王柏融
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プレミア12のオープニングラウンド・対カナダ戦では九番・右翼手で先発。五回には本塁打を記録した直後に豪快にバットを放り投げ、その姿はMLB.com内のコーナーCut4でも特集された[21]。同大会でチャイニーズタイペイは1次ラウンドを突破できなかったものの、王は4割を超える打率を記録した[22]

2016年には、林智勝FA権を行使してLamigoを退団し、中信兄弟に移籍した)の後継者としてメディアに大々的に取り上げられた[23][24][25]。6月2日の統一戦にはミネソタ・ツインズのスカウトが王の視察に訪れたが、王はこのことを知らなかった[26]。開幕前の期待に応えるようにブレイクした王は、シーズン打率.414[注 2]、シーズン安打数200本のCPBLシーズン歴代記録を達成。最優秀選手、新人王に選出されたほか、打撃王、安打王、ゴールデングラブ賞、ベストテンなどのタイトルを獲得した。タイトル授賞式後のインタビューで「海外で羽ばたく夢は諦めません。機会さえあれば絶対に実現してみせます」と豪語した[33]。オフに5年総額3180万台湾元で契約更改。

2017年開幕前にはLamigoモンキーズが2017 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)をボイコットしていたため、WBCには不参加となった[34]。しかし、2月28日にCPBL代表(チャイニーズタイペイ代表と異なるメンバーで構成された)として2017 ワールド・ベースボール・クラシックに出場する日本代表の壮行試合に出場して「対戦してみたい」と語っていた則本昂大から本塁打を記録した[35]

シーズンでは5月9日の富邦ガーディアンズ戦には阪神タイガースのスカウトが王の視察に訪れ[36]、5月13日の統一ライオンズ戦には埼玉西武ライオンズシニアディレクター兼編成部長の渡辺久信が視察に訪れ[37]、5月18日の中信戦には再び多数のメジャーリーグのスカウトが訪れ[38]、5月26日の同カードには読売ジャイアンツスカウトの大森剛らも視察に訪れるなど、海外挑戦も期待されていた[39]。最終的に、リーグ史上唯一となる2度目の打率四割(当シーズンのリーグ平均打率.288[40])を達成し、リーグ史上2人目、台湾人選手としては初の三冠王と、最多安打で打撃4タイトルを獲得した[41]

オフの10月11日に2017 アジア プロ野球チャンピオンシップチャイニーズタイペイ代表に選出された[42]侍ジャパン・トップチーム監督の稲葉篤紀ロッテとの練習試合では不振に陥った王への内角攻めを宣言し[43]、当大会にて王の打率は四割未満の三割三分三厘に抑えられる結果となったが[44]ベストナインの外野手部門で選出された[45]

2018年シーズンオフにポスティングシステム[注 3]を利用して海外球団への移籍を目指した[47]。11月20日、Lamigoモンキーズは王との交渉権を日本ハムが獲得し、30日間の交渉期間に入る旨をチーム公式ウェブサイトで発表した[48]。日本ハムによる落札金額は2億円と推定されている[49]。ここまで獲得に興味を見せていなかった日本ハムが交渉権を獲得したことについて、台湾でも驚きの声が挙がっていた。これについて「情報の管理に気を付けながら、長期間にわたって複数の目で調査してきた」とGMの吉村浩はコメントした[50]
日本ハム時代

2018年12月7日に日本ハムと3年総額4億円+出来高で契約合意が報じられた。誕生日が1993年9月9日ということもあり背番号は彼のラッキーナンバー9を希望していたが、既に中島卓也が着けていたため99となった。

2019年は、3月29日の開幕戦、対オリックス・バファローズ戦で5番・左翼手としてNPBデビューを果たした。6月14日の対読売ジャイアンツ戦の7回裏、高木京介から勝ち越しとなる2点本塁打を放つ。これが決勝点となり、高木京介にプロ初黒星を付けた本塁打となった[51]。交流戦までは、3割前後の打率をキープしていたが、次第に怪我と不振に陥り[52][53][54]、最終的には88試合で打率.255、3本塁打、35打点、OPS.647という成績で1年を終えた。オフには2019年限りで引退した田中賢介の推薦もあり、背番号が99から3へと変わった[55]。また、11月に開催された第2回WBSCプレミア12のにチャイニーズタイペイ代表に選出された[56]

2020年は打撃不振により二軍降格を経験するなど[57]、出場は52試合にとどまり、打率.207、2本塁打、9打点、OPS.585という低調な成績だった[58]

2021年は開幕を二軍で迎え[59]、4月27日に一軍登録されると不振の中田翔渡邉諒に代わりクリーンナップ(4番・5番)を任された[60]。DHでの起用が中心ではあったが、前半戦は47試合に出場しチーム2位の6本塁打・26打点を記録した[61]。後半戦が開幕した8月は月間打率.188・月間OPS.601と不調だったが、9月11日の対福岡ソフトバンクホークス戦ではNPB移籍後最多となる1試合5打点を記録した[62]。この年のチームは極度の貧打に喘いでいたが、自身キャリアハイかつ球団2位となる9本塁打と48打点を記録した。11月7日に年俸7000万プラス出来高で残留することが発表された[63]

2022年は開幕一軍で迎えるも[64]、打撃不振により4月11日に一軍登録を抹消される[65]。7月16日に再昇格するも[66]結果を残せず、さらに19日に新型コロナウイルス陽性判定を受けたことで一軍登録を抹消された[67]。結局、15試合の出場で打率.063、0本塁打、0打点に終わり、9月30日に台湾へ帰国した[68]。オフの10月31日に一度は退団が発表され[69]、12月2日に自由契約公示されたが[70]、その後同月5日に翌年の育成選手契約を締結した[71]。背番号は199[71]

2023年は、7月29日までにイースタン・リーグで48試合に出場し、打率.221、6本塁打、7打点を記録して、同30日に支配下契約を結んだことが発表された[72]。背番号は2019年以来となる99[72]

8月15日に一軍昇格を果たすと、翌16日のロッテ戦(エスコンフィールドHOKKAIDO)で「8番・指名打者」としてシーズン初出場し、2回裏の第1打席で、森遼大朗から2022年9月28日以来11か月ぶりの安打となる適時三塁打を記録[73]


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