古代文明の遺跡からは、玩具やゲームが発掘されており、それは文字の発明よりも古い時代に遡る。紀元前3000-1500年前のインダス文明跡からは、小さな荷車や鳥の形をした笛、張った糸を滑り下りる猿のおもちゃなども見つかった[14]。数千年前の古代エジプトには、手足を動かせる上にかつらをつけた石・粘土・木製の人形[15]や、貝殻製のガラガラ[7]があった。墳墓からも、兵士や奴隷の人形のほかにボールが副葬品として発見された[12]。ローマ時代の玩具の展示。人形、サイコロ、ガラガラ、皿など現代の子供にも馴染み深いものが多く含まれる。
古代ギリシアや古代ローマでは子供たちは蝋や焼物で作られた人形や棒、弓矢、ヨーヨーなどで遊んでいた。大人になると、特に女性は子供時代に遊んだこれら玩具を神に供えることが恒例となっていた。14歳頃の少女が結婚の前日に、成人になる通過儀礼として人形を寺院に奉納していた[16][17]。
しかし、これらは必ずしも子供に与えるものとして製作されたものばかりではない。古代ギリシア・ローマの遺跡から見つかる人形類、鈴や鳴子などは元々呪術や祭事などで使われた器具類と考えられる。これは遊びそのものにも当てはまるが、古代または素朴な社会での玩具は大人が何らかの目的を持って使用した道具が、その意味を喪失したりまたは変化した結果、子供に与えられるようになったと考えられる。子供の側から見れば、大人が執り行った様々な行事や行動を模倣する遊びにおいてこれらの道具を用い、これが玩具となったと考えられ[12]、その意味では玩具は子供が発明したとも言える[7]。この例には、日本において特別な日に屋外で食事をする「盆飯」や「辻飯」が変化したままごと、アメリカ先住民族では本来鹿の狩猟道具だったボール、東南アジアでは宗教儀礼として発したブランコなどもある[12]。輪回しの輪と少年。この輪回しの輪は多くの文化圏で古くからよく知られている玩具である。 玩具が商業製品となるのは11世紀頃のイギリスに見られ、手工業で生産された玩具が市場や城などに持ち込まれて販売されていた。その後行商人が取り扱うようになり、商業地での流通や貿易も行われるようになった[12]。 古くから玩具の典型のひとつである人形も、伝統的で素朴なものだけでなく、高価なものも作られるようになった[12]。ロシア皇帝ピョートル1世はヨーロッパ化を推進する一環としてドールハウスを購入しているが、これも文化財としての側面を重視した決定だった[12]。16世紀は、ドイツのニュールンベルクで錫製兵隊人形の大量生産が始まり、またぜんまいばねを用いた初期のおもちゃが開発されるなど、玩具が普及を迎えた時代でもあった。クリスマスのときにツリーに吊るしたりする習慣や、サンタクロースから贈られるという寓話もこの頃に生まれた[12]。
中世