材を用いたからくり玩具も江戸時代の庶民に普及した[19]

19世紀に玩具は大きな発展を見せた。「ママ」としゃべる人形が登場し[20]、ぜんまい仕掛けの玩具も精巧になり[12]、1851年に開催されたロンドン万国博覧会では当時最先端の玩具が多数出品された[12]。また、幼児教育と玩具の関係が重要視され始めたのもこの時期である[12]
現代1980年代に流行した立体パズルルービックキューブ現代の子供たちは自由時間はテレビゲームで遊んでいる割合が大きい。

20世紀に入ると、玩具にも様々な技術革新が導入された。経済の安定的成長とテレビの普及など大量消費社会では、玩具市場も急速な拡大を見せた。1960年代には合成樹脂などの新たな素材が普及し、これをさらに加速させた。1970年代からは半導体を使用するハイテクおもちゃが現れ始め、1979年のインベーダーゲームのブームに端を発するテレビゲームが普及し、玩具の有り様に大きな変化をもたらした[21]。さらにメディアミックスを用いて漫画アニメーションインターネットなどと関連させ市場への訴求力を高めた玩具が販売されている[22][23][24]。伝統的な玩具を製造販売する企業には、ハイテクおもちゃに長年の市場を奪われていることに対抗し、昔からの玩具をテレビゲーム化してインターネットで対戦できるような分野に進出してその販売力を高めている企業もある[25]

偶然の発明が新しいタイプの玩具を生むことがある。例えば、第二次世界大戦時にアール・ウィリックが合成ゴム代替に発明した「nutty putty(愚かなパテ)」が、後にピーター・ホジソンによって幼児用の玩具として見出され「Silly Putty(おかしなパテ)」として商品化された。プレイ・ドー(英語版)は壁紙掃除用の素材を使用している。

また、小麦粉を主な材料にした粘土であるプレイ・ドー(英語版)は、元々壁紙の清掃用に開発されたものである[26]

2007年のニュルンベルク国際玩具見本市にて、ジェーン・ツイミーは世界の玩具市場は年間670億ドルと推計した。これは前年比5.2%の伸びであり、日本を除くアジアやアフリカ、ラテンアメリカそしてロシアでは今後も伸びが期待されると解説を加えた[27]。この市場を前に玩具を大量生産で提供する多くの企業が、コスト削減のために低賃金の地区に工場を構えた。例えばアメリカで流通する玩具の75%が中国製である[28]
子供の発育用玩具
理論と普及の経緯

遊びは子供の成長に大きな影響を与える。数々の玩具は、発育や様々な機能の発達に刺激を与える重要な道具である[29]。ドイツのフリードリヒ・フレーベル(1782年-1852年)は人間形成において玩具の重要性を初めて主張し、1831年に世界初の幼稚園を創設した。彼は「恩物の理論」の中で、玩具とは自然の法則を理解するために神が与えた道具と定義づけ、幼児の成長段階において必要な種類の玩具を分類した。これによると、最初には毛糸を巻きつけた小さめのボールを与えるべきであり、次は木製の球と立方体、続けて(3)分割された立方体、(4)八面体、(5)立方体の面を二回ずつ切断した27片、(6)棒や水晶型など複雑な27個の積み木という段階を設定した。この積み木は「恩物」という名がつけられた。フレーベルは1837年にブランケンブルクで「子供の労働意欲を育てる会」を作り、ボールやさいころなど様々な玩具を製作した[12]

イタリアマリア・モンテッソーリ(1870年-1952年)は、独自の教育法(モンテッソーリ教育)を実践するために200種類もの教育玩具(教具)を開発した。


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